昨日の畑沢は、稲も稔り(みの)り出して、田んぼが黄金色に変わっていました。稲刈りは今月の下旬になりそうです。この黄金色の風景は、昔と違うところがあります。昔の黄金色には、混じり物がありませんでしたが、今の黄金色には混じり物があります。稲の中に雑草が沢山入っているのです。その雑草は畑沢では「へ」と呼ばれていました。正しくは「稗(ひえ)」のことかと思います。稗は元々、日本人の重要な食物だったそうですが、稲作が始まってからは邪魔者扱いになってしまいました。それでも、稗の丈夫さは飢饉の時には大変に役立って、村人を飢えから救ってくれたこともあるそうです。今は、やはり邪魔者です。稗が田んぼいっぱいに蔓延(はびこ)りますと、稲は稔ることさえできないようです。恐るべし、「へ(稗)」です。「へ」という発音には、かなりの憎しみが篭っているように聞こえます。従いまして、稗が蔓延らないように、丹念に「へぬぎ(稗抜き)」をしなければなりません。ところが、そのような労力が無くなってきましたので、稲の中に稗が共存している姿が見られるようになりました。
稲刈りの時期には、よく常盤小学校での運動会が開かれていました。大変忙しい時期なのですが、どこの母親たちも無理をして応援兼弁当運搬してくれました。昼になると、応援してくれてる母親の所へ行って昼食になります。当時はブルーシートがありませんでしたので、薄縁(うすべり)だったか蓆(むしろ)だったかを拡げての昼食会です。知っている人がいれば、合流します。畑沢村の人に集まったような気がします。さらに嬉しいことには、運動会場の隣には出店が店開きしていました。青年団の競技もありました。もう完全な常盤村全体の「お祭り」です。
私は小学校のほぼ全期間を通して、走れば後ろから数えた方が手っ取り早い位置にいました。それでも、運動会にはめげることなく楽しそうに参加しました。「授業がない」ためです。私は上記のとおり「遅い」のですが、妹は飛びぬけて早かったので、自分ことよりも妹の「速さ」を楽しみにしていました。今でも、妹は吹っ飛んでいればと期待しています。