-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

田植え二日目

2016-05-16 20:51:05 | 近況報告

 昨日は田植え機が故障して田植え作業が中止になりましたが、今日は別の田植え機が到着しました。「別の」と書きましたが、「新しいの」とは書きませんでした。実は中古品だそうです。でも、立派な機会です。運搬してきたトラックから下に降ろすときは、傾斜がきついので、前の方が跳ね上がって転倒する可能性があります。そこで写真のように、二人がかりで曲芸のような形になりました。

 

 早速、田んぼでの実践です。しかし、直ぐに機械を使いこなすことはできません。機械を熟知している人がつきっきりで指導しました。お陰で、操作を覚えたようです。

 昨日の歩行型の四条植えから乗車型の五条植えに変わりましたので、やはりかなり作業が早くなりました。しかも乗車タイプは歩行タイプと比べて疲れないようでした。

 これで最新式の機械なのかなと思っていましたら、遠くの田んぼで八条植えの乗車型が来て、瞬く間に仕事を終えて帰っていきました。上には上があるようです。

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畑沢トップの田植え開始 だったのですが

2016-05-15 21:18:22 | 近況報告

 好天が続いて、一足早くの田植えを手伝いに行ってきました。畑沢に限らず、この時期の田植えはかなり早い方です。植える苗は、早生種の「秋田小町」です。

 田植えのために、農業用水路にも水が引かれています。千鳥川から水路に水を揚げるのに、昔は川を堰き止めましたが、今はポンプで汲み上げています。そのために堰き止める労力は不要になったのですが、代わりに電気代がかかるようになりました。

 田植えは機械で行われました。昔は御存じのとおり手で植え、次に二条植えの機械になり、さらにニ倍の四条植えの機械、ついに五条以上となり乗車型になっています。写真の機械は四条植えの歩行型ですので、一昔前のタイプになります。最初は順調に動いていましたが、突然、機会が停止し、ついには機械屋さんが見ても修理不可能でした。結局、田植えはできないままで本日は終了しました。明日、別の機械を持ってきて再挑戦となりました。犬も手伝いに来ていましたが、ただ眺めているだけでした。猫の方がましだったかもしれません。

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畑沢へワラビ採りに行きました。

2016-05-08 18:14:21 | 近況報告

 甥(おい)が畑沢へワラビ採りに行くというので、私もお仲間になりました。甥は長年、外国に勤務していましたが、ようやく今年から山形県内勤務となりましたので、時間的な余裕が出てきたようです。畑沢へ行くのも十年ぶりになるのかもしれません。世の中がグローバル化などというものになりましたので、何処が勤務場所になるのかが分からない時代になりました。私の息子も今年からマレーシアに勤務し、娘もシンガポールに住んでいます。外国などに縁のない私たち夫婦は二人だけで山形に住んでいます。と言うよりも山形に住んでいることができています。世の中は、良くなっているのか悪くなっているのか、どのように考えればよいのでしょうか。

 さて、肝心のワラビです。全体的にはまだ早いというところです。ただ、日当たりが特に良い所だけは少ないながらも収穫できました。ワラビは「山菜」ですが、我が実家では「畑菜」です。山の中の畑は耕作放棄されて、萱(カヤ)などが生い茂って原野になっています。そこにワラビが生えています。ワラビ畑になっているのです。当然、実家専用のワラビ畑ですので、他の人が収穫することはできませんし、私もよその土地で山菜取りをすることなどはありません。「山菜だから誰でもが何処ででも採ることができる」というのは、誤った思い込みですので注意が必要です。

 田んぼは「田起こし」を終えて、代掻き(しろかき)の準備ができています。早い田んぼでは今度の日曜(5月15日)ごろに田植えが始まります。私もそのための準備運動を始めています。腰が痛くならないようにする筋トレです。結構、効果がありまして、毎年やっています。

 五十沢へ向かうスーパー農道に登ると、視界に遠くの新緑が広がります。北側には、宮城県との境に立ちはだかる奥羽山脈が伸びています。右から、荷鞍山(にぐらやま)、翁山(おきなさん)です。翁山の山腹にはかすかに残雪が見えます。

 

 畑沢から峠を越えて五十沢側に出ると、そこはもう尾花沢市ではなくて村山市になります。五十沢と一口に言っても、実態は二つの集落です。南側が上五十沢で村山市に属し、北側は下五十沢で尾花沢市に属しています。畑沢からのスーパー農道は上五十沢につながっています。

 スーパー農道というのは、作る時は山形県が行いましたが、完成すると地元の市に移管されて、それぞれ村山市道と尾花沢市道になっているそうです。写真右側に写っている道路は、村山市道と言うことになります。この村山市道は昨年に修復されているようです。白線とガードレールにお金がかかっているように見えました。

 遠景の葉山を見たくて、同じ写真を拡大してみました。残雪が沢山見えます。葉山は大きなカルデラになっていると聞いたことがあります。もし、本当にカルデラだとして、かつ円形だったとしたら、直径が約3.5㎞ほどの大きなものになります。葉山はカルデラの北東側がぽっかり崩れた形になります。写真は崩れた側からカルデラの中を覗いていることになります。カルデラの中は冬の西風によって運ばれた大量の雪の吹き溜まりになります。そのために、今でも残雪が大量に残っています。

 あっ、それから手前の山も見て下さい。新緑がきれいです。

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「山楯」と「おしぇど山」の楯跡に続く新たな楯跡を探しました。

2016-05-04 17:58:16 | 歴史

 先日、おしぇど山で新たな楯跡を畑沢の先輩とともに発見しましたが、さらに楯跡が広がっている可能性がありましたので、昨日(平成28年5月3日)、単独で調査を行いました。これまで、畑沢では背中炙り峠の楯以外には「山楯」しか発見されていませんでした。ところが、「おしぇ様」を案内していただいた時に、おぇど山にも山楯とは別に楯跡が見られました。山楯がある尾根とおしぇど山の尾根は、東に伸びて標高291.9mのピークで一緒になっています。その同じピークからは岡田沢方向にも尾根が伸びていますので、その尾根にも楯の遺跡が存在する可能性があります。この場所を調査しないでは、重大な欠陥になりますので、何としても現場へ足を運ぶ必要がありました。

 そこで、岡田沢と北の沢の間から山へ入ることにしました。写真は県道からその山の方向を撮影したものです。山と田んぼの間を真横に横切っているのは昔の街道の名残で、今は田んぼのあぜ道程度に使われています。しかし、昔の街道ですから国有地になっているものと思われ、土地改良の対象から外されて、そのままの形を残しているようです。この街道跡の上は森林になっています。山へ入る前のこの段階で林が台地状になっているのが分かると思います。明らかに台の上が平坦になっていることが分かります。私の期待は大いに膨らみました。

 木が生い茂っている崖を立木を掴みながら5mほど登ると、やはり上は平坦でした。ただし、何段かに分断されています。ここで、すぐさま段差のある平坦部をそれぞれ調べればよかったのですが、私は別の方向へ調査の方針を定めていましたので、それを後回しにすることにしました。これが大きな誤算の始まりでした。結果的に実行できなかったのです。ただ一つの収穫は、この一角に建物の敷地跡見られものがあったことです。畳で20畳以上の正方形の周囲に溝が掘られておりました。建物の屋根から滴り落ちる雨水を排水するためのものに思えます。この屋敷跡は、楯に関するものか、それとも楯とは無縁の住居等のものかは分かりません。ここは街道に隣接していましたので、後者の場合も十分に考えられます。

 ここで、私は誤った方向へと進んでしまいました。おしぇど山との関係を調べたかったので、尾根を東に向かって登っていくことにしたのです。しかし、楯跡を示す曲輪や堀切は一切見つからず、夥(おびただ)しいくらいの炭焼き窯跡がありました。東に登れば登るほどに坂が急峻になっていました。これくらいだと堀切や切岸をわざわざ作らなくても十分に敵の侵入を拒むことができたのでしょう。五月三日だというのに、気温は30度近くになっている中で、ほぼ熱中症かと思えるほどに頭がボーっとなりながら、ついに頂上の291.9mに辿り着いてしまいました。ここまで登るつもりはなかったのですが、地図の読み方を誤りました。そして、スタート地点に戻る体力は皆無状態です。おまけに全く予期していなかった尾根に入り込んでいました。これで、調査はTHE ENDを迎えてしまいました。

 さて、楯の調査もあるのですが、美しい花や新緑にも目が奪われました。今年最後のタムシバです。外のタムシバはほとんどが散りかかっています。

 タムシバが終われば、ツツジが咲きます。今はまだ蕾ですが、間もなく花弁を拡げます。

 最近、山菜として人気のコシアブラです。十分に成長していますので、もう採られることもないでしょう。観葉植物のカポックのような葉を展開します。

 畑沢でも「楢枯れ」でミズナラ、コナラ、栗が大分、枯れてしまいましたが、全部が枯れたわけではありません。若い樹木は生き延びました。元気な若葉が萌えていました。

 

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