館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

天寿・あさ開きなど・ある日の晩酌テースティングノートその148付き。

2010-11-19 06:54:04 | グルメだ!



久々に家族で砂肝焼き。



かぼちゃを煮た。

写真・鍋の中・・もうすぐ煮上がる。

今年は今だ、極旨にめぐり合っていない。




ホウレンソウのおひたし。

ホウレンソウはこれからだね。

霜に当たると、ぐんぐん旨くなってゆく。




畑の生姜を味噌で・・・

あきらかに、酒のつまみが、ご飯のおかず・・・・

まあ、喜んで食べてくれているのでOK!



秋田由利本荘市の名酒「天寿」・その純米大吟醸。

まずい訳がない。

中庸・みごとなバランス。

深い味わいと、豊かな吟醸香がたまりません!!

ちと、高いのが残念。




岩手県盛岡市のこちらも名酒「あさ開き」だ。

零度で貯蔵したフレッシュな生貯蔵酒・スッキリした辛口、こちらも中庸・バランスが実に良い。

ほとんど料理を選ばないのではなかろうか?

で、見よ!コストパフォーマンスは、悶絶状態なのだ。
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息子と行く沖縄終章・沖縄博物誌2010・秋。

2010-11-18 06:35:31 | 旅は続く


小桜の「そうめんチャンプルー(ソウミンチャンプルー)」。
キャベツとそうめんのみ。最高に旨し!



ミミガーのピーナツバター和え。上品な味なのだ。
どこぞのブログでは、鳥の羽が賑わした。

鳥の羽だって、皿に乗るのだ・・・豚の耳もねOK!



沖縄の畑・・・こちら、規模が小さい農家と見た。
手前にオクラ・奥は島バナナ。右奥にはパパイヤの木が見える。
その間は島ラッキョウだ。
もっとも手前のしょうがのような植物は「月桃(げっとう)」。
姿の如くショウガ科だ。綺麗な花で、育てたいったら育てたい!!



島ラッキョウの畑・右の雑草風は紅芋だ。
本島の南は、この白っぽい土「島尻マージ」だ。弱アルカリなので、植物を選ぶのだ。
パイナップルはダメよ。
南部の畑では、北の赤い土「国頭マージ」を客土しているのを、かなり見かけた。
っと・・・こんな話に興味を引く人は少ないに違いないのだ・・・



菊に白熱電球をあてて、開花を調整する「電照菊」の栽培が南部は盛ん。
夜は綺麗に違いないのだ!!見てみたい!!



ムカデの仲間の交尾・・・・かね?かな?

5センチはあるか?「アフリカマイマイ」。
沖縄ではあちらこちらで見かける。
たぶん食料で持ち込まれたのだろうが、体内に寄生虫(広東住血線虫)が居るので、極めて危険と聴く。

僕が写真を撮っていたら、中高年観光客氏が、「でかいね~と」あっという間に触ってしまった・・すぐ、手を洗うように説明した、ったく!!



「ムラサキオオヤドカリ」・・・・。
小笠原諸島では、結構貴重で国の天然記念物に指定されてるらしいが、沖縄ではかなり頻繁に見る。巨大な陸生のやどかりなのだ。
で、沖縄ではかなり多いので、かなり曖昧、ペットショップでも売っていたり・・・
捕まえて飼ったり・・が曖昧みたい。

坊主は持っていって飼いたい・・と、こやつの前で10分以上悩んでいた。

飼うのは容易らしい・・

じっとしてればいいのに、人間が近づくと、殻に丸まるので、石の上などから転がり落ちるのが間抜けなのだ・・・



試験的操業・・



このように生るとは!アボカド!おそるべし!




このマメ科の実は、ゆうに50センチは越える。完熟で、茶色くなったサヤは南米の楽器(シャカシャカ振る)だ。

ホウオウボク!

花を初めて愛でることが出来た。うれしい!そして、まあ、南国の美しさ!



木の実はかなり気になる・・・これも美味しそう!と思ったが、食べられないらしい。
「オオイタビ」。



荒崎海岸では、小さな花を咲かせていた。ランのような姿だが、名前は不明。



日本一大きいらしい・・・



今回のキノコ!

キクラゲ。

かなり参った!2mほどの木にびっしり!
坊主と、採ろうかかなり悩んだが、写真のみとした。
現在台所のストックはあまり気味・・であった。



今回のシーサー・・・品がね、無い!牧志公設市場の西の公園内の「ふれあい館」のやつだ。



最後に今回の「反省」の写真な。
1枚目は、あの普天間や嘉手納に、何も出来ないヤマトンチュとして、反省しておるのだ。

2枚目は、たぶん、昼真っから酒にかも?



3枚目は、忘れたが、日々、反省は大事だよな~~

さて、これにて、2010沖縄秋の巻き、終了なのだ。
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息子と行く沖縄・2010秋の旅その2。

2010-11-17 06:45:02 | 旅は続く


「沖縄旅・・お前の希望は?」
「買い物と、食い物だな・・あとは任せる」だと。

本日は観光。午後にはたっぷり「自由時間(買い物らしいよ・・・)」の日程だ。

本場の「エイサー」が聴きたかった(体験?)ので、沖縄ワールドに行った。



有名な鍾乳洞。さすが沖縄・・気温は高く、蒸しむしの洞であった。




鍾乳洞の僕のイメージは、狭い・寒いなのだが、ここは長く・大きく・広い!
さすが沖縄、コーラルの島!

こうした場所が好きな人には、たまらない場所ね。




お酒のハブ・木の上、とぐろをまく生ハブ。

巨大なニシキヘビを首に巻けるコーナーもあるが、なんだかな~~~

ちなみに、圧倒的にベーベーが首に巻いて、写真を撮っていた?何でだ?



地ビール・・・・晴れてたら最高だったが、雨だったのだ。雨でも半そでのこの地は大好き。



エイサーも体験。

エイサー以外にも、沢山の伝統芸能がプログラムされていて、あっという間に時間が過ぎる・・・技術はお見事!!

迫力はバツグンであった!

最後にはおきまりの「カチャーシー」を踊らされるのだが・・ありゃダメ。
始まる予感で、最前列から退散した・・・



12時過ぎにはここを出て、僕のお気に入りの店に昼飯に向かった!
ほぼ観光客は来ない「ちらー小(チラグゥワー)」に行った。
めちゃくちゃ混んでいるのだが、皆家族連れで来るので、僕らのように2人の場合、相席で、結構早く座れる。




坊主は本格的なソバを食べたいと、ジューシー(炊き込みご飯)と単品もりもりでいった。
僕はここではすっかりお気に入りの「ゆしどうふ定食」だ。




満腹で、那覇を目指す。
実は、出発の数日前に女房が「沖縄で山之口獏さんの展示が行われる」新聞記事を見つけた。
完璧に、うれしかった!
しかも、県立図書館・・宿まで車なら5分の距離だ。
獏さんの歌碑が建つ与儀公園の隣だ。



沖縄を代表する詩人・・・日本の現代詩にあって、孤高の優れた詩人である。
資料は多く、見栄えは最高であった。
大正の終り・学びの為本土の学校に入学するも、お金が回らず中退・そうこうしてる間に、親が事業に失敗し、家族は離散・・帰る家を失い再び上京・・借金・夜逃げ・・赤貧の中、それでも佐藤春夫や金子光晴などに認められ、援助など受け、作品を生み続ける。

晩年、世に認められ始めるが、つかの間、59歳で胃がんで亡くなる。
最後まで、極貧困の生活だった・・女房殿、娘の泉さんの苦労がしのばれる・・
生前第三詩集まで出版する。死後第四詩集が出る。



生活の柄

歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
ところ構わず寝たのです
歩き 疲れては
草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです

近ごろは眠れない
陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない
ゆり起こされては眠れない
歩き 疲れては
草に埋もれて 寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです

そんな僕の生活の柄が
夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて
秋は 秋は 浮浪者のままでは眠れない
秋は 秋からは
浮浪者のままでは眠れない
歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
ところかまわず寝たので

*原詩は言葉遣いがやや異なる部分があるが、もはやこの詩は、高田渡のバージョンがあまりに有名。僕らロストも歌っているので、これにしました。



その3冊の詩集・・・欲しい・・・・現物は探せば手に入るのか?恐ろしく高いに違いない。



妹へおくる手紙

なんという妹なんだろう
兄さんはきっと成功なさると信じています とか
兄さんはいま東京のどこにいるのでしょう とか
ひとづてによこしたその音信(たより)のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた 六、七年振りに手紙を書こうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思うのです
そんなことは書けないのです
東京にいて兄さんは犬のようにものほしげな顔しています
そんなことも書かないのです
兄さんは 住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなって
といつめられているかのように身動きも出来なくなってしまい
満身の力をこめてやっとのおもいで書いたのです
ミンナゲンキカ
と 書いたのです




推敲魔であった・・出版された雑誌の自分の詩のも、さらに推敲の痕・・・

この図書館・原稿など写真製版で、本にして見事に保存してあった。
常設で、「山之口獏文庫」を備えるらしい・・・本日は、その記念展示。
また、沖縄の楽しみが増えた・・・・・・・・




日程果てて、いよいよ自由時間。時間は2:30であった。
6時にロビーで待ち合わせにして、坊主とはバイバイーした。
俺は例の怪しい「古本屋(CD/レコード・本・古い物・・なんでもあり)」に行った。
古本1冊・ニールヤングの持ってないCDを購入・・・

その後部屋でシャワー・まったり・マッサージ・うとうと・TV・・・だった。




6時待ち合わせ。互いに買った土産・汚れ物・もう使わない物など持ち、土産の追加など買いつつ「沖縄スタイル」に向かう。
ここは、沖縄の1流品が並ぶ店。
最後に、しこたま、沖縄でしか買えない「古酒」を仕入れ、他の店の購入品や汚れ物などすべて、預け発送を頼む。
ここで購入した場合、それらも含め「送料」を取らず送ってくれるのがうれしい。




8時には、またまた繰り出した。
沖縄のヤキソバ(あのソバの麺で作る、本土風のヤキソバ)を食べさせたかったので、ぷらぷらしながら見つけておいた怪しい店に入った。
名前は「タンパラヤ」。



速攻で「やきそば」を注文!坊主はそうとう旨かったらしい・・八重山ではこのヤキソバは良く見かけるのだが、本島ではあまり見かけないのだ。



ちょっと「ひっかけて」次の店に行く予定だった・・なんせここは食堂風で、つまみは極めて少ないのだ。



店主は30代後半か?の、お兄ちゃん。リーゼントの髪にひげ・・サングラスをかければ、場末の呼び込み風・・・

高校を出て、東京に仕事を求めて・・「群馬にも行ったよ!」とか・・
10年以上も居たのだが、親父さんの調子が悪くなって「呼び戻された」らしい・・
まだ、ここで店を始めて3年。「沖縄は産業らしい産業がないさ・・」とか、ぼつぼつはなしをはじめ、いつしか、すっかり馴染んで、「知事選」「基地」「子どものころの話」「那覇やコザの話」と、僕と店主・坊主はすっかりこの店を気に入ってしまったのだ。

つまみも、品書きにないものが適当に出てくる。坊主は、梅酒割りを作ってもらって、正直者の顔になってくる・・



結局、TVの日本シリーズ最終戦の盛り上がりと共に、3時間、この店にたむろ。
その間、客は僕らだけであった・・
普段の沖縄が聴けて、楽しかった。
こういう出会いがね、旅の楽しみ。

写真・坊主の注文した「パパイヤ炒め」。

結局この店で最終日の夜は終わった。




翌朝は坊主の希望で、遅い朝飯・・学生生活は完全に夜型らしい・・

11時までが空いた時間。12時には空港で搭乗の準備だ。

那覇にある「対馬丸記念館」に行った。初めての場所。

疎開船が、米軍の魚雷を受け1400名を越える犠牲者が出た。軍の命で秘密にされた事件も、遺族の執念で、事実が明かされ、今も犠牲者数は増え続けている。



いたましい学童の写真が並ぶ。船は引き上げられておらず、船内の遺品などはない。
ビデオの上映などで、沈没の様子などがわかる。




屋上の高さは、対馬丸甲板から海までの高さ。
この高さから、海に投げ出され、あるいは自ら飛び込んだという。
その高さに、建物を作ったらしい。

およそ月曜休館だが、ここは木曜。それも良い。



小高い岡が背後に控え、対馬丸追悼の碑や、高台は展望台になって、中々のスポットになっている。
フライトまでのちょっとの時間で寄れる。
ここから空港まではタクシーで15分ほどだ。




隣は人工ビーチだ。海や砂浜をもう1度・・って、観光客がつかの間に訪れるらしい・・

僕は反省をした。坊主はまったりしていた。



坊主との沖縄は、こうして終わった・・・・

来年は、いよいよ女房&娘だ。

当然だが、飛行機がアクシデントで欠航・・を願ったが、叶うはずも無かった・・・
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平地のキノコその2・トウガラシ収穫付き。

2010-11-16 06:33:00 | 山菜・きのこ・釣り
2日長いのが続くと、やばいので、本日は、猛烈与太記事。

沖縄は明日、その2だす。
長いです。
すいません・・(早めに謝っておくのだった・・・)



トウガラシ系をほぼまくった。
残っているのは、ピーマン2本・タカノツメ2本だ。

本日は、伏見甘長3本・ピーマン2本・タカノツメ4本をまくったのだった。

最後は、「葉とうがらしの佃煮」で美味しく戴くのだ・・

なんかさ、骨まで愛しちゃうかんじ?



女房の手伝いが入って、良質な葉・実など選別して、そんで1時間30はかかっただす。



葉を水に晒し、アク抜きの2時間・・・平地のきのこが気になって、またまた出かけたのだ。

ここは、車で8分?自然公園なのだ。

んで、ハタケシメジが2度目の発生をしていたのだ!

エライ!!(旨い・・・・)



ヒラタケも見事に成長して、うまそうだったら、旨そうだ。



ハツタケが2度目の発生をしていたのも、本当に驚きだ。
まだまだ、僕はキノコを知らないね。



こちら、皆が見つけると踏みつけるに違いない「ササクレヒトヨタケ」。
姿に反して、上品な味。
バター炒めなど、いけるのだが・・・・




樹上のヒラタケ。



新しく発見のきくらげの木。




今回は、道具を持っていったので、樹上もOK!

釣りの道具を利用し、先端に小さな鎌をつけたブツ。

これで、3m程度の樹上なら、掻き落せるのだ。



近くでは、少年野球の坊主たちが、練習していた。



3食分!

香りマツタケ味シメジである。

今年は平地も豊作!

まだまだ、楽しみは続くのだ。

もうすぐ、エノキタケも生え始めるだろう・・・・ルン♪
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息子と行く沖縄・2010秋の旅その1。

2010-11-15 06:39:47 | 旅は続く


沖縄通いもかなりになった・・・いつもはF本観光なのだが、ある程度ガイドも可能になった我・・・「まったく1人で遊んで~(1人遊びは大事だでぇ・・)」の声もかまびすしく、ついに息子が一緒になった。

来年3月は女房・娘のツアーガイドが予定されているので、今回はその予行演習も兼ねている。
持ち物など、要綱を渡し・・「なるべく、服は~~」などと、訓示をたれると「着る物は自分で考える!若者はおしゃれもな・・・」などとのたもう・・

で、なんか、若者に人気のジーパンを履いてきたが、ところどころに穴が開いているやつだった・・・1万5千円もするそうな・・・



那覇に着いたのは7時過ぎ。
初日は、「呑み」がテーマ。宿で少し休んで、例の竜宮通りに繰り出した。
坊主は極弱い、「何とか割り」しか呑めないらしい・・ビールさえダメらしい・・

こうした、赤提灯や小料理の店は体験希少で、普段は、学生御用達の安いチェーン店なので、こういう店はうれしいらしいのだが、哀れ、コーラで乾杯だった。
沖縄は泡盛!!!よ!!!!



「小桜」

突き出しの「モズク」もラッキョウも最高!



坊主は食べる!
この店自慢の「ソウメンチャンプル」!あまりの旨さに、驚いていた。



その場で揚げる、厚揚げ。

「旨い!」「旨い~」の坊主の声を聞きながら、2軒目は「悦ちゃん」でおでんを食べて、宿に帰り寝た。
明日から始まる、沖縄漫遊が楽しみだ!!



市場を見せたかった。で、朝飯はここで仕入れた弁当と決めていた。



これで200円なのである!
油が軽く、朝から食べられるから不思議・・・この200円に坊主は卒倒しそうだった。
宿に持ち帰り食べた。坊主は、ホテルのカウンターで「カップ沖縄そば」を買っていた。
若い!




1日タクシーをチャーター。9時から5時で17000円ほどだ。
本日はお勉強の日。坊主の希望も聞いて、コースは選定。

まず、沖縄戦の16日戦争の舞台「嘉数高台」・そこから臨む「普天間基地」を見た。



東回りに、嘉手納基地を回り、「道の駅嘉手納」から、嘉手納基地を眺める。
ここは、修学旅行でバスで通過したようで、バスガイドの話など聞いていたらしく、「あそこは、弾薬庫だよな?」などと言っていた。



本土なら中世、1400年代が舞台の「勝連城跡」を見る(1400年代に滅ぶのだが、築城は12~13世紀だ)。
時代を考えれば、この築城技術がすごい!

写真・タクシーの運転手砂川氏と坊主。



最高位・一の曲輪から眼下の眺め。ここは世界遺産なのだが、遺産になっていないこうした「グスク」が沢山有って、しかも、発掘や整備されていないものが数多ある。
見事な観光資源なのだが、予算が少ない。沖縄での国や行政のお金の使い方に、いつも疑問符なのだ。




昼は、観光客御用達の「海の見える食堂・くるくま」。
自然食品会社が経営だが、アジアンエスニック料理が自慢。
経営者の趣味か?化石や遺物の博物館も併設。



昼はビールだ。



海老のガーリック炒め・シーフードカレー・・・量が多い・・・それほどでもないおあじ。



テラスの眺めはバッチリ。しばしまったり・反省など行った。



博物館・・・「隕石(たぶん隕鉄)」がね、ご自由に触れるのがステキ。
ラグビーボールくらいなのだが、10センチ持ち上げるのがやっとの重さ。




いよいよ旅は核心部。
「ひめゆり平和祈念資料館」だ、
修学旅行の高校生たちが多かった。

坊主は、心揺さぶられるものがあったらしい・・「沖縄ではひめゆりがすごかった!」と後日。



ひめゆりは、第三外科壕の跡だ。近くには、観光客がほとんど訪れない「壕」は多い。
こうした場所は、その姿が、想像力み源になったりする・・



沖縄南部戦線の司令官は牛島中将である。この陸軍は、琉球方言の現地人をスパイと疑ったり、ガマから追い出したりである。本人は「最後まで戦え!」と軍命を出し自決する。
自決は6月22日・その少し前18日には、ひめゆりに、「解散命令」が出される・・
解散たって、すぐそばから米軍の馬乗り攻撃の火炎放射、南の海からは艦砲射撃だ。

逃げるひめゆりと、住民は、南に行くしかないが程なく、絶壁の海だ。

その荒崎海岸を目指した。車で行くに、車体を何度も擦るような狭いコーラルの道だ。

写真、坊主の立つ真下は、5mほどの絶壁なのだ。



艦砲の弾で体を貫かれ、或いは「集団自決」・・そんな場所だ。
自決の場所には、碑が建つ。



3人とも言葉を失う・・・グンバイヒルガオがところどころに花をさかせている。




「ここは太平洋か?」の質問に、太平洋と東シナ海が混じる場所「喜屋武岬」に来た。
ここは、10mを越える絶壁。何人もの人が身を投げた場所だ。



写真・真ん中辺りが、太平洋と東シナ海の分かれ目なのだが・・・



いよいよ、お勉強は終盤。最後は僕も行った事がない太田実司令官率いる「海軍指令部壕」を訪ねた。

先の陸軍との「最後」をよしとせず、ここで玉砕を選んだ場所だ。

太田の海軍は、沖縄住民を陸軍とはまったく違う捕らえ方で、「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別のご高配をたまわらんことを」で結んだ最後の打電は有名だ。



資料展示はわずか・・他の壕は、いわゆる石灰岩の自然洞穴に利用なのだが、ここは、数百メートルの長さを掘ったのだ。入ると、なるほど!砂岩なので、掘れたのが分かる!



そんなこんなで、6時にはホテル。8時にロビーで待ち合わせして各々まったりした。
僕は、風呂を浴び、マッサージなど頼んだ。

8時にはまたまた繰り出した。

まず「居酒屋野朗りょう次」に行った。地元の人が多い居酒屋・・・

ここは、坊主の呑めるブツ(何とか割り・・・)があった。
やつは正直者であった・・ほとんど一杯で、顔が赤くなるのな・・誰に似たんだ??



ラッキョウ・もずく・・・旨いのだが、店はメチャ混み・・・接客など良いのだが、料理が中々出てこない・・



レンコ鯛の刺身・ラフテー・・・OK!



やはし、ハシゴ・・・・
タクシーで、栄町の「おとん」に向かった。



関西出身の経営者。

息子と、1日を語りながら呑むのも、悪くは無いな。

かなり満足の様子にホッとした。

写真・石垣島のペンギンラー油で食べる水餃子・赤いウインナと目玉焼き(坊主所望)。

ほろ酔いで、歩いてホテルに戻る・・・・

TVは戦争中アメリカでの「日系人の収容所」のドラマをやっていた。
ついつい最後まで見て、寝た・・・・

心地よい疲労で、2日目が終わった・・・・

長い!長い記事・・・読んでくれたら感謝だ!!
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