○キイロイトリ「イズレ オトラヌ イナカ ダワ」
雨が止んだので、職場からバイクで来て、30分くらいの糟屋郡内なのだが。
エンジンを止めて休む。ざわざわと秋の風の音がする。虫の声も。随分涼しくなった。
休憩してウィルキンソンのレモンを飲みながら、落ち着いてきたら今度は音楽を聴く。
(こういう時は前回の続きで
BGM: The Ordinary World / Duran Duran (「(The Wedding Album)」))
これってSonyのMD Walkmanの奥菜恵ちゃんのCMの曲だったな。結局MDって一度も使ったことないけど。
…昭和40年代生まれの殺人容疑者の事件報道を聞いていて考える。江戸川乱歩の「群衆の中のロビンソン・クルーソー」という言葉を思い出している。その年代からゼロから始めて普通の何かを求め直すというのも大変だろう、ということには思い至る。顧みれば自分だって、友人も少なく会社と自宅の往復に近く、もう十数年かそこら、街中の仙人のような単身独居生活であり、業務遂行のスケジュールで生きているわけで、この年齢にして親しい家族や近所の人々や友人に囲まれた平和な家庭生活にあるとはとてもいいがたい。
辛うじて、仕事がある(それも一人だと処理能力が飽和状態に近くて常に積み残しばかりで、生きてたとしても定年後だろうと死ぬまで続きそうな膨大な累積作業量である)こと、何かを読んで考えること、そして音楽を聴いている時間があること、くらいである。贅沢はできないが、それらのおかげで、アルコールやドラッグやギャンブルや反社会的破壊活動に陥らずにすんでいるのかもしれない。
音楽を聴くことは、最も無駄で贅沢な時間の量の消費の仕方(平たく言えばもし聴かずにその分の時間を節約して仕事に集中していたらこれまでの人生でどんなに無駄なく成果を上げられたか)ともいえるし、逆にそれがあった分、最も精神的に救われているともいえる。最初の就職先の先輩に「お酒がおいしいのわかるなら、晩酌したら?」と勧められたけど、胃腸と頭が疲れるので晩酌の習慣は結局身につかなかったのだ。飲むよりも「一時間、何か聴いている」方がいい。10代~20代の鬱の季節の時からそうしている感じだ。本当は音楽の方も中毒性はかなり高いのかもしれないが。
帰宅後のBGM:
孤独のグルメSeason4 (終)#12 東京都恵比須の海老しんじょうと焼きおにぎり(テレビ東京系、TVQ 9/24 23:58~)
音楽:The Screen Tones
最終回にラスボスか!?我らのRANGEもとい石橋蓮司登場ww。迫力。
松重さんが立ち去るラストシーンが、池波正太郎の時代劇みたいな風情の絵になってる(爆)
(いやほんとにこの二人で時代劇ありそうじゃない?)(20140925)