館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

2015沖縄旅その1・辺野古は緊迫であった!

2015-04-06 06:40:38 | 旅は続く






こうした動きは貴重で、拍手を贈りたい。

圧倒的な支持で、辺野古反対の民意が示された沖縄に、無視をし続け、やや形勢不利とみるや「会談だけはする」ポーズの政府。

国と対等なはずの「地方自治」への中央集権的横暴に声が上がらないとすれば、地方自治は腐っているというほかないだろう。

そんな、現場が、ここ、「辺野古」だ。



この辺野古湾を置き去りにするように、あの写真の左の岩の向こうに、海を埋め立て、v字の巨大な滑走路が建設される。その海は、ジュゴンの生息域だ。



湾のそばに立つテント村。

恥ずかしい思いを抱きながら、ここ辺野古テント村を、僕は何度訪ねたろうか・・・
今回は、行きたいという女房を連れてやってきた。

事前にアクセスし「もし差し入れするなら、、」と発信されたブツを買い込んでやってきた。紙コップ・紙の深皿・単一乾電池・カップ焼きそば。
那覇のドンキで結構大量に仕入れ、差し入れであった。

署名をし、現地スタッフの話を聞いた。

連帯の意を表明し・差し入れ・そしてこうして、配信・・・が、精一杯のヤマトンチューの僕が出来るすべてだ。



僕が帰るころには、4000日を越える座り込みが、ここで行われている。ここの現地スタッフも、いつになく、緊張していた。



いよいよ辺野古の埋め立ての作業が始まり、その土建の様々が搬入される、「キャンプシュワブ」のゲート前にやってきた。



今は、阻止・抗議行動の前線だ。

車が通過する道路に、車が通るたびに「stop!埋め立て」のアピールをする人々。



泊り込みで、座り込みを続ける人たちのブルーシートの小屋。



沖縄全土や、全国から、阻止のために集まった人たちが、集い、歌や・主張のため、人々が、ひっきりなしにマイクに向かっていた。



ゲートの中の様子を、監視するスタッフ。



戦後70年・・・戦争をしなかったこの国だが・・・戦後70年・・・奪われ・自治を蹂躙され続けている日本もある。

原発は、原発の土地は、民主主義的手続きで、地方が選択し供給された出来事だが、ここ沖縄は、住人の意思を無視し、土地を奪われ今に至っている。
戦後70年の日本と、モノクロームに語れるほど、牧歌的な国では無いのだ。




なんて、素敵な、抵抗だろうか?!



ここには、フォークソングがあった。

ウイシャル・オーバーカム!

だが、この歌に頼らない、日本のフォークソングを、ここに掲げられれば・・と、思った。

かさぎとおる・・・・かれの、歌を、ここに掲げたいがな・・・・

そんな、白昼夢が、ふとよぎった。


背筋が寒くなり・ほてり・熱くなる、鮮烈な想いで、この地を後にした。

僕も、何かは、出来るだろう・・・・・



コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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賛同 (空子)
2015-04-06 09:46:37
差し入れを持って応援に行くだけで立派。
気持ちは届いてる。
勇気づけられたでしょう。
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空子さん (オ サム)
2015-04-06 20:03:12
なんだか、こっちが、勇気をもらった・・・!
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