背中炙り峠には、今から約400年以上前に野辺沢氏が作ったと思われる「楯」の跡があります。このことは以前から投稿していましたが、その写真をお見せしていなかったようです。
先ずは楯の中心部にあった「櫓」の跡です。樹木の葉が落ちて見通しが良くなっていますが、それでも地形が樹木のために分かりにくなっています。櫓の土盛りが分かりやすいように、白い線で囲みました。当時、この土盛りの上に高い櫓を築いて、敵の侵入を監視するとともに野辺沢城からの指令の有無を注視していたことでしょう。
楯の南西方向(村山市方面)は、深い堀切(空堀)と高く積まれた土塁で守られています。楯の跡と言われても、中々、分からない場合が多いのですが、この堀切を見せられると、自然の地形ではなくて人為的なものであることがすぐに理解できます。私も「ど素人」ながら、この堀切には納得してしまいました。白い線は土塁の地形を表しています。この土塁と向こう側の丘状の地形の間にが堀切があります。写真では見えませんが、この右側は切り立った崖になっています。