まずは、安土城考古博物館。
途中で6角を入れる安土城天守を模したデザイン。
稲作の前の食糧分布図。
トチノミ?のウェイトが凄い。
今、そんなに栃の木はないし、栃餅そんなに売ってないし。
杉の植樹の前は栃の木だらけだったのかも。
狩りや採集。
シーズンによってやることが変わります。
当然と言えば当然ですが。
物によって、豊漁、不作があるため、まんべんなくが昔の基本。
現在のように会社が出来て専業化されて、年中同じ仕事よりは、良いかもね。
銅鐸。豊漁を祈願するものとのこと。
当初は鐘として鳴らすものだったのが置物になったとか。
この時代、実用的でないものをわざわざ沢山作っていることに疑問です。
実用的な説が欲しい。
間に色々あったけど、すっとばして安土城。
立派な天守で、天下統一、権力を印象づけるのは、この城から。
以降の城はこの模倣とのこと。
湖で防御する方法も、今の掘に共通します。
通常は左端から行き来しますが、天皇は真ん中の真っ直ぐな道で迎える予定だったとのこと。
天皇のところに行くのではなく、天皇が城に来ることに意義があります。
天下布武。武力で統一を目指し、武家同士が争っているだけのイメージが強いですが、
武家、天皇の公家、比叡山延暦寺のような寺家の3つも、上手くまとまらなかった。
政治その他、武家が代表してまとめようというのが、天下付武らしい。
寺家。延暦寺焼き討ちなど、今ではとんでもない行為に感じますが、当時は利害関係で対峙する武家と変わりない存在だったようです。
城の解説は以下。
安土城の前の城。観音寺城。
標高400mと高く、日常は下で暮らしており、闘いの時だけ入る。
遅く出たので割愛しましたが、いつか行こうと思います。
後で調べると車でも行けるらしい。
暮らすには大変な過去の城。
安土城は、掘による防御を行い、標高200mで何とか暮らせるようにしたとのこと。
小谷城はもっと高く標高500m。
籠城的発想。
安土城直下の秀吉屋敷。
琵琶湖は当時の海運の要。
こんなデカい船が行き来していたとのこと。
確かに馬に乗せての物流より、はるかに効率的です。
続いて信長の館。
たった3年で焼けたので、焼ける直前もこのレプリカみたいに金ぴかのはず。
勿体ない。
家康をたたえた当時の豪華料理。
接待担当は、明智光秀。
仕度の行き過ぎを叱責されて、豊臣秀吉の援軍に回されて、
京都の本能寺の横を通過していくはずが、本能寺を急襲。
最も特をしたものが真犯人説で行くと、暗躍していたのは秀吉らしいけど、30年後に天下布武を実現したのは家康。
光秀の三日天下の後、
鳴かせてみよう時鳥が、なんとかしようとして根絶。
鳴くまで待とう時鳥が、300年笑った。
黒幕は家康?
ちなみに、鳴かぬなら殺してしまえ時鳥は、今やってるアニメで生まれ変わりの柴犬曰く、言った覚えはないとのこと。
中身の写真は撮りましたが、SNSはダメとのことで、見に来てください。