未練を絶つように高速船はやや波の高い沖を進む・・・
2日目の旅日記は、いつもの如く与太記事・・・「またあいつは、気楽な~」と、ご批判のお方は、このページは読まないほうが・・・
と
船は、1987年釧路湿原以来の、国立公園になった、慶良間諸島・・その中核をなす座間味島についたのだった・・・
毎年11月はここに来ている、ダイビングのメッカにして、ホエールウオッチングのメッカの島は、そのような観光客でこの時期も盛る。
僕は、ひたすら、まったりと民宿の屋上で、呑み・読書・昼寝のリフレインが主たる目的でやってきているのだった・・・(ほとんど、このようなバカはいないのだ・・昼の座間味は観光客は海に出て、閑散・・)
波止場を過ぎ、そこから伸びるメインストリートを進む・・・ほどなく右に座間味幼稚園・小学校・中学校が開け、その道路の反対側に僕がひいきの「ペンション高月」があるのだ。
僕の部屋。
いつものように、貸バイクで、島を一周。背骨のような山の南側に3つの集落・・北側には、集落は無く、断崖絶壁の名勝があるのみである。
3つの島からなる座間味村は戸数523・人口924だが、この中核の座間味島には、323戸・584人が暮らしている。
沖縄戦で米軍が最初に上陸した地だ。米軍の上陸を前にこの島が大規模な空襲を受けるのは、45年3月23日のことである。1500機の米軍機が襲いかかり、座間味集落は消失した。その後も空襲・艦砲射撃は続き、3月26日、夜が明けると海の色が分からないほどの米艦艇に島が包囲されていることを、島民は知り、そして米軍は、上陸を開始したという。
かならず、この「平和の塔」の前に僕は立つことにしている。これをしないと、この島に1日とて滞在してはいけないように思っている(自己満足かもしれないが)。
「平和の塔」・・1945年3月22日、米軍は沖縄攻防戦の防波堤であった慶良間諸島を海空から攻撃し、同年26日、沖縄戦の第一歩となる上陸が行われたのが本村です。当時、最も惨酷悲惨だった集団自決者402名を含め、軍民合わせて1220柱の英霊を慰める平和祈願の塔です。」と書かれている。座間味や渡嘉敷・・そして、島出身で沖縄戦で散ったつかめるだけの人数だろう・・・
島の北に気になるバンタ(絶壁)がある。しかも道のようなものが絶壁にしがみつき、降りられそうだと、前回思った場所だ。
絶壁は100mはあるだろうか?
遊歩道?やがて、綱場など現れ・・・遊歩道は崩落した場所が数か所・・もはや、使われず結構な年月の風情・・ここまで、かなりボサ・・サンダルの僕はアダンやススキで、かすり傷がついたり・・・かすかに血がにじんだり・・・
ついに、草が茂り前に進めない場所に・・・・たぶんあと30mほどで海に着きそうなのに・・・断念!
周回道路には、展望台が数か所ある。
むき出した地層を眺めたり、阿真ビーチを眺めたり・・・
ビーチにバイクを進め、貝を拾ったり、流木などで足つぼ棒を削ったり・・・・裸足になって、波とあそんだりと・・・
1時を目標にバイクを返し・島の漁協の売店でつまみを買ったり・島に1軒だけのジェネラルストアで泡盛・氷・つまみを購入し、ついに屋上でメインの時間に突入した!
たまらんなぁ・・・・
毎回ほぼ1時から5時まで、ここでまったりなのだが、今回はゲストが加わった・・・・写真のこやつ・・・
かっぱえびせんを買ったのがいけなかったか?どうもえびせんの包に僕が手を入れると反応するのだ・・
そして、うとうとすると道路むこうの電柱にいるこやつは、屋上の柵に近づき移動・・だが、止まったときの「カン!」という柵のアルミの金属音で僕は目が覚める・・そうすると、また電柱へ・・ついに3時間は、こやつと遊ぶことになったのだった・・・
最後に、1個だけかっぱえびせんをあげたのであった・・・
結構心地よく酔って、暗くなる前に島を散歩・・・・
明治34年(1901年)初代村長松田和三郎が鰹漁業を創設し、沖縄県土に広める。座間味産の鰹節「慶良間節」は良品の代名詞として知られるが、沖縄移民が担い手になった日本統治時代のミクロネシアなどの安い鰹節(南洋節)に押され、後継者不足などにもより産業としての鰹漁は途絶えた。戦前の島を支え、暮らしを成り立たせたのは鰹節だったのだ。村役場には「鰹節発祥の島」の碑が建っていたが、今年は役場が新築に入ったらしく、碑は学校の庭の隅に、仮保存されていた。
尖閣にあった暮らしの跡も、鰹節の工場であったわけだ。
その初代村長の銅像など、学校に入り口に鎮座している。
部屋に戻り、シャワーなど浴びて、一休み・・・
11月の座間味は、毎週「ファン感謝月間」となうって、村祭りが波止場で繰り広げられる。
民宿はすべて夜の食事は無く、島中の店が出店を出す。
そして6時から11時ころまで、大芸能大会が繰り広げられるのだった・・・・
おでん・タコのマリネ・餃子・トン汁・・・・最初はオリオン・・やがて、泡盛だわなぁ・・・
毎回のことだが、訓練されたエイサーを汗が飛び散る近さで味わえるのは素敵・・・
そして、最後はおきまりのカチャーシーで皆踊るのだった・・・
僕はここらで、酔いが回り中座。
そのまま、布団にばったりで、朝を迎えるのだった・・・・
朝飯・・・納豆がうれしい・・・・
こうして、今年の僕の座間味は終わったのだった・・・・ルン♪