「なごらん学徒」「ずいせん学徒」「積徳学徒」「梯梧学徒」「宮古高女学徒」「八重山高女学徒」・・・・。
ひめゆりは、生き残った方々が、贖罪・・・生き残ってしまった悔い・・・にさいなまれ、慰霊のための塔を建て、二度と戦争はの思いを伝えるべく、そのよりどころとなる場所を作った。
そして、世に、知らしめるべく活動したので、知らない人が居ないほど、「ひめゆり学徒隊」は有名になった。功績は言うまでもない。
だが、女子学徒隊は他にも、全沖縄で組織された。皆、ゆかりの地に「慰霊碑」は建つが、残された方々の声が小さかったか?知られていない学徒隊も多い。
だが、受けた悲惨は、ひめゆりたちと同じような状況だった。たくさんの若き知性が亡くなった。
当時あこがれの女学校・・・沖縄第二高女・・・彼女たちも、砲弾に吹き飛ばされ、あるいは、進むに進めない、穴の中に追い詰められ、自害する。
1945年2月・第24師団第一野戦病院に動員・動員数46名・・・犠牲者17名。
ゆかりの場所をめぐると、呼吸が苦しくなるのだ。
その白梅学徒隊が、映画化されるようだ・・・ドキュメンタリーとドラマ・・・で。
網張って、いけそうな場所を見つけ、絶対観たいねぇ・・・・
そういえば、この白梅隊の追体験・・・まだ、せいごうちゃんもミッキーもまだだねぇ・・・・
まだまだ、通わないと、現地に立たないとな!
15日の2m圏内接触者。
*ビバホームフード・・・3名。
*濃厚接触・・女房だけ。