まぁ「ザ・文学」のホザク低能さ加減には、最早言う事は何もない。
石原慎太郎は「太宰治」の系列になるのだろう。「生きていてすいません」
全く、この体たらくには、立川談志も「語るに落ちる」って言うか「騙るに堕ちる」だなぁ〜!「文学野郎!」
先ずだが、都知事のみならず、例えば市長や町村長は「水資源」の関係が有り、主管しているので、水汚染の問題は必ずマークするのである。
つまり、地方自治の基本である、一番低レベルな行政は水問題が基本としてある。
多分、この馬鹿野郎、偉そうにしている尊大文学野郎は、この事を知らないのだろう。何故か?馬鹿だからだ。文学で黙らせている馬鹿だからだ。低能だからだ。
脳梗塞を先ず最初に逃げ道にしていたようだが、その割には「天気晴朗なれど波高し」とか色々な事をホザイテイた。
それは「その程度の記憶の存在」であり「ひらがなも覚えていない」とはどの口がホザイテイたのだろう。
それは文学者というのはご都合主義で、権威主義で、卑怯で、口先でごまかして、科学的な問題を今となっては、主観や、一般化して誤魔化す低能な糞馬鹿文化系大学出のその姿である。
ベンゼンやヒ素が出ていて、それで魚河岸を動かすのは「金の論理」と「その場限りの苦し紛れ」だったと自ら白状しているのに、それを分かっていないんだね?
もう、この「老いぼれ」に何をホザイても無駄でしょう。ただ、石原伸晃君は、都議会での影響力は限りなく小さくなり、石原一族は、極めてしょぼい存在となるだろう。
大体、石原一族は「姑息」で「卑怯」な一族で、その矮小な品性を誤魔化すために「恫喝」の如き「言葉を使うのだろう」
私は、一向に怖くない。何より、恫喝と思しき事をホザイた時には「あぁ〜あ、談志があの世で嘆いているぜぇ〜、この提灯鮟鱇、底に沈んで黙っていれば嵐はいつか消えるとでも思っているのか?そんで、自分の矮小な自尊心とやらを満足するのは、提灯が照らす狭い狭い、オマエの文学の世界とやらだろう。狭い狭い文学の世界の、更に矮小で矮小な石原文学の世界。それは嘘とごまかしとご都合主義の混在で、中心に居るはずのザ・文学とやらは、パーで低能で何もわからない。報告も受けず決断したって馬鹿じゃないのか?これは任命責任も然ることながら、説明責任もないし、分析判断能力は絶望的に不可能だ。」
この文言を「老いぼれ・ざ・ぶんがく」に叩きつけてみろ!
そんで、枕詞は「脳梗塞でござい」か?全く、逃げる準備をしているのか笑われる準備をしているのか分からないぐらいだぜぇ〜。
てめぇ、利口なつもりのまともなつもりの抗弁かも知れないが、何も皆が言わないのは「これはいよいよ、子供帰りか?」と、その文言の稚拙さと、下らなさに目眩に似た絶望感を感じての事であり、石原慎太郎とホザク与太郎の威嚇ごときに、たじろいだ訳じゃねぇんだよぉ〜!この糞馬鹿野郎!
何か知らないが、はっきり言ってオマエの言行録は、この下らない対応で、評価が急降下!チョングソ・虫獄・そんで石原与太郎の寝言が一番相場を下げたものさ。
端的に言えば「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿とは知らなかった。」と言う事だろう。
また「脳梗塞の攻撃的な痴呆症」には、分からない事だし、虫獄の古典をまさか石原与太郎が分かっているとは到底思えないで言うのだが「言は諫を防ぐに足り、力は制止を払うに足り」とは、誰の言葉か知らないだろうな?商王朝を没落に落とした紂王こと受王を評した言葉だ。
そして、その言葉をそっくり石原与太郎の墓碑銘とするのだがよかろう!
よくある低能の1種。
世間をまぜこぜにして、後は放り出した、最低の物体。
まぁチョンや虫獄とよく似ていること、
支那支那とホザイているが、オマエの脳みそも到底まともと言えず、決まり文句の通り「シナシナの矮(しな)んでいる脳」って事で、お後が宜しく無いようで、その後は、どう決まりを付けるかくたばる前に談志に合わせる顔ってのを、今の崩壊寸前のバカ面から作ってみせろ、そうじゃなければ、あの世では談志に怒鳴られる地獄が永遠に与太郎さんのその後だろうさ!