衝撃を持ってこの本を読んだのは、大学生になってまもなくであった・・・
伊江島・・・島の北西部には在日米軍の伊江島補助飛行場があるなど基地の島だ。一時は島の面積の約半分が米軍基地であったが、島民による基地返還闘争が継続的に行われ、5度にわたり部分的な返還がなされた。この結果、基地の面積は島全体の35%となっている。
その「島ぐるみ闘争」の起こり・70年までの経過・・・・闘争の実態を中心人物が語るこの本は衝撃的であった。
分かりやすい語り口の表現・刻々と揺れ動く情勢・まるで読み手はその島で今起こっていることを学習しているような感覚になり、あっという間に読める。
僕でも3時間はかからなかった・・・昨今の情勢で、また刷られ入手は簡単になった。この本だけは一読をお勧めする。
基地闘争のすさまじさ・非暴力・無抵抗で戦ったその島民の見識など、今こそ読むべき本だとおもう。
この本が、どうしても伊江島に行けと、僕の背中を押し続けたのだった・・・
ついでながら、1992年に出た、まあ続編のような本だが、上記本に続いてお勧めする。
闘争を語り続けるために、阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんが、自分の土地を売り開いた「反戦平和資料館」がこの「ヌチドウタカラの家」だ。
膨大な資料・戦争中の生活品、遺品・米軍の砲弾などが記録展示されているが、彼の残した沢山の文章(今で言えばコピーか?)が所狭しと貼られている。
説明不要なほど、言葉が並ぶ・・・・
日本軍は残虐であった。奪うことはあっても、与えなかった。鬼畜と呼ばれた米軍は食べ物を与えてくれた。
ここに、占領軍への「淡い期待」もあって、土地を奪う事に、訴えれば分かってもらえるとなんとなく期待もあった。
それも、裏切られ続け、「軍隊というものは、命と暮らしを奪うものだ」と、至る。
掲げられた「陳情規定」に、ここの闘争のすごさが集約されている。
武器を持たず・こぶしをあげず・無抵抗の抵抗・非戦の見事な戦いを行った姿がここにある。
知恵と高い道義で戦ったのだ。
展示の一端。
すごいねぇ・・・深い思いを抱いて、彼らの戦いの跡を追った・・・
畑の中に忽然と、米軍の通信施設が現れる。
北西部にハリアーパッド、西側に射爆撃場、中央には飛行場がある・・・そのエリア。
写真を撮っていたら、ここに雇われている、日本人の守衛が出てきて「写真は禁止だ」と威嚇する。
「どこの基地でも写真を撮っているがそんなこと言われたことはない」
「あなたは同じウチナンチュだろう?なぜ、多くの県民は基地は要らないというのに、あなたは米軍を守る?」
「同じ日本人同士を対峙させて、おかしいとは思わないのか?」と論議をふっかけてみる。
捨て台詞に「とにかく禁止です」とのたもう・・・僕は彼が写る様にシャッターを切った。
このゲートから程なく有名な「団結道場」がある。
土地返還闘争の過程で、哲学・政治・経済と学びが必要だと、彼ら自身が「学習の場」と建てたものだ。
ここで、農民達・その戦いを受け継ぐ子供達が学んだという・・・
すごいねぇ・・・
本当だねぇ・・・
補助飛行場という、長い滑走路も突然畑の中に現れる。
入るのは自由で、どうも、普段は道路?になっているようだ。
留学生も増え、大学が国際的にますますなっている。その留学生達がこの事態を目の当たりにしたら、何と思うだろうか?
と、この学長は述べ、受け入れないことを表明した。こんな記事が、伊江島に行った当日の新聞記事だった。
そして、僕が訪沖の間に、こんな恥ずかしい事態が・・・
わし、本当にヤマトンチュウとして、恥ずかしかっただよ。