まだ少し時間があるので、近江八幡宮へ。
初詣の方で賑わっていました。
空いてたので、近江八幡宮で御朱印を頂きました。
ロープウェイで標高300mの八幡山城跡へ。
左が内湖、右が観音寺城跡がある山。
手前の濃い色の低い山が、安土城跡がある山。
当時は内湖が手前の低い山を取り巻いておりました。
低くても、城を掘で囲めば住めるようになる一つの手法。
上から見える琵琶湖は一部。
八幡山城は石垣のみ残っていました。
端っこに稲荷大社があったので、参拝しました。
ここは当初は、豊臣秀次が築城。標高300mですが、何とか生活していたらしい。
その後も、堀が琵琶湖の海運の要所となり、城下町は繁栄したとのこと。
秀次。子供のいない秀吉の養子となって後継者になる予定が、秀頼誕生により狂っていく。
元々、秀次の素行は明らかでないとあるが、ウィキによると辻斬りは自慢してたとのこと。
前の大河の真田丸では、秀吉に対しては弱くてあまり衝突するシーンはなかったように思います。
でも最後は妻子を含め、関連する全員、見せしめに斬首・・。
その時、27歳。秀頼の時代までリリーフを務めるように立ち回って、淀殿に変わって徳川と対峙すれば違っていたかも。
でも、秀吉の目には、秀頼への最危険人物にしか見えなかったんでしょうね。
秀次ゆかりの地。最後に読んだ資料が重くて、ちょっとどんより。
天気もどんより。
でも、ここは現在、恋人達の聖地として、絶賛売り出し中。
これからはギャップ、ふり幅の時代ということで。
ここの掘は、映画や時代劇では有名な撮影スポットとのこと。
本日、テーマは秀光ゆかりの地でしたが、思いかけず、秀次も再認識したてくてくでした。
結構謎が多いみたいなので、秀次の大河、誰かやってくれないかなぁ。