宮城県南三陸町へやってきました。
ここにも隈研吾の建物が。
防災対策庁舎
3階建て12m、当時6mの津波が来ると予想されていたので庁舎では
住民を守るために職員は任務についていました。
この8枚の新聞を読むには時間がかかるので
とりあえず写真に収めて帰ってから拡大してゆっくり読んでみました。
津波到達まで6分しない! 高台に避難しろ!
高台に避難するより屋上がいい!
チリ地震の時の津波は5.5m
12mの屋上に行けば大丈夫
当時約60人の職員が任務に就いていたそうです。
6mから10mの津波と気象庁から情報が引き上げられ
「屋上さ上がれ!」
4枚目の記事は壮絶で15.5mの津波が押し寄せてきた時の様子が
詳細に書かれています。
アンテナポールにしがみついて助かった2人の職員の様子や
手すりに押し付けられた町長含む8人の生存の様子など記されています。
屋上では職員が流されないように円陣を組んで高齢の住民を守ったり
その時にフェンスを握りしめた痕がひと月も残ったそうです。
やがて津波は引いたものの第二波や余震に怯え
マイナス0.2度の極寒にも耐えなければならなかったそうです。
町役場職員の犠牲者数は36人、町人を含めると831人だったそうです。
「生き残った者に後ろめたさはある」と佐藤町長が。
その後役場は標高61mの所に建てられ正面玄関の定礎板のステンレスの箱には
佐藤町長が書いた犠牲者への手紙がそっと納められている。