四国の山は急斜面で、一気に川の中に流れ込むのですが、当然流れも急です。
急な流れによって土砂が削られ、大量の土石が川の本流へと流れ込んできます。
美馬市脇町に流れる大谷川においても、土石の流出に困っていたようです。
明治政府の御雇い治水技術者であったオランダ人のヨハニス・デ・レイケの指導により、大谷川に築かれたそうです。
徳島県に多数築かれたようですが、現存してるのは脇町の「デ・レイケの堰堤」だけになっています。
デ・レイケの遺構としても、四国にはここ脇町のみとなっています。
急な流れによって土砂が削られ、大量の土石が川の本流へと流れ込んできます。
美馬市脇町に流れる大谷川においても、土石の流出に困っていたようです。
明治政府の御雇い治水技術者であったオランダ人のヨハニス・デ・レイケの指導により、大谷川に築かれたそうです。
徳島県に多数築かれたようですが、現存してるのは脇町の「デ・レイケの堰堤」だけになっています。
デ・レイケの遺構としても、四国にはここ脇町のみとなっています。