広大な敷地・・・・
僕が紅顔の美少年だった頃、ここは、見事に湿地で、ヨシ原の所々には、小さな池のようなものがあった。
県立館林美術館に行ったのだった。
最高気温ほど全国区ではない、美術館で、企画展以外に、集客は難しいのだろう・・
池には、鯉が泳ぎ・・・蓮などが綺麗だった・・・
名は、かすかに聞いたことのある、なぞに満ちた若き版画家の遺作展だったのだ。
ウィキな!
「藤牧 義夫(ふじまき よしお、1911年1月19日 - 1935年9月2日失踪)は、群馬県館林市出身の版画家。 日用雑貨小売を営む自宅の二軒隣りに、七歳年上の藤野隆秋(天光)が住んでいた。父は永年教職にあり、小学校長も歴任し、「三岳」と号し絵や書をよくした。小学校時代から美術が得意で周囲を驚かせた。 上京後商業図案などを学ぶかたわら、ドイツ表現主義の影響を受けつつ独自の版画様式を確立。 全4巻・全長60メートルに及ぶ「隅田川絵巻」はその代表的作品。 24歳のとき東京で失踪。墓は館林市朝日町法輪寺。」
いや、見事と、言うか・・・・
天才を感じる作品だった。
しばし、息を呑み・・・立ち尽くした。
どんな言葉も、軽薄で、近在の方!!!
見るべし!!!!
と、いって置く。
研ぎ澄まされた、ナイフのような、作品の鋭利さを感じた・・・僕であった。
ここも写真撮影は禁止なので、写真はありまへん。
美術館の敷地を隔てる、西の土手。
土手は、道路になって、日向地区に続く・・・
ここのみ、昔の面影を残していた・・・
今はまあ・・・車も通れるぜ。良くない・・・・
T中学校から日向地区へ続く土手道は、沢山の学友が通っていたのだった・・・