歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

「世界一受けたくない授業」の嘘。「何故徳川家の将軍は長命なのか?」「鰹節」これは明確な嘘です。

2018年07月28日 21時17分11秒 | 糞馬鹿文化系大学出が分からない世界

これは「極めて知能の低い糞馬鹿文化系大学出」による「江戸時代」の歴史捏造か「馬鹿故の間違い」なのです。
昔週刊ジャンプの中で中島丈博の「名古屋の堤の大工事」の漫画を覚えている。
まぁ中島丈博さんの「迫力あり過ぎる表現力」で、キン肉マンの「意味は分からないが凄い自信なのは分かる」の例え通り「すンごいキツイ工事だったんだろうが、何でそうなったのか?」が不明なのであったのだが、その後分かりました。
上方、尾張、江戸の3大都市の中で、毎年洪水が無いのは上方や京都ぐらいで、尾張や江戸は毎年凄い水害にあっていました。
中島丈博さんの「名古屋の治水事業」は尾張の治水を薩摩藩が命令を受けて、でも徳川家からの嫌がらせと財政問題で艱難辛苦の末に完成させたというものです。(ググっていませんが、これは正しいようです)
この治水工事の後には尾張の水害は大幅に減ったと聞いています。
ですが、江戸の洪水は明治の「荒川」の造成まで毎年3回はあるのです。
この洪水があると、浅草などの低湿地の庶民の生活区では、石や木で造られた水道管(石樋・木樋)を使っているのですが、これが洪水に汚染され、洪水後には家康が恐れる「胃腸病」(主に細菌性大腸炎とか、赤痢、コレラ等)が発生したのです。
これはテレビドラマ「仁」の描写が正確です。
この情報は「ブラタモリ」で聞いた東京の人々の「伝説」から推定したものです。
大体、江戸時代の「洪水」「地震」「火事」の頻度から考えると「時代劇」や「時代小説」の作家は「発狂家」と言った方が良いようなものです。
先ず、20歳になるまでの生存率は50%で、その殆どが「流行病」(はやりやまい)であり、主には胃腸病である。
この時代は「腐ったもの」を食っての食中毒も多い。
また「気に病んで胃腸の調子を狂わせて死んだ」と言う典型は「蜀漢」の皇帝「劉備玄徳」の「夷陵の戦い」の後、逃げ込んだ城の中で「下痢」で死亡した。
この「下痢」は小児・老人の死亡率の上位にあり、この頃は「体内ミネラルの欠乏」による「心臓麻痺」が殆どだった。
江戸時代の死因は「労咳(結核)」と言いたがる奴が居るが、それは明治以降の話であり、江戸時代は胃腸病が基本だったのである。
この胃腸病の死因は「都市」に特徴的なもので、農村では、この「胃腸病」による死亡は都市ほど無かったようである。
ただ、江戸の環境衛生レベルは世界最高で「百万都市」は「百万人が生きられる場所」であり、糞まみれのEUや虫獄や糞舐め汚い嘲賤では、到底百万の人口は維持できなかった。
揃いも揃って糞舐めだったのだ。
フランスでもビクトル・ユーゴーなどの文豪が、日本の屎尿処理に関して激賞している。
さて、健康法の嘘としては、鰹節を挙げていたが、これも時代が違う。
鰹節や醤油などが出てくるのは1700年頃で、この頃でも生利節程度のものが基本で、黴付けの本節は1750年ぐらいまで存在していない。
1700年頃には「溜まり醤油」が出てきたが、それまでは「味噌」を「湯」で溶かした「擂り流し」が醤油の代わりだった。
また、この頃大きく変わったのは「蕎麦」であり、寛文年間では「蕎麦切り」は、ほぼ存在せず、元禄時代に出始める。
その頃の蕎麦は「蒸籠蕎麦」である。
これは長崎五島の田舎蕎麦なんかの出来損ない蕎麦と同じで、5cm以上の長さを維持できない蕎麦だった。
二八蕎麦の繋ぎ入れの方法や、水回しの熟達により元禄末期には、蕎麦切り=蕎麦麺が今に近くなってきた。
だが醤油と本節が無ければ蕎麦のタレは出来ない。
情報として、残っているのを知らないが、私はこの頃、蕎麦の出汁には「煮干し」と溜まり醤油を使っていたのではないだろうか?
今は道場六三郎の影響で「命の出汁」=鰹節の出汁となっているが、我々としては、鰹節の出汁は庶民は使わないものだった。
味噌汁の出汁は「煮干し」だったと言う可能性が高い。
まぁ「鬼平犯科帳」の話に関しては「通貨」が嘘と思えるが、あの時代にならないと、つまり1780年ぐらいにならないと「蕎麦」が手繰れ無いのである。
啜って、喉越しで蕎麦と出汁の味と香りを楽しめなかったのである。
そう今の蕎麦は250年程度の歴史なのである。
平安時代には「蕎麦掻き」しか無かったのである。



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