シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
足漕ぎカヌー(スワンじゃないよ)と自分の足で、陸上、海上、遊びあるき

八幡山城をてくてく

2020年01月20日 | 散策

まだ少し時間があるので、近江八幡宮へ。

初詣の方で賑わっていました。

空いてたので、近江八幡宮で御朱印を頂きました。

ロープウェイで標高300mの八幡山城跡へ。

左が内湖、右が観音寺城跡がある山。

手前の濃い色の低い山が、安土城跡がある山。

当時は内湖が手前の低い山を取り巻いておりました。

低くても、城を掘で囲めば住めるようになる一つの手法。

上から見える琵琶湖は一部。

八幡山城は石垣のみ残っていました。

端っこに稲荷大社があったので、参拝しました。

ここは当初は、豊臣秀次が築城。標高300mですが、何とか生活していたらしい。

その後も、堀が琵琶湖の海運の要所となり、城下町は繁栄したとのこと。

秀次。子供のいない秀吉の養子となって後継者になる予定が、秀頼誕生により狂っていく。

元々、秀次の素行は明らかでないとあるが、ウィキによると辻斬りは自慢してたとのこと。

前の大河の真田丸では、秀吉に対しては弱くてあまり衝突するシーンはなかったように思います。

でも最後は妻子を含め、関連する全員、見せしめに斬首・・。

その時、27歳。秀頼の時代までリリーフを務めるように立ち回って、淀殿に変わって徳川と対峙すれば違っていたかも。

でも、秀吉の目には、秀頼への最危険人物にしか見えなかったんでしょうね。

秀次ゆかりの地。最後に読んだ資料が重くて、ちょっとどんより。

天気もどんより。

でも、ここは現在、恋人達の聖地として、絶賛売り出し中。

これからはギャップ、ふり幅の時代ということで。

ここの掘は、映画や時代劇では有名な撮影スポットとのこと。

本日、テーマは秀光ゆかりの地でしたが、思いかけず、秀次も再認識したてくてくでした。

結構謎が多いみたいなので、秀次の大河、誰かやってくれないかなぁ。