館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ミュールスキナー・僕の育った音楽Mの仲間達その5。

2011-01-15 06:22:25 | 僕の育った音楽


この、余りに有名な「名盤」とその由来は、これまた語りつくされていますです。

で、以下・コピペであります。


1973年、ビル・モンローがロサンゼルスのテレビ局KCETでのショー出演のためにツアー・バスで向かっているところ事故に遭遇し、ショーそのものが不可能になるという危機を迎えます。その穴を埋めるためにテレビ局はロス在住のブルーグラス・ミュージシャンに連絡を取り、急遽セッション・バンドを組み立てて番組を作ることとなりました。

ここで呼ばれたのが、リチャード・グリーン、ピーター・ローワン、ビル・キースというモンローゆかりの人たちを中心に、モンロー・フリークで有名なデヴィッド・グリスマン、バーズ解散後フリーとなっていたクラレンス・ホワイトという、その当時ロックをやっていたミュージシャンばかりでした。


コピペ終了。

どうも、これがまた、「グラスロックの金字塔」とか、言われているのだけれど、僕は「そうなのかな?」といつも思っているのだった。

クラシックブルーグラスも、新しい、ロックやフュージョンの洗礼を受けた、若いミュージシャン達の世代になって、若い感性達は、古い縛りに果敢に、新しい感性を「ブルーグラスに注ごうと」していたように思う。

それが、偶然から、見事に開花・結実してしまったわけだが、偶然ではあったろうが、ある意味、生まれるべくして生まれた、時代の申し子のような「アルバム」だと思う。

このアルバムこそ、以降、新しいブルーグラスの大きな道しるべとなったと、僕は思っている。

名盤・名演・・・・時の流れの中で、忘れられてゆくブルーグラスのアルバムがある中、この1枚は、必ず残り・語り継がれ・聴き続けられると信じて、僕は疑わない!

はるか、もうすぐ40年にならんとするが、ブルーグラスの世界の「クロスカップリング」の名盤は、すでにここに存在したのだった。

コメント (8)
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