館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

わが心の岡田京子・・2日連続のコンサートだった。

2020-07-02 04:20:22 | 音楽を思う


我が音楽の師匠・岡田京子さんのコンサートが、隣町の大泉であった。

この場合、伴奏を仰せつかるのは、もはや予定調和なのであった。

緊張もするが、楽しくもある。

27日初日・・(コンサートは、密を避けるため、2日にわたり、限定15名という贅沢さであった)。

昨年、9月の末に我が家で「岡田さんと夕飯を食べる会」いらいだったので、しばらくぶりなのであった。



彼女もまた、3月からまったくコンサート含め、集まりがキャンセルであるとか、成立せずであるとか、そんな状態だったらしい。

「久々よ」などと言っておられた。

80の暮れ・・・というお年頃である。

本番1時間前・・・やっと演目も決まり、楽譜(読めないのでお守り!)を渡された・・・
全部はやらない・・・流れで・・ということだったが、渡された8枚のうち、知っている曲は3枚・・・
コードなど弾きやすいものに変えて、リハーサルで感じをつかむ以外になかった。

少し、ほんの少し彼女に、年相応のレスポンスの曖昧さなど感じた。初めて感じたな。

テンポ含め、しっかりサポートしなければと・・・・思った。



普段は40分ハーフ、前半後半でも、4曲か?お客さんにしっかり歌ってもらうスタイルの彼女であったが、前半飛ばし過ぎ、後半このままではもたんぞ・・・
などと心配になった。

この日打ち合わせという飲み会であった。鈴木幹夫さん・せいごうさん・ミネさんという豪華布陣での飲み会だった。

鈴木さんは岡田さんと、浅からぬ中である・・・こんな時は彼だ!と、2部では3曲ほど披露してもらう。(打ち合わせもなく、突然振ったが、動じずやっちまう辺りさすが!)
かなり受けていて、あの人の事教えて下さ・・などと、この後問合せなどがあった。

そして、鈴木さんの作ってくれた雰囲気のまま「光の春」で、コンサートを終えることが出来た。

明日・・・大丈夫かな?などと、多少よぎりながら、また明日!なんて岡田さんと話をして、夜の宴の準備に戻った。

フクロウの子守歌(笠木透)・あの日の地蔵盆(石井たかこ・詩曲)・いつもそばに(小林千賀子)・光の春(笠木透)




28日・・1時開演なので、30分前に着く。

演目は変えないということだったが、コンサートの後、周りからの声もあったか?しっかり変わっていた。

まぁ・・彼女の場合よくある話なので、(変更曲はなじみの物だったのでホッとした)リハーサルで、少し詳細を詰めて本番を迎えた。

2日目の慣れか?

彼女も落ち着いて、いつものような1曲をしっかりのスタイルに戻っていて安心した。

安定感という点では、初日と見違えるほどであった。

進行についても、一緒にいらっしゃった方が、時々タイムを入れるので、岡田さんも安心のようだった。

歌も安定、そして、力強いアコデオン復活であった。



伴奏するほうも楽しい、そんな2日目だった。

偉大な、そしていい女である。

僕の音楽を変えた2人ミュージシャンの内、1人のかけがえのない方である。

音楽は誰のためにあるのか・・・・・僕は、彼女の前に立つと、いつも背筋がピンとしてくるのであった。


また、我が家で「岡田さんと(俺の作った)夕飯を食べる会」は今年も出来る予感がした。

筑豊の子守歌(大野隆司)・ふるさと(石塚克彦)・空よ雲よ(石井彰)・時はながれて(岡田京子・作詞作曲)・光の春(笠木透)


1日の2m圏内接触者。

濃厚接触・・女房・(会社・社長・永井・清・大)・斎藤・・6名。
会社(立ち話)・HA・・・・・・・・・・・・・・・・・・1名。
会社(すれ違い)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8名。
Aコープ(すれ違い)・・・・・・・・・・・・・・・・・・5名。
コメント (2)
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