【古瀬姓が殆どの上畑沢の夏】
ところで、「古瀬」姓が出てくる江戸時代の資料がありました。野辺沢氏の家臣について書かれている「尾花沢市史の研究」で引用している「北村山郡史上所収文書」に次のように記載がありました。(縦書きを横書きにしています。)
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知行之判取之事
山検 柳渡戸 古瀬蔵人
…
…
元和四年閏三月十三日 光昌 花押
有路小兵衛 殿
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元和四年(西暦1618年)は、最上家が改易され野辺沢家も領地召し上げとなる元和八年の4年前です。この時、古瀬蔵人は柳渡戸に住んでいたのでしょうか。そもそも、この資料にある「山検」が何を意味しているかが分かりません。
また、「山形県中世城館遺跡調査報告書 第2集(村山地域)」の「畑沢楯」の説明書きには、次の様な記載がありました。
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下畑沢の旧徳専寺南部の丘陵全体が、…
…。伝承では古瀬蔵人が楯主とされる。
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「畑沢楯(山楯)」は下畑沢です。しかし、古瀬一族は上畑沢に住んでいます。楯主なら楯の近くに住居があるように思えますが、下畑沢にはありません。また、楯主が古瀬蔵人であることが事実であったとするならば、野辺沢家が領地召し上げされた後で、古瀬蔵人は上畑沢に移ったことになります。残念ながら、どれも説明できる古文書などは見当たりません。
ところで、「古瀬」も「大戸」同様に3軒の「古瀬」から始まったと言われています。