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限界集落(げんかいしゅうらく)とは過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指すらしい。
長野大学教授(高知大学名誉教授)である大野晃氏が、高知大学人文学部教授時代の1991年に最初に提唱した概念である。
全国の山間部・島しょ部でいま65歳以上のお年寄りが半数を超える集落約7900。防災、教育、医療、公共交通の機能が損なわれ、農林業は廃れ、里が荒れている。それは又、速度を速めて、進行しているようである。
著者は、あの「ゴミの島豊島(てしま)」の取材で、菊池寛賞受賞した方だ。
その著者が、岡山・鳥取県境の過疎の集落を3年間密着取材した見事なノンフィクションの本がこれである。
綿密・濃厚な取材で、淡々と語られる現実が、まさに読み手に迫る力作だと思う。
限界過疎の現実・まさにもうすぐ限界集落になるに違いない村の動いているような時間の流れや、空気が語られ。
その中でも、必死に土地に相い・手にかなうブドウの栽培などで、限界に立ち向かう農家の姿なども取材されている。
そして、最後は、あの豊島のルポが記述されている。
そんな本である。
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僕が、舌足らずあるいは、中味の無い饒舌で、語るより、「終わりに」での筆者の一文が、見事なので、それを引用したいと思う。
「戦後日本人の均一的な価値観と生活設計が、東京一極集中の一方で、多くの限界集落を出現させたのは事実だろう。農業のプロとして生きていきたいという新規就農者が都会から移り住むそこは本来、都市住民の先祖や両親、兄弟のいる、ふるさととしての「巣」があった場所である。
日本の若者だけでなく、親たちにも突きつけられているアイデンティティーの不確かさの背景には、「心の過疎」「心の限界集落」がやはり横たわっているのではないかと思えてならない。」
国土が狭いと、嘆くわが日本・・・それなのに、不便と、ふところの集落を捨て、そのバックボーンの山林・水源を見捨てている。その山や、水源は、隣国富裕層のお金で、買占めが着々と進んでいる。政争に明け暮れる東京・永田町では、そんな、ふるさとへの一瞥も無い。
都市だけで、暮らしが成り立つはずは無いのだ・・・
そこで食べる、植物や動物や魚は、どこで育ててもらうのか??
「都市が自立できるなら、原発を都市の真ん中に置き、都市で畜産、農業、水産を賄ってください」などという、過激なことを語っていたネットの書き込みを目にしたが、その気持ちわからなくは、ないわな・・・