-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の隣村を訪ねました。

2014-12-08 16:31:58 | 歴史

 畑沢から背炙り峠を越えて村山市側に出ると、旧中沢村の道玄に至ります。そこからさらに南下すると丁字路にぶつかり、左方向が中沢村の入口です。昔から中沢は畑沢との関係が深く、畑沢から嫁がれた方が何人かおられます。

 さて、その中沢の住居は道路沿いにほぼかたまって建っています。道路は坂道になっていて、そのまま登っていくと、やがて家がなくなり、その辺りに建てられているのが、以前に紹介した山の神です。実は、中沢はここで終わりではなくて、さらに奥がありました。中沢集落の中を流れている村山中沢川の源流部です。そこにはあっと驚く信仰の場所になっていました。「中沢不動尊」です。畑沢で見られる社とは大違いで、大変に大掛かりなものです。

 

 この場所の中心は、勿論、不動尊が祀られているこの社です。畑沢の不動尊とは規模が違います。畑沢のお不動様は、中畑沢の一部の人によって守られてきましたが、中沢の不動尊は、中沢地区だけでなく、広く村山市内の人達によって守られてきたようです。このお堂の横には、改修されるときに寄進した方々の名前が書かれていました。村山市内の広範囲な方の名前がありました。この不動尊は、甑岳に源を発する水滴が集まった源流部に建てられていますので、下流部にあたる広い区域の方々の信仰の対象になっているのでしょう。甑岳信仰とも深い何かが関係するとも思われます。


 ここは不動尊だけでなく、他の沢山の石仏も祀られています。一番下の沢の脇には水飲み場らしきものがあり、三体の石仏があります。石仏の名前は分かりません。


 不動尊までの長い階段の途中に、各種の石仏があります。これは、「正一」の文字か見えますので、稲荷神社と思われます。

 一目見ただけで怖い姥地蔵です。白目部分がわざわざ白く塗ってありますので、他地区での姥地蔵よりも迫力があります。

 

 「金」の文字から察するに、金華山大金寺(現在の金華山黄金神社)と思われます。畑沢の金華山とよく似ています。

 

 よくいろんなところで見かけますが、何の祠かが分かりません。御存知の方がおられれば、是非とも教えてください。

 

 不動尊の脇に建てられていました。地蔵とも思えますが、そうでないようにも見えます。博学ならぬ「薄学」の私では見当が付きません。

 以上が石仏等でした。結構、賑やかでしょう。

 さて、全く違ったところに目を向けましょう。これは、不動尊脇を流れる沢水の中にあった石です。畑沢の千鳥川の石とは全く異なります。それぞれ地区の川の石は、それぞれの地区の地質を反映しています。例えば、千鳥川の石は、流紋岩、砂岩等ですが、村山中沢川の石は、甑岳から流れ下ったものが大部分かと思います。地質図を見ると甑岳の上の方は、安山岩だそうですから、私にはよく分かりませんがこの石の大部分もそうなのだと思います。確かに千鳥川産の石とはまるで違います。

 

コメント
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