館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

生誕100年 藤牧義夫展に行ってきた・すごく良い!

2011-08-19 06:16:54 | 旅は続く


広大な敷地・・・・

僕が紅顔の美少年だった頃、ここは、見事に湿地で、ヨシ原の所々には、小さな池のようなものがあった。



県立館林美術館に行ったのだった。

最高気温ほど全国区ではない、美術館で、企画展以外に、集客は難しいのだろう・・



池には、鯉が泳ぎ・・・蓮などが綺麗だった・・・



名は、かすかに聞いたことのある、なぞに満ちた若き版画家の遺作展だったのだ。

ウィキな!

「藤牧 義夫(ふじまき よしお、1911年1月19日 - 1935年9月2日失踪)は、群馬県館林市出身の版画家。 日用雑貨小売を営む自宅の二軒隣りに、七歳年上の藤野隆秋(天光)が住んでいた。父は永年教職にあり、小学校長も歴任し、「三岳」と号し絵や書をよくした。小学校時代から美術が得意で周囲を驚かせた。 上京後商業図案などを学ぶかたわら、ドイツ表現主義の影響を受けつつ独自の版画様式を確立。 全4巻・全長60メートルに及ぶ「隅田川絵巻」はその代表的作品。 24歳のとき東京で失踪。墓は館林市朝日町法輪寺。」


いや、見事と、言うか・・・・

天才を感じる作品だった。

しばし、息を呑み・・・立ち尽くした。


どんな言葉も、軽薄で、近在の方!!!

見るべし!!!!

と、いって置く。

研ぎ澄まされた、ナイフのような、作品の鋭利さを感じた・・・僕であった。


ここも写真撮影は禁止なので、写真はありまへん。



美術館の敷地を隔てる、西の土手。

土手は、道路になって、日向地区に続く・・・

ここのみ、昔の面影を残していた・・・

厚顔紅顔の頃・・・ここはやはり土手で、人や自転車が通れるだけの道には、ちから芝が茂り、土手の斜面にはクサボケが茂っていた。

今はまあ・・・車も通れるぜ。良くない・・・・

T中学校から日向地区へ続く土手道は、沢山の学友が通っていたのだった・・・





コメント (4)
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