先日、おしぇど山で新たな楯跡を畑沢の先輩とともに発見しましたが、さらに楯跡が広がっている可能性がありましたので、昨日(平成28年5月3日)、単独で調査を行いました。これまで、畑沢では背中炙り峠の楯以外には「山楯」しか発見されていませんでした。ところが、「おしぇ様」を案内していただいた時に、おぇど山にも山楯とは別に楯跡が見られました。山楯がある尾根とおしぇど山の尾根は、東に伸びて標高291.9mのピークで一緒になっています。その同じピークからは岡田沢方向にも尾根が伸びていますので、その尾根にも楯の遺跡が存在する可能性があります。この場所を調査しないでは、重大な欠陥になりますので、何としても現場へ足を運ぶ必要がありました。
そこで、岡田沢と北の沢の間から山へ入ることにしました。写真は県道からその山の方向を撮影したものです。山と田んぼの間を真横に横切っているのは昔の街道の名残で、今は田んぼのあぜ道程度に使われています。しかし、昔の街道ですから国有地になっているものと思われ、土地改良の対象から外されて、そのままの形を残しているようです。この街道跡の上は森林になっています。山へ入る前のこの段階で林が台地状になっているのが分かると思います。明らかに台の上が平坦になっていることが分かります。私の期待は大いに膨らみました。
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木が生い茂っている崖を立木を掴みながら5mほど登ると、やはり上は平坦でした。ただし、何段かに分断されています。ここで、すぐさま段差のある平坦部をそれぞれ調べればよかったのですが、私は別の方向へ調査の方針を定めていましたので、それを後回しにすることにしました。これが大きな誤算の始まりでした。結果的に実行できなかったのです。ただ一つの収穫は、この一角に建物の敷地跡見られものがあったことです。畳で20畳以上の正方形の周囲に溝が掘られておりました。建物の屋根から滴り落ちる雨水を排水するためのものに思えます。この屋敷跡は、楯に関するものか、それとも楯とは無縁の住居等のものかは分かりません。ここは街道に隣接していましたので、後者の場合も十分に考えられます。
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ここで、私は誤った方向へと進んでしまいました。おしぇど山との関係を調べたかったので、尾根を東に向かって登っていくことにしたのです。しかし、楯跡を示す曲輪や堀切は一切見つからず、夥(おびただ)しいくらいの炭焼き窯跡がありました。東に登れば登るほどに坂が急峻になっていました。これくらいだと堀切や切岸をわざわざ作らなくても十分に敵の侵入を拒むことができたのでしょう。五月三日だというのに、気温は30度近くになっている中で、ほぼ熱中症かと思えるほどに頭がボーっとなりながら、ついに頂上の291.9mに辿り着いてしまいました。ここまで登るつもりはなかったのですが、地図の読み方を誤りました。そして、スタート地点に戻る体力は皆無状態です。おまけに全く予期していなかった尾根に入り込んでいました。これで、調査はTHE ENDを迎えてしまいました。
さて、楯の調査もあるのですが、美しい花や新緑にも目が奪われました。今年最後のタムシバです。外のタムシバはほとんどが散りかかっています。
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タムシバが終われば、ツツジが咲きます。今はまだ蕾ですが、間もなく花弁を拡げます。
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最近、山菜として人気のコシアブラです。十分に成長していますので、もう採られることもないでしょう。観葉植物のカポックのような葉を展開します。
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畑沢でも「楢枯れ」でミズナラ、コナラ、栗が大分、枯れてしまいましたが、全部が枯れたわけではありません。若い樹木は生き延びました。元気な若葉が萌えていました。
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