田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

霧降の滝/三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-24 07:35:33 | Weblog
6

ドアの外に足音がした。
あわただしく、石の階段を駆け上がってくる足音。
切迫して、近寄ってくるものがある。
女はきりっとした動作で扉に向かう。
ノブに手をかけてからもういちど、少年のほうを振りかえった。
お…ね…が…い。

調理室の奥。
スタッフの休憩室。
みんなテレビを見ている。

テレビにはこのレストランの正面階段が映っていた。
地元の大谷石でくまれたかなり広い階段だ。
階段の中ほどを彼女がゆったりと下りていく。
なにか芝居がかった歩き方だ。
少年と行動をともにしていたときとは、別人のようだ。
いまこのレストランの前で起きている。
それを、テレビの画面を媒体として見ている。
非日常的ともとれるこの経緯を、コックが説明する。

「さすがに女優だ。ことしの主演女優賞をとっただけのことはある」

マネジャーが少年と部屋に入ってくる。
おどろいてみんながだまってしまった。

気まずい雰囲気になった。
テレビの画面からは音声が聞こえてきた。
いや、ずっと音は出ていたのだろう。
少年にはいまはじめて音声がとどいた。

彼女はマイクをつきつけられている。
プレスの男の声がひびいてきた。

「中山美智子さん。どうしてパーティーの席からぬけだしたのですか」
「どうして霧降にきたのですか」
「なにかあったのですか」
「なにか不愉快なことでもいわれたのですか」
 
そんなことはなかった。
なにもなかった。
いやあった。

受賞が決まった昨夜から一睡もしていない。
三次会でシャンペンを口にするまで。
直人のことを忘れていた。
忘れていた。
そして、ふいに気づいた。
いまからいけば、霧降には午前中につく。
事務所主催の今夜のパーティーまでにはもどれる。
どうして、約束の日を忘れていたのか。
思いがけない受賞で気が動転していたのだわ。
三年間片時も忘れたことはなかったのに。
……わたしどうかしていた。
直人のことを思いだしたら……ついふらふらと……浅草にいた。

「霧降は――霧降は……わたしのカムバックをいちばんよろこんでくれる彼との思いでの場所ですから」

美智子はマイクから意識をはずした。
マイクを意識しないことにした。
見られている。
聴かれている。
そうした演技を強いられるような意識の外の声でこたえていた。 

美智子の言葉に反応した。
気づいたレポーターがいた。
「もうしわけありません。わたしたちは中山さんの彼との思いでの場所に乱入したわけですね。榊直人さんにご報告にきたのですね。カムバックの第一作で、みごと主演女優賞に輝いた感激の一言。賞をもらったいま、これからの抱負を聞かせてください」

棒読みしているようなぎこちない質問。

「中山美智子。それが彼女の名前か。直人さんの恋人は女優さんだなんて聞いていなかった」
 
怪訝な顔のマネジャーに少年は微笑み返す。

「よく似ているので、中山さんとおいでになったとき」
「ゴ―ストでも見たと思った」
「はい。榊直人さんにそっくりです」
「直人は、パパの兄の子でした。ぼくらは従兄弟どうしです」

従兄、直人の死を悼む少年の声が。
霧降は「山のレストラン」の厨房に残った。
 


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霧降の滝/三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-23 08:55:02 | Weblog
5

女が話している間――。
少年は滝への下り口があったという、狭い岩だらけの道を見ていた。
通行を禁止するバーにも青い苔が生えている。

「わたしは……わたしは、もう独りじゃないと感じている。
わたし独りで生きてきたけれど、もう独りじゃない。
いや、きっといままでだって彼がわたしを見守ってきてくれていた。
だからこうして生きていられた」
「そうですね」

少年があいづちをうった。
女は少年の声に真摯なものを感じた。

「あなたは立派に生きてきた。そう。みごとにといっていいでしょうね」
「ありがとう」
「彼もよろこんでいますよ。きっと、よろこんでいます」
「ありがとう。ありがとう。そう思ってくれているの……」
「きっとそうです。ぼくには確信があります」

こんどこそ、女ははらはらと涙をこぼした。
「わたし泣いている。
泣いているわ。
涙なんかもう枯れ果てたと思っていたのに。
わたし泣いている」
腫れた瞼からとめどもな涙がながれおちていた。

窓の外で車の停車音がした。
何台もの車が急停車した。
はげしく車が大地をけずるスキッド音がふたりのところまでとどいた。
マネージャーの男が窓際による。
カーテンの隙間からレストランの下の駐車場をかねている広場を見ている。

男は戻ってくる。
男はひどく緊張している。
動きがぎこちない。
なにかを納得させるように……女に目線をおくる。

「こちらへどぞ」
少年は奥の調理場に導かれる。

背後で女がすっくと立ち上がるのが見える。
ふりかえった少年の視線の先で女は口元をペーパーナフキンで拭いていた。
ロングドレスのポケットから弾丸状のものをとりだした。
リップステックだった。
こころの準備をするかのように、ゆっくりと口紅をひく。

口紅をぬっただけで、いままで顔をおおっていた、こわれそうなはかなさが消えた。
それでもまだ寂しさの残った声がした。

「わたしの小さな霧降の滝を見にきてください」

少年に女が駈けもどって声をかける。
おねがい。唇だけが動いた。
なにか手わたされた。革のケースにはいっている。
携帯電話(セルホーン)だった。

おねがい。
哀訴するような表情になった。
少年は形のいいほっそりとした脚のとおざかるのを見ていた。



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霧降の滝/三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-22 09:08:52 | Weblog
4

「ふたりで暮らしたかった……そういわれて……うれしかった」
「すぐになくならなかった。そうでしたか……即死ではなかった」
「そうよ。古川記念病院で一晩苦しみぬいたわ。
そして、うなされて、いろんなこといったわ。
おれが死んだら悲しまないでくれ。またかならずめぐりあえるから。
三年目の命日に霧降に来てくれ。
そうすれば、おれは待っている。
いいか、三年目だ。それまで、さよなら。さようなら……。
そういって、息絶えたの。……今日……がその日、なの」
女は少年を覗き込む。
少年は女の視線を正面から受け止める。
女は少年の言葉を期待する。
期待するような言葉は少年からはもどってこない。

少年は沈黙。

「わたしそれから耐えた。
なにもしないで、いやしたわ。
彼の写真を元にして庭に霧降の滝のミニチァを作った。
滝はいまでも流れている。
わたしが留守にしてもひとりで流れている。
自動的に水が還流するようになっているの。
いつまでも小さな瀑流は絶えないのよ。
ねえ、あの岩壁ができるまでに何億年かかっているの。
霧降の滝が飛瀑として流れ落ちるまでにどれくらいの年月が経過したというの。
まだこの辺にひとが住みだすずっとまえから絶壁はあった。
滝は流れ落ちていた。
わたしの悲しさなんてなにほどのことがあるの。
彼を失った、残されたわたしの孤独、わたしの彼への愛。
彼への想い。
すべてわたしという個体が生み出した幻想よ。
でも、生きている間はね、その幻想を大切にしたかった。
してきた。
地球の創成から五十億年。
シーラカンスが三億八千万年。
ひとの命は長くて百年。
自然と比べればわたしたちの命は短すぎる。
人間の寿命は短すぎる。
わたしはその命をさらに短くしょうとした。
霧降にもなんどかきたわ。
でもいままではなんにも起きなかった。
わたしは死ぬこともできないでいた。
わたしが死ぬことを彼がゆるしてくれない。
よろこばない。
わたしが命を絶つことはみとめられていない。
そう思ったら生きる力が湧いてきたの。
彼の分まで生きなければならない。
そう考えるようになるまでに……三年かかったのよ」




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霧降の滝/三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-21 00:04:03 | Weblog
3

女が少年を連れてドアを押した。
レジにいたマネージャーが、はっと驚いた表情をみせた。
それでも、あわてて客を迎える顔をとりもどした。
「ごぶさたしたわ」
女がマネージャーにだけ聞けるように声をひくめた。
 
昼食にはまだすこし間がある。
一階にはほかに客はいない。
ウエトレスが近寄ってきた。
コートをマネージャーに預けて挨拶をかわしている彼女のほうを見ている。   
席に案内するタイミングを計っていたのかもしれない。

滝のよく見えるベランダ際の席へ案内された。
「すばらしい。ナイススペクタクル」
少年が大人びた様子で賞賛する。

滝を見下ろせる席に着く。
感傷に浸るようにしばらく滝を見ていた。
しばらくして、少年と向き合うとメニュを手にした。

「わたしは、舌ヒラメのムニエル。あなたは、」
あなたはと呼びかける。
恋人どうしの雰囲気になっていることに女は満足している。
「あそこに、滝壺に降りる道があったのよ。ほら模造丸太でちいさなトウセンボがしてあるでしょう」

皿はさげられ、コーヒーがテーブルにはこばれてくる。
香ばしいイイ匂いがしている。
窓の外をゆびさして女が少年に説明する。
「ああ、あのガードバー」
「あそこから下りたことがあるの」
女が涙声になる。
「なにかあったのですか」
「彼が途中の崖から転落死したの。どうしても滝壺を見たい。滝壺から霧降の滝を見上げる写真を撮りたい。鳥瞰の写真はあるが俯瞰のものは少ない。霧降の美しさは滝壺まで下りなければとらえられない。彼、プロのカメラマンだったの」

少年の顔が話の途中から、さっとくもった。
沈黙。
なにか悟ったような深い沈黙。
もうなにもいわないのではないか。
と感じるほどの沈黙。

「今日が彼の命日なの。悪いわね。しめっぽい話につきあわせてしまって」

沈黙。
そして少年は吐息をもらした。
女は回想の中に埋没して、少年の反応を見落としていた。




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霧降の滝/三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-20 11:57:03 | Weblog
2

「どこまでいくの」女が声をかけた。
少年は駅前のロータリーを右折するところだった。
「霧降の滝まで」と少年が応える。
「タクシーで行きましょう」
「歩くのがすきですから」
女が誘って、少年が断った。

女は「わたしもよ」といってついてきた。
すごくうれしそうな、それでいてミステリアスな微笑みをみせた。
ことわられたことが、うれしそうだ。

「……もっとゆっくり歩いて」

コートのすそが少しめくれた。
すんなりと伸びたふくらはぎが見えた。
黒のハイヒールをはいている。
コートがフェーイクかどうかは、わからい。
黒い豪華な毛皮にふさわしい品格を女はただよわせていた。
たとえ、フェーイクであっても本物に見えるセレブな雰囲気。
ぐっと少年を見る。眼力のある視線だ。
鼻筋がとおり唇はほどよくふくらんでいる。

道は地図でたしかめてある。
少年は路肩を歩いている。
歩道はない。歩行者用の白い線がひいてあるだけだ。
女は内側。少年は外側。
コートにハイヒールの女には並んで歩くにはそれでもきつそうだ。
女は、もっとゆっくり歩いてよ……。
わたしを置いていかないで、と独り言のように訴えた。
少年が無言でさりげなく女の言葉に反応したのだった。
「あらぁ、すなおなんだぁ」
女がさばけた口調でいう。
このほうがほんものらしく聞こえた。
知らない少年に声をかけたので、気取っていたのかもしれない。

「ねぇ、聞いてもいいかな。霧降になんのためにいくの。寒いわよ。今頃なにもない。紅葉はとっくにおわっているし」
「そんなこと知っている」
「だったら案内所で何聞いていたの? きみのこと浅草からずっと見てたの」
「気づいていた。どうしてぼくを見ているのかと……。まあいいや」

「あら、さいごまできかせて。なに言おうとしたの」

「水の流れる音だ」
「そらさないで。質問にこたえてよ」
女ははげしい言葉をかけたが、返事がないことをたのしんでいる。
少年によりそう。

道の端のワイヤーロープのガード柵から低くなっている場所を見下ろしている。
ふたりの距離が近寄っている。
肩がふれるほどだ。
「こういう流れはなんというのかな。小川ではない。流れでもおかしい。渓流というにはささやかすぎる」
沢水が、小さな流れとなってゆるやかに流れていた。
山裾は水が流れる程度のなだらかな傾斜となっている。
「もしかして、きみ文学青年」
「古い言葉を知ってるんですね」
「またぁ、にげる」

「山の湧水がささやかな流れとなってちょろちょろとひくいほうへと流れていた」
「ちょろちょろなんてエロチック」
「なにかんがえているんだよ」
「きみのほうこそなによ。へんなことにばかり、こだわって」
「ぼくには言葉がない。この流れを的確に表す言葉がない」
「そんなことどうだっていいじゃない」
「よかない。よかないんだ。ぼくのいまのきもちを表せないと、苦しいんだ」
「もしかして、きみ失恋したの。もやもやしたこころのはけ口を探す旅なの」
「いいかげんなこと、勘ぐらないで。放っといてくれ」
「わあ、むきになった。図星だったりして」
女は少女にもどったような笑いをもらした。
だが、どこか寂しそうだ。
すごく寂しそうだ。
憂いを含んだ顔が陽気にふるまっている。

演技しているのだ。

道にはぴんと初冬の寒気がはりつめていた。
ときおり、宅急便の軽トラックやこの奥にあるペンションに物資をはこぶ車がふたりを追い越していく。
「こんどはなに見てるの……? わたしにも見せて」
女は少年にほほがふれるほど顔を寄せていた。
道端にクマが座っていた。かなりおおきな木彫だった。
「テディベアね。クマさんに興味があるの? それとも彫刻」
後のほうなら好ましい。といった願がこめられている。
「冬の蝶。もう飛べない。それとも飛ぼうとしないのかな」
少年の視線のさきで干からびた蝶が羽を休めていた。
蝶は鱗粉をあたりにふりまいていない。
飛んではいなかった。
光の中を舞ってはいない。
クマの木彫の頭にとまっていた。
羽は動いていたが、飛翔しょうとしているようには見えなかった。
それどころか、風がゆらしている。
のかもしれない。

蝶はすでに死んでいる。
少年にはそう見えているようだった。

沈黙の中で、少年は吐息をもらした。
女は少年が愛おしいという顔になっている。
少年がいちいちすなおに言葉をかえしてくれるようになったのがうれしい。
そんな風情をみせていた。
木彫の向こうに瀟洒なペンションがみえる。
アーリアメリカン調のキャビンだった。
丸太の匂いがするような素朴な建物だった。
このあたりから道はさらに上り勾配となる。
ハイヒールで歩く無謀さを女は十分に思い知らされていた。
少年がさらに歩調をゆるめた。

「これでは2時間はかかってしまうわね」
言葉とは裏腹で、女にはそれがとてもたのしそうだった。
できれば手をとりあって、少年に寄り添って歩きたい。
そう見えた。

ずっとむかしから、ふたりは一緒だった。

ながいこと、肩を並べて歩きつづけている。
そんな調和した、溶け合ったようすだった。
女のしぐさに、少年はこまやかな動作で応じていた。
手をにぎりあっているわけではない。
ただ肩を寄せ合っているだけだ。
それでも女は上目づかいに少年をみて、満足している。

なつかしい、愛おしい彼を見る目になっている。

急勾配となった道はさらに右にカーブして奥へつづいている。
足立区の林間学園の施設がある。
夏休みには子どもたちの歓声でにぎわうのだろう。
いまは冬を控えて人のいる気配すらない。
建物も広い庭も冬枯れの景色のなかに沈みこんでいる。
道の両側も葉の落ちつくした雑木林になっている。

「あらっ」
女がおどろいた。
体をこごめてなにか拾った。
「山藤の鞘ね。アスハルトの上に種を播いても芽はでないのに……かわいそう。……来年藤の季節にきてみない」
少年は沈黙。
藤の鞘、種はこぼれ出てしまっている。 
茶色に退色した鞘。
女の手のなかの鞘を少年はのぞきこんでいる。

「それって、デートのお誘いですか」
しばらくして、少年がぼそっといった。
「そうよ」 
女はさらに低く、ゆっくりと少年に応えた。
先に歩きだしていた。
「春になって、バスが通るようになるころには藤の花は散ってしまうかもしれません」
「そんなことないもん。わたし霧降は……はじめてじゃないの。なんどもきている。そうなんどもなんどもきたわ」
背中を見せて歩いて行く女。
きゅうにふけこんだようだ。
独り言のような声は哀調をおびていた。
その原因をまだ少年は知らない。 
「もうすぐ。もうすぐよ」
女が立ち止まって少年を待つ。
坂を上りつめて女が口にした言葉、エロチック、な喘ぎのような音声だ。
道は平坦になっていた。
 
霧降の滝という木製の道標の上のほうに「山のレストラン」が見えていた。
山小屋風で二階建てだった。洒落な建物だった。
「帰りに寄りましょう」
女はいままでのメランコリな言動から反転したようにレストランに向かって手を振っている。

窓に誰かの影が見えたのだろうか。
少年にはそれらしいひとかげは見えていない。
滝への石畳の道には初雪が斑模様にのこっていた。
「その靴ではあぶないな。レストランにもどって、スニカーでもかりてきますか」
少年が気配りを示す。
「いいから、手を繋いで。崖と反対側を歩く。あなたも、注意して手すりに頼ってよ」  
少年にあなたと呼びかけていることに女は満足している。
照れながらさしだした少年の手をにぎっておそるおそる歩き続ける。
女は泣きだしそうな顔になる。
いまにも、涙をこぼしそうなのを少年は気づいているのだろうか。
かさっと音をたてて霜柱が崩れた。
氷柱がなんぼんも垂れている。
その先から溶けた水が雫となって霜柱の群れに落ちてきた。
ふいに、鐘がなった。

霜柱が崩れた。
鐘の音に妨げられた。
霜柱の崩れるかすかな音は聞こえなかった。
鐘が冬の山にこだましている。
女は土砂止めの石垣に生えた苔に触れた。
そっと愛撫するしぐさをみせている。 
苔は青々としている。
この季節に青さを誇る植物がある。
それだけでもほめたたえられる存在だ。
緑のベルベッドをなでる感触がある。
女は動かない。
愛撫のしぐさに、さらにこまやかな表情がくわわる。
なにか、声をだして少年に呼びかけようとする。
唇が半開きになった。言葉は生まれてこない。
「ずいぶん時間がかかったものね。でも、おかげですごくたのしかった」
山間のペンションで鳴らしているのだろう。
時を知らせる鐘の音が寒々とした霧降の山にひびきわたっていた。
「だれもいない……霧降の滝を、ひとりじめにしている。あらごめんなさい。きみがいるわね」
「気にしなくていいですよ。ぼくもおなじことを思っていた」
「うれしいわ。あなたとは、気があいそうね」
少年への呼びかけの言葉が目まぐるしくかわる。
きみになったりあなたになったり……。
心の動揺を女はきづいていない。
木々の葉が落ちつくしている。
観瀑台からは滝の全貌が見はらせた。
何段にも分かれて流れ落ちている白い滝。
かすかに滝音がひびいていた。
まわりは灰褐色の切り立った崖になっている。

青空が美しかった。



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新連載 三億八千万年の孤独 麻屋与志夫

2011-03-19 12:43:47 | Weblog
 三億八千万年の孤独

PROLOG

東武新鹿沼駅から浅草にむかった。
車中で麻耶はバックを開いた。
孫の美智子からの手紙がはいっていた。
メールできたものや手紙を妻の智子がプリントして整理したものだった。
妻は知っていた。麻耶がまた能力に、目覚めたことを。
妻はしっていた。麻耶が孫のところに向かったことを。
それで、いままでの孫からの手紙をいれてくれたのだ。

美智子からのメール。
オジイチャン。
直人が逝ってしまったよ。
残酷すぎる。
悲しいよ。
涙もかれて、もうでない。
塩っ辛くて目が痛い。
痛いよ。
でももう涙はでない。
こういうのって、血の涙をこぼす。
というのよね。
オジイチャンに聞いたことがある。
どんなに涙こぼそうとしても。
どんなに悲しくても。
涙は。
もうでない。
目がちりちり痛い。
直人がもういないなんて信じられない。
まだ出会ったばかりだったのに。
これからいっぱいたのしいことが待っていたのに。
これからいつぱいつぱデートして。
愛を深めていくことができたのに。
……直人が、滑落事故で死ぬなんて。
予想もしなかった。
わたしはこれからどう生きればいいの。
オジイチャン、教えて。おねがい。
三年前のことだ。孫の美智子から、このメールを受け取ったときも、麻耶は自由が丘の娘、里恵の家に駆けつけた。

第一章 霧降の滝

1 

東武日光駅。まだ、案内所に客はいない。
構内にもひとかげはまばらだ。
峰々の紅葉は終わった。
秋の観光シーズンにはいそがしかった。
お客の対応におわれた。
説明するのに立ちどおしだった。
ふくらはぎがばんばんにはれあがった。
ちくちくして痛みさえともなっていた。
それがいまはひまなものよね。と案内係の女は肩をすくめた。
ポスターに向って独り言をいっていたのだ。
輪王寺の強飯式のポスターだ。期限済みのものだ。
もう明日あたり冬季のスキーヤーむけのポスターが配布されてくる。
貼りかえなければね。
日光に冬枯れの季節が訪れようとしていた。

その日はじめての客がやってきた。
少年だった。
いや、少年らしく見えた。二十歳は? すぎているのだろうが……。
やっとお客がきたわ、彼女は椅子から立ち上がった。
擦り切れたようなダメージジーンズにデニムのジャンバーを着ていた。
ズボンからは膝がでている。カギ裂きルックかもしれない。 
ダメージでも、カギ裂きルックでもおなじことだ。                     
「春がくるまでは霧降りへの路線バスはでていません」
「歩くとどれくらいかかりますか」
どこか微妙にアクセントがおかしい。
少年の顔をみながら「あなたなら、40分くらいで着けますよ」とすこしよそいきの言葉で応えた。
係の女性は年甲斐もなく顔を赤らめていた。
韓国のなんとかいうイケメンスターに似ていた。
あれなんていうスターだったかしら。
でも、その評価はすこしちがっていた。
 
少年はこの季節なのに日焼けしていた。
がっしりとした体形。
剥きたての卵みたいな顔ではない。サムライ面をしている。
彼女は少年から目をそらせた。
 
駅の構内との間仕切りのガラス扉が開いた。豪華な黒い毛皮のコートを着た女が入ってきた。肩までとどくまっすぐな髪は黒く艶やかでコートの襟のあたりにひろがっていた。 
コートにふさわしい品格とプロポーションをしていた。
二人目の客らしかった。
その予想はあたらなかった。
コートの女は歩みをとめた。
たたずんでいる。女の視線のさきには案内所の少年がいる。

「タクシーなら5分でつけますよ」
そういってしまつてから蛇足だったと気づいた。
とても、車で行くようなタイプではない。
少年は滝までの案内図をうけとる。
さっと、歩きだしていた。
正面のガラス扉には、暖房中。開閉禁止。と紙がはられていた。
少年は一番端の扉まで歩いていく。そこで毛皮のコートの女とすれ違うところだった。     
女がなにか少年に話しかけている。
もちろん、案内所までは声は聞こえてこない。
電車が着いたらしく、構内はようやく活気をみせはじめた。


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昔だったら/麻屋与志夫

2011-03-18 08:03:21 | Weblog
3月18日 金曜日

●東日本大震災から一週間が過ぎた。
まだ余震は続発している。
グラッとくるたびに。
おどろき、恐怖におびえている。
地震はさいしょの揺れがいちばん大きい。
という常識。
それが、あのときはながく揺れ、さらに激しくなった。
これはただごとではないと。
手すりにつかまりながら階下のカミサンのところにかけおりていった。

●被災地では家族別れ、生死があの瞬間にすでに決まっていた。
お悔やみのことばもない。

●寒い。
このところ三月も中旬だというのに零度を下回る朝がある。
広い体育館などに石油ストーブがぽつんとおいてある画像。
毛布にくるまった年寄と子ども。
寒さどころではない。
飲み水がない。
一日一個のおにぎり。
現地の事情はGGにはわからない。
どうなっているのだろうか。
テレビでは被災地の直ぐ傍の救援物資集積所まではきている。
それを細かく仕分けして配達する車がないと伝えていた。

●大八車とまではいわないが、リャカーはどこに消えてしまったのか。
石炭や薪を使用するあのダルマストーブは廃棄処分してしまったのか。
わたしたちの周辺でもこのところの街の変化。
ひとびとのこころのかわりようはただごとではない。
古いものはすべてダサいという感覚に支配されている。
いかに古いもの不要なものを捨てるかという本がベストセーラになったりする。
読んでいないからなにもいえない。
残すものは残す。そうしたことを再考するべきだ。

●廃材となった家の残骸。
ドラムかんで燃やして暖をとっいいた。
ダルマストーブがあればな。
リャカーがあればな。
これからはポンプ井戸だってみなおされるだろう。
いや、ひと昔前の生活を支えてくれていたものが復活することはないだろう。
だが、どうだろうか、GGたちの世代の話にもときには耳を傾けてもらいたいものだ。
戦時中わたしたちの親は、自転車に荷物を積んで疎開してきたものだ。
ガソリンに頼る社会の脆さ。
竈に火をくべる。
火をおこす。
井戸水を汲む。
リャカーで荷物を運ぶ。
すべて死語同然だが、GGはその全部を日常の生活の中で経験してきた。

●物質的なことだけではない。
古い世代のモノの考え方や、生活感がひきつがれていかない。
寂しいことだ。



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夜の闇。寒気に耐えて/麻屋与志夫

2011-03-17 09:56:02 | Weblog
3月17日 木曜日
●昨夜は第3グループも停電。
塾は休講にした。
電池の買い置きがなかったので、石油ランプですごした。
ランプはカミサンの趣味で買っておいたものだ。
暗くても、ノート型PCは使えるのがわかった。
ランプは消した。
暗闇の中でパソコンの明かりだけが頼りだ。
小説の推敲をした。

●戦時中から戦後にかけて、
父が野州大麻を原料としたロープ工場を経営していた。
小さな製綱所だった。
販売先が東北のこんど被災した地域だった。
だから女川などという地名にもなじみがあった。
金華山に出張したときには海がしけて一週間かえってこられなかった。

●帰らぬ父をまっていた。
灯火管制下の暗闇の記憶がふいに脳裡にうかんだ。
心細かった。
いま避難所ですごしている児童。
地震の恐怖がストレスとしてのこるだろう。
気の毒なことだ。
一日も早く平和な生活がもどるように祈るしかない。

●風評による不安。
流言蜚語。
街を歩いても人と出会わない。
にわかにゴーストタウンになったようだ。
福島の原発からの放射能汚染を恐れてのことだろう。
命にかかわる。
とか頭が禿げるとか。
それはもうたいへんな内容の噂だ。

●スーパーのカップ麵売り場はあいかわらずがらんとしいる。
商品不在。
米もない。
みんなが不安になって買い溜めしている。

●被災地では暴動も無秩序な行動も起こっていない。
こうした災害にあっても冷静にしていられる。
軽挙妄動には走らない。
やはり日本人はそのてん、素晴らしい。嬉しくなる。
買い溜めくらいの行動はしかたのないことだ。

●わたしたちは隣人とつながっている。
一人では生きていけない。
孤立感を深めずにがんばってください。
GGの東北の親戚や知り合いも全員げんきなことがわかった。
安心した。



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おらが町意識/麻屋与志夫

2011-03-16 08:17:58 | Weblog
3月16日 水曜日

●今夜は節電があるらしい。
もし停電していたら「塾はお休みします」という連絡を塾生の家庭にいれる。
どうもエライことに成った。
なんの変哲もなかった日常がいとも簡単に。
それも何の予告もなく変革されていく。

●電気とガス。
上下水道。
そして、広い意味でのすべてのinfrastructureに不安があると。
ひとはかくもた易く盲動にかりたてられるのか。
スーパーの棚はがら空きだぁ。
えっ、こんなものまで買い置くの? 
と言いたくなるようなものまで、なくなっている。
わたしたちは、第一次、二次のオイルショックのときの。
買い溜め現象を見てきている。

あわてるな。
あせるな。
安易に買い衝動に走るな。
と言いたい。

●地震、津波の被害にあったかたには。
もうしわけないが、それらは地域限定の現象だ。
ところが原発の制御問題でにわかに不安は世界的な広がりをみせいきた。
各国でも、原子力発電所の開発に憂慮している。

●いいことも起きているようだ。
大型量販店の進出で地域性がなくなっていた。
街に住むひとびとがその地域への帰属感を希薄にしていた。
「おらが町意識」が薄れてきていた。
全国どこに行っても、同じ看板、ロゴがみられる。
わたしの住む町でも街の商店街がなくなってから久しい。
急激な都市化で街の構造そのものがかわってしまった。
街の人がやっている個人商店が激減している。

●でも、この地震でいかに地域住民の連帯が大切か再認識されている。
個人商店が復活するところまではいかないだろう。
――でも、街のひとが集まって声をかけあう習慣がもどってくるといな。
大型店の買い物の味気なさ。
ただ黙々と商品をカゴに入れ、レジを通るだけ。
「毎度あり。あすは太郎君の卒業式ですね」
などという言葉はかけられない。聞こえてこない。
会話を交わしながら買い物をする楽しさをひとびとは忘れている。
寂しいことだ。

●学習塾にしても――。
先生たちが外部から通ってきているチエン化された大型進学塾は。
しばらくは休校。
学校も大変らしい。
こちらはカミサンと2人だけでやっている零細塾だ。
停電の時以外は通常授業です、と胸を張って言える。

●「思うように、子どもが勉強しないのですが」
などという悩みにも応えられる。
小さいことはイイことだなどと言うつもりはない。
が、あらゆる事象にたいして冷静的確な判断をくだせるような。
勉強をすることも大切だ。
とこのところ毎日反省している。



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水の壁、凶器の水/麻屋与志夫

2011-03-15 09:49:49 | Weblog
3月15日 火曜日

●どうも大変な惨状となった。
テレビから知らされる被災地の被害は想像を絶する。
まさにこの世の地獄の様相をていしている。
わが町は被災地への救援ヘリの航路にあたるらしい。
朝からあわただしくヘリがいきかっている。
ヘリの轟音をききながらテレビをみていると被災地の災害の悲惨が目前に迫ってくる。

●スーパーではインスタントラーメンの棚がガラ空き。
ペットボトルの飲料水もなくなった。
不安におののき、自衛のために食品、飲料水を買いこんでいる。

●わたしたちの平和な日常が、
不安定な地盤の上になりたっていたことをおもいしらされた。
自然の猛威の前にはわたしたちが築き上げてきた文明など、
大海に浮かんだこの葉のようなものだ。

●津波の濁流に破壊され瓦礫と化して漂う街。
泣き叫ぶ子どもたち。
呆然とした住民のなまなましい表情。
なすすべもない。

●ヘリの轟音をききながら、
水っていったいどういうものなのだろう、とかんがえた。
地球は水の惑星といわれるほど水が豊富だ。
水がなかったら生命が宿らない。
一滴の水。
大洋の水。
水は水だ。
高い壁のようになって街を襲った津波をみていると、
水が巨大な凶器となっている。
原子炉の過熱も水を注入することで冷しているらしい。
どうも両刃の剣のようなものだ。

●これからは高台に町づくりを提案している学者がいた。
防波堤をさらに高く築くべきだと論じている。
この惨状を目の当たりにして、
人知の及ばざるところ、
と諦めずに最善の策をほどこし、
復興に努めてもらいたいものだ。




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