先ず「全ての福大を出たクソ馬鹿野郎どもよ。この門を通る時に全ての望みを捨てよ!」
出展は分かるかい?ゴルゴ13にも載っているよ。ヒントはイタリアの傑作文学だ。
さて百貨店の籠絡さ加減は、一番佐賀で見られる。
佐賀の連中は基本的に商業主義的権威主義的負け犬根性を出す事に抵抗がない。
これは大分や宮崎にも言えるのだが、これは残りの鹿児島、熊本、長崎は保っている。
理由だが「1時間の電車の旅」が問題である。
例えば佐賀や大分は1時間で電車の旅ができる。
そして熊本は九州新幹線で、その垣根が超えるのだが、熊本県民は「利口」ではないので、贔屓買いを優先する。
鹿児島は輪をかけて贔屓買いをする。
これは往々にして利口ではない。
だが、利口が進むと「福大効果」(もう、効果として名前を前に出すね…、冷血漢の卑怯物体の集団と看做しているですよ。ハイハイ。)によって商業施設が陳腐化するのです。
これを何とか食い留まらせているのが「北海道物産展」でして、鹿児島・熊本・長崎のデパートでドル箱となっているものでして、長崎の田舎では長崎市と佐世保市が競っているとか?まぁ田舎で田舎のデパートがある時点で長崎が「利口ではない」=「福大ではない」=「非福大効果」の実践の場と言える。
まぁ九州だけじゃなくて、東京でもそうだけど「デパートの催し物性」と「モノが良い!」と「集客性」と「テレビでやっていたバイヤーが認めた品質」と「何か知らんが、兎に角人が集まっている、乗り遅れるなぁ〜、田舎者なら尚更効果」がバンバン効いて、私は「かりん糖魔神」であったり「クッキー魔神」であったり「キャラメルマン1032.143号」であったりして、このお祭性を楽しんでいる。また周囲も期待する。
この「北海道物産展」こそが「デパートの最後の砦」でして、これが無いと、雪崩をうって、デパートが潰れます。(これマジね)
東京のそれもそうだけど、あれは年3回で1回の催し物が1週ではなく、それ以上のものとなっている。
期間は田舎になるほど長くて2週間を超えているものも少なくない。
この「何時もあるなら、そこまで殺到しない」、「たまにあるから、嬉しい」、「まぁ何か知らないが雄大で、自然で、何か良い」(この「何か知らないけど」ってのキモね!)
この妙に「いい塩梅」がアウフヘーベンするけど、例えば「京都展」でも「加賀展」でも、この「盛り上がり」は無いのよ!
先ず、その一「一番安いもの=キャラメル・かりん糖・クッキーが100円ぐらいで買える」、「安物でも特別性がある」、「季節のものである」(実際は違うが田舎者は、そう思う習性を持っている)、「その横には、ちょっと背伸びすると、ワンランク違うお土産が出来て、配る人間毎に、差別化が嫌味なくできる」(これ、社用族には不可欠の要素ね!)、「妙なものが当然のようにある」(ハッカの楊枝・ナプキンは、結構笑えるけど、いいモノ)、「まぁ良いから『黙って買え』」と言われると「田舎者の弱み」で、ついつい買ってしまう。(北海道の純朴な人にのみ有効で、そうじゃないとヤクザ=チョングソとなりますので、見つけ次第、全滅します。)
思うに、これに匹敵するのは「大分の最終兵器」ではないだろうか?
「昭和物産展」である。
別名「レトロ物産展」である。
この大分の「昭和記念館」も然ることながら、「大正レトロ」、「明治レトロ」が存在している。
私としては「明治レトロ」には「電車の前触れ」をやって貰いたい。
この「電車の前触れ」は「大名行列の前触れ」の伝統が影響している。
江戸時代、大名行列を前にしては平伏しないといけない。それは急には出来ないので「前触れ」がやって来て「お大名行列が来まっせー!宜しう平伏下さいませー!」と前触れが居たのである。当然勉強不足の糞馬鹿文化系大学出の脚本馬鹿は知らないだろう。
さて、明治時代、この「前触れ」が職にあぶれ、何をしたかというと「電車の前触れ」をしたので御座います。つまり「電車が来まっせー、危のうおっせー!」と電車の前を走り回るのでありまする。
これ?面白く有りませんか?例えば鹿児島・熊本・長崎ともに市電が走っております。
レトロ物産展の間、「風物詩」として「前触れ」が電車道を走り回り、「おや?前触れか!…、そうか…、そんな季節になったんだな…」と妙な「洗脳」と「妙な風物詩」が実は、結構筋時代の話なのに「そういうものなんだ」と言う妙なバイアスが、妙に、浸透させる…。
と言う事で、先ずは「昭和レトロ」攻撃を開発しましょう。