館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

久々に「さきたま古墳群」を訪ねる・・WITH海坊主。

2015-07-19 05:21:24 | 旅は続く
ちと、行った日は古いが、十分中味は耐える・・・と、思う。




丸墓山古墳という、日本最大の円墳を登って・・・・



20世紀の考古学上の貴重な発見があった「稲荷山古墳(こちら前方後円墳)」を眺める・・・!

埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」を海坊主と散策した。

この古墳群・・・県名発祥の地とされる「埼玉」(さきたま)の地にあり、前方後円墳8基と円墳1基の大型古墳が残る全国有数の大型古墳群である。現在は国の史跡として整備がなされている。なお、かつては大型古墳の周りに陪臣の小型古墳があり、円墳35基、方墳1基からなっていた。しかし、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊されてしまっているのだった。



公園内に「博物館」がある。「埼玉県立さきたま史跡の博物館」が正式名称だ。

写真「企画展示室」・・・ここ周辺の縄文から古代の遺物が展示されている。



こちら「国宝展示室」!




まさに国宝の中の国宝。

この館の象徴である国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」は、埼玉古墳群の稲荷山古墳第1主体(礫槨)の出土品。剣身の中央に切っ先から柄(つか)に向かって、表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が刻まれている。古墳時代の刀剣に刻まれた銘文としては最長である。冒頭の「辛亥年(しんがいのとし)」は西暦471年と考えられ、作刀者の「ヲワケの臣(しん)」の8代の系譜、「杖刀人首(じょうとうじんのかしら)」の職について「ワカタケルの大王(おおきみ)」(雄略天皇か?)の政治の補佐役を務めたことが書かれている。

レプリカで無く本物が展示してある。

よくぞ、国に持って行かれずここにあったもんだ。ここらあたり、学芸員嬢としばし歓談・・・「がんばったんです~」とな。

わし、しっかりほめてあげただよ。



古墳石室の千葉からの石・・・古墳断面を剥いだ地層断面。



将軍山古墳「石室内部」の復元。

すべての古墳を回ること2時間・・8000歩。



移築古民家でくつろぐ海坊主。



食菌「ベニヒダタケ」・・・ほかにも食菌「サケツバタケ」など生えていた・・・秋・・・楽しみだ。




この古墳群を中心に、取り巻くように数キロの範囲にも古墳がある。

ついでなので、土日のみ「復元石室」に入ることの出来る「八幡山古墳」にやってきた。

関東の石舞台とも呼ばれている。

みなさん、ここさきたま古墳群はおすすめです。
コメント (2)
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