シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
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信長の館をてくてく

2020年01月18日 | 散策

まずは、安土城考古博物館。

途中で6角を入れる安土城天守を模したデザイン。

稲作の前の食糧分布図。

トチノミ?のウェイトが凄い。

今、そんなに栃の木はないし、栃餅そんなに売ってないし。

杉の植樹の前は栃の木だらけだったのかも。

狩りや採集。

シーズンによってやることが変わります。

当然と言えば当然ですが。

物によって、豊漁、不作があるため、まんべんなくが昔の基本。

現在のように会社が出来て専業化されて、年中同じ仕事よりは、良いかもね。

銅鐸。豊漁を祈願するものとのこと。

当初は鐘として鳴らすものだったのが置物になったとか。

この時代、実用的でないものをわざわざ沢山作っていることに疑問です。

実用的な説が欲しい。

間に色々あったけど、すっとばして安土城。

立派な天守で、天下統一、権力を印象づけるのは、この城から。

以降の城はこの模倣とのこと。

湖で防御する方法も、今の掘に共通します。

通常は左端から行き来しますが、天皇は真ん中の真っ直ぐな道で迎える予定だったとのこと。

天皇のところに行くのではなく、天皇が城に来ることに意義があります。

天下布武。武力で統一を目指し、武家同士が争っているだけのイメージが強いですが、

武家、天皇の公家、比叡山延暦寺のような寺家の3つも、上手くまとまらなかった。

政治その他、武家が代表してまとめようというのが、天下付武らしい。

寺家。延暦寺焼き討ちなど、今ではとんでもない行為に感じますが、当時は利害関係で対峙する武家と変わりない存在だったようです。

城の解説は以下。

安土城の前の城。観音寺城。

標高400mと高く、日常は下で暮らしており、闘いの時だけ入る。

遅く出たので割愛しましたが、いつか行こうと思います。

後で調べると車でも行けるらしい。

暮らすには大変な過去の城。

安土城は、掘による防御を行い、標高200mで何とか暮らせるようにしたとのこと。

小谷城はもっと高く標高500m。

籠城的発想。

安土城直下の秀吉屋敷。

琵琶湖は当時の海運の要。

こんなデカい船が行き来していたとのこと。

確かに馬に乗せての物流より、はるかに効率的です。

続いて信長の館。

たった3年で焼けたので、焼ける直前もこのレプリカみたいに金ぴかのはず。

勿体ない。

家康をたたえた当時の豪華料理。

接待担当は、明智光秀。

仕度の行き過ぎを叱責されて、豊臣秀吉の援軍に回されて、

京都の本能寺の横を通過していくはずが、本能寺を急襲。

最も特をしたものが真犯人説で行くと、暗躍していたのは秀吉らしいけど、30年後に天下布武を実現したのは家康。

光秀の三日天下の後、

鳴かせてみよう時鳥が、なんとかしようとして根絶。

鳴くまで待とう時鳥が、300年笑った。

黒幕は家康?

ちなみに、鳴かぬなら殺してしまえ時鳥は、今やってるアニメで生まれ変わりの柴犬曰く、言った覚えはないとのこと。

中身の写真は撮りましたが、SNSはダメとのことで、見に来てください。