アネッティワールド

日常の体験から・・・

棚田の里 蔵王橋

2021年03月08日 09時30分11秒 | 和歌山

あらぎ島の棚田へ行く途中に

赤い吊り橋「蔵王橋」というところを見つけました。

二川ダム湖に架かる全長160メートルの赤い吊り橋です。

昔は車も通れる橋だったそうですが今は通行禁止です。

両側のダム湖の透明度が凄くて

何ていう色なんだろう?エメラルドグリーン?ターコイズブルー?

わかんないけど、とにかく綺麗な色でした

 

 

橋の向こうに何があるのかな?野菜を片手に綺麗な女性が渡ってきました

桜の蕾を見ると何故かウキウキします。

「もうすぐ春だ ポカポカ陽気がすぐそこに

 

ダム湖沿いの480号線にはたくさんの桜並木が続いているのです。

調べてみると1000本の桜が一斉に満開を迎えるそうです。

 

今年の花見はどうなるのかな?

去年は一度も花見に行けなかったけれど今年はどうなるのかな?


解除後 あらぎ島へ

2021年03月05日 12時37分38秒 | 和歌山

緊急事態宣言の解除が大阪で発表され(3/1)

初めての他府県移動です。

それでも密を避け外で楽しめる処を探しました。

 

その結果見つけた所が「日本棚田百選」に選ばれた

和歌山県有田川町の「あらぎ島」

漢字で書くと「蘭島」と書きます。

何度もテレビで紹介されていましたが

結構大阪から遠いので行く機会がありませんでした。

展望所には1台車を停めるところがありますが、

道の駅「あらぎの里」から歩いて700メートルで行けるのです

季節によっていろいろな顔をした棚田が楽しめるようですね。

今回は行きは高速、帰りは国道480号線を使って

のんびり帰りました。(9時間)

 

途中色々楽しめるところがあったので

随時載せたいと思っております


串本 海金剛

2021年02月15日 09時44分35秒 | 和歌山

今日月曜日の報道を見てあらためて驚いたのですが

13日深夜の福島沖地震は阪神淡路大震災と同じ大きさだったんですね。

場所によっては10年前の東日本大震災より揺れが大きくて長かったそうです。

だから家財道具の被害も大きかったと言ってました。

酒屋さんは今回の方が多くビンが割れたとも言ってました。

 

コロナで ただでさえ売上が落ち込んでいるのに

食器・グラスが全部割れた飲食店の店主の気持ちは計り知れません。

隣で奥様はただただ泣いていました 

 

震源地が深かったので津波が無かったのが不幸中の幸いでした。

 

さて串本の訪問先も残すところあと2つです

海金剛(うみこんごう)

朝鮮半島の金剛山からその名をとったそうなんです。

ピラミッド型をした鋭く尖った岩礁が見事でした

波の激しいときは岩礁に打ち付ける水しぶきが迫力満点だそうです。

 

今日のニュース

30年と半年ぶりに平均株価3万円超え

ワクチンの期待が高まっているんですね

 

 

 


樫野崎灯台(かしのざきとうだい)

2021年02月07日 23時50分27秒 | 和歌山

和歌山県最南端が串本と言うことは

本州最南端が串本と言うことなんです。

 

その串本潮岬の東側に紀伊大島という小さな島が有り

その最東端にある灯台が樫野崎灯台です。

 

紀伊大島にはトルコ記念館日米修交記念館など

小さな島に大きな歴史が詰まっているのです 

トルコ軍艦遭難慰霊碑 です。

灯台の手前の官舎に台風の中、傷を負ったトルコ人が扉を叩き救助を求めたそうです。

初の日米修交の歴史はアメリカのペリー提督が黒船で浦賀に入港(1853年)となっています。

ところがそれより62年も前にアメリカの商船2隻が大島に寄港したという記録が

アメリカの文献に残っていたそうなんです。

(当時は松平定信伊能忠敬が活躍していた時代です)

 

商船は中国に毛皮を売りに行ったのですが失敗し

帰りにここに寄ったのですが

暖かい和歌山の気候では毛皮の存在も知らず商売不成立だったそうです。

 

小さな島に歴史のロマンがいっぱい詰まっている串本でした

 

 

 

 


友情でできた トルコ記念館

2021年02月04日 00時28分03秒 | 和歌山

誰もが嫌われるより好かれる方が心地いいですよね

そこで親日国を調べたら

どの資料でも上位が台湾・パラオ・トルコがランクインしています。

 

トルコが親日国であることは有名ですが

そのきっかけとなったのがエルトゥールル号遭難事件です。

トルコと言えば日本で言う戦国時代の頃

オスマン帝国と言ってヨーロッパ・アジア・アフリカの3代大陸にまたがって領地を広げていたけれど

西洋列強にどんどん領地を奪われていきます。

日本やアジア諸国も江戸・明治にかけて不平等条約で苦しめられていました。

そんな共通した両国が親密になり

使節団派遣として和歌山沖で遭難したのがエルトゥールル号だったのです。

 

1890年9月

台風で岩礁に衝突したエルトゥールル号乗組員660~70名の内587名が死亡

残りが救出されたそうです。

写真中央の岩礁に衝突し

台風で荒れ狂う波の中を船員は自力で這い上がり

灯台官舎にいる日本人に血だらけの状態で身振り手振りで救いを求めたそうです。

 

台風で漁に出られず食料の魚も少なく

当時貴重だった非常用ニワトリや卵サツマイモなどを提供し

村を挙げて生存者の救援に努めたそうです。

 

それから100年後

イラン・イラク戦争で

日本人がイランから脱出できない時に

トルコ航空は旅客機を出し200名以上の日本人を救援してくれたことも有名です。

 

そんな串本町とトルコが姉妹都市である記念として

トルコ記念館があるのです。