あたしは息を呑むことしかできない。
全部、その通りだったから。
2年前、ハナちゃんは女王に即位したと同時に人間界との交流復活に向けて準備を始めた。
魔女からの反発が多くて道程は険しいけど、それでも約束を果たそうと頑張っている。
自分の娘ですらしっかりと目的を見定めて前へ進む中、あたし一人だけだ。
あたしだけが、自分の心と向き合おうとせず何の努力もしないでのうのうと生きていた。
他人をとやかく言う権利なんて、あたしは持っていないのだと分かり切ったことなんだ。
おんぷちゃんは一度視線を外して、窓の外遠くを眺めた。
「……わたし達の娘はよくやってるわ。なのに、母親達の中でハナちゃんにもっとも信頼されているあなたが……マジョリンさんの指導も逃げ回ってるようだし、いつまでこんなとこで燻ってるつもりなのかしら?」
「……ッ」
あたしは黙って下を向く。
燻ってる、ね……ぐうの音も出ない。
もうやり直すことは出来ないのに、あたしは未だにあの時の決断を、自分自身を疑っていた。
どうしてこんなことに……。
呪文のように繰り返される己の後悔に苛まれ、それを見ないように目を瞑って踞る。
そればっかりだった。
おんぷちゃんは皮肉げに口の端を吊り上げて、
「わたしはあなたが無為に時を過ごしてるようにしか見えないわ。人間のフリをしてなにか見えてきた物があった? それをわたしに聞かせて」
挑発的に睨む。
勿論、あたしは何も言えない。
当然だ。逃げていただけで得た物など何一つないのだから。
あたしは叱られる子供のように悄気て視線を合わせられなかった。
『ほら、やっぱり』とでも言いたげに、おんぷちゃんはあたしを鼻で笑う。
「まだ自覚が足りないのかしら? いつになればあなたは自分が魔女になったと理解するの? 全員、死んでからかしら? み~んな、あなたより先に死ぬわよ。お母さん、お父さん、ぽっぷちゃん、はづきちゃん、あいちゃん、ももちゃ――」
「やめてよっ!!」
あたしは堪らず叫んだ。
激しい拒否感だった。
想像するだけで吐き気を催すほど。
60年70年先の未来なんて知らないけれど。
一つ分かることは、あたしと皆は生きる時間を決定的に違えてるということだ。
その時、あたしは皺も出来ていない。
白髪もないし腰も曲がってないだろうし、入れ歯だってつけてないと思う。
今のまま、今と変わらず。
皆が老いていくのを眺めるしかない。
何度も巡る悪夢のような想像。だけどこれは後に必ず現実になる。
だって、あたしは魔女なんだ。
血は同じ赤でも、違う。人間とは流れてるモノが違うんだよ。
今でこそ押し潰されそうなのに遠い未来、魔女にとっては近い将来、訪れるこの深い悲しみに堪えられるのか、あたしには到底分かることも、分かりたくもなかった。
おんぷちゃんは呆れたように溜め息をついて、
「はぁ、だったら同じことを何度も言わせないでよ。何年も前から繰り返し繰り返し……一番最初に言ったこと憶えてる? 魔女になるってことは人間をやめることだって……」
憶えてる。小学6年生の春が間近に迫る頃だ。
先々代女王を目覚めさせ魔女ガエルの呪いを解き放った、あの日。
『時の流れは残酷です。人間と関わった魔女に待ち受けているのは悲しい別れだけ。そして残るのは人間を愛してしまった後悔……私と同じ苦しみを他の魔女に味わわせるわけには……』
『違う! 後悔だけが残るなんて……絶対そんなことない!!』
先々代女王の切なげな瞳。あたしの強い叫び。
確かに、時の流れは残酷だった。
楽しい思い出ほどすぐ色褪せるくせに、忘れたい思い出は何時までも流れ去ることはない。
くっきりと、昨日のことのように憶えていた。
「……おんぷちゃんはなんでそんな簡単に割りきれるの? おかしいよ。魔女なんて、化け物みたいなもんじゃんか……嫌だよ、こんなの……」
鼻の奥がツンとなった。
口の端に雫が流れて、あたし泣いてるんだ、と初めて気付いた。
気付いてから、涙が止めどなく溢れる。腕で締め付けるように体を抱いた。
そんなあたしを見て、おんぷちゃんがふっと小さく微笑む。
何故か物腰は、少しだけ優しい。
「化け物とは心外ね。わたしも同族なのよ? それに……自分から魔女なった癖によく言うわ」
突き付けられる言葉。
あたしは脅されたわけでも追い詰められたわけでもなく、自分から好き好んで魔女になった。
傍目から見ればそうとしか見えないし、実際それは事実だ。
なのに、あたしはうじうじと悩み続けていた。
自分の中で生じる矛盾に何時までも苦しむ。
対しておんぷちゃんは、あたしの後を追って魔女になったけど……。
魔女になった時から一瞬たりとも迷った姿を見たことがなかった。
何の未練をなくアイドルを辞め、親を惑して魔女界に越してった。
魔女になるために必要な物、不必要な物を淡々と取捨して省みない。
あたしはその平然とした姿に畏怖すら覚えた。
おんぷちゃんと比べて自分の惨めな姿が心底、情けない。
「……おんぷちゃんの思ってる通り、あたしは怖じ気付いた臆病者だよ。だから、もうほっといて。なんでこんなあたしに付きまとうのさ?」
おんぷちゃんは何時もあたしの側にいた。
虚ろばかりが募る旅に飽きもせずついてくる。
あたしは瞳に彼女の姿が過る度に猛烈な罪の意識に支配された。
おんぷちゃんが魔女になったのはあたしのせいなんだから――。
あたしはいつも責め立てられていた。
おんぷちゃんがいくら魔女界で活躍しても何の慰めにもならない。
人間は人間として生きるのが幸せなのだと、5人で話し合って出した結論。
あたしはそれを翻して魔女になった。おんぷちゃんを道連れにして。
あたし一人で良かったはずなのに、頑なで嬉々として魔女になったおんぷちゃん。
もっと幸せになれる道があったんじゃないか。
もっと他に方法があったはずだ、と。
あたしがいくら悩やんでいても、おんぷちゃんは飄々としていてその内側は見えない。
だから、あたしはいつも聞いてしまうんだ。
先の言葉を、とっくに見越しているのに。
――おんぷちゃんは、後悔してないの?
返事は、いつもシンプルだった。
「だって、わたしはどれみちゃんを愛しているもの。それだけよ。あなたが魔女になったから、わたしも魔女になったんだから」
希望も不安も、同時に消え失せる。
心痛だけが、あたしを貫いていく。
恥ずかしげもなくそう言い切る。
初めて魔女になった日から、ずっと。
あたしには身に余る、愛の発露。
おんぷちゃんにとって魔女になるということは、あたしを愛するということと同義なんだ。
あたしはそれを何年も何年も、痛いほどおんぷちゃんに思い知らされてきた。
その度に胸が張り裂けそうな気持ちになってキツくて堪えられなくて。
でも、おんぷちゃんがいないと膨らんだ心が萎んで、その空洞を一人ではどうしようもできなくて退屈と苛立ちに身を蝕まれる。
あたしも大概、惚れてるんだよね――。
まるで魔法のような、星の巡り合わせ。
数奇な運命が引き寄せた、あたしの恋人。
おんぷちゃんは穏やかな表情で見つめて、
「本当は今日、大事な用があって来たんだけどね。その前に……」
気を取り成すように髪を払って立ち上がる。
スカートの裾がフワリと揺らして、あたしの前に座り込んだ。
おんぷちゃんが肩を撫でる。
薬を塗り込むみたいに、ざわりとした手触り。
茫然自失のあたしを抱き締めた。
背中をなぜて、頬を擦り当ててくる。
あたしはむず痒くて首を捩った。
「今、気分じゃない」
「あなたはいつも最初はそう言うわ……」
微熱のような眼差しが徐々に近づいて。
おんぷちゃんが躊躇なくあたしの唇を奪う。
唇を強引に押し割り、舌が入ってくる。
唾液を吸いとられ、情欲を擦り付けるように口の中を貪られた。
キスをしながら頬や首を撫でる。
手をなぞるように、あたしの胸元へ。
反射的に拒もうと手を出すけど、その手はおんぷちゃんに柔らかく掴み取られた。
そうなると、もうだめだ。
指があたしの胸を這っていく。
先端に触れ、捏ねるように揉みしだく。
んっ――。
あたしは腰を浮かせて呻きを漏らす。
全身が熱くて、骨から蕩けそうだった。
何も考えられなくなる。
何も考える必要がなくなる。
今だけは悲しみや辛さが、押し寄せる快楽で隅へと追いやられていた。
時の流れが止まって、抱き合う恋人達をおいてけぼりにする。
少し気だるげで、ほろ苦い。
心がじんと甘くなるチョコレートの海に漂う。
生温い愛の蜜月にドロリと体が溶けていく。
体も心も中身も何もかもが、ひとつに。
あたしはおんぷちゃんの腕の中で、抗うこともなく愛に溺れていた。
☆
全部、その通りだったから。
2年前、ハナちゃんは女王に即位したと同時に人間界との交流復活に向けて準備を始めた。
魔女からの反発が多くて道程は険しいけど、それでも約束を果たそうと頑張っている。
自分の娘ですらしっかりと目的を見定めて前へ進む中、あたし一人だけだ。
あたしだけが、自分の心と向き合おうとせず何の努力もしないでのうのうと生きていた。
他人をとやかく言う権利なんて、あたしは持っていないのだと分かり切ったことなんだ。
おんぷちゃんは一度視線を外して、窓の外遠くを眺めた。
「……わたし達の娘はよくやってるわ。なのに、母親達の中でハナちゃんにもっとも信頼されているあなたが……マジョリンさんの指導も逃げ回ってるようだし、いつまでこんなとこで燻ってるつもりなのかしら?」
「……ッ」
あたしは黙って下を向く。
燻ってる、ね……ぐうの音も出ない。
もうやり直すことは出来ないのに、あたしは未だにあの時の決断を、自分自身を疑っていた。
どうしてこんなことに……。
呪文のように繰り返される己の後悔に苛まれ、それを見ないように目を瞑って踞る。
そればっかりだった。
おんぷちゃんは皮肉げに口の端を吊り上げて、
「わたしはあなたが無為に時を過ごしてるようにしか見えないわ。人間のフリをしてなにか見えてきた物があった? それをわたしに聞かせて」
挑発的に睨む。
勿論、あたしは何も言えない。
当然だ。逃げていただけで得た物など何一つないのだから。
あたしは叱られる子供のように悄気て視線を合わせられなかった。
『ほら、やっぱり』とでも言いたげに、おんぷちゃんはあたしを鼻で笑う。
「まだ自覚が足りないのかしら? いつになればあなたは自分が魔女になったと理解するの? 全員、死んでからかしら? み~んな、あなたより先に死ぬわよ。お母さん、お父さん、ぽっぷちゃん、はづきちゃん、あいちゃん、ももちゃ――」
「やめてよっ!!」
あたしは堪らず叫んだ。
激しい拒否感だった。
想像するだけで吐き気を催すほど。
60年70年先の未来なんて知らないけれど。
一つ分かることは、あたしと皆は生きる時間を決定的に違えてるということだ。
その時、あたしは皺も出来ていない。
白髪もないし腰も曲がってないだろうし、入れ歯だってつけてないと思う。
今のまま、今と変わらず。
皆が老いていくのを眺めるしかない。
何度も巡る悪夢のような想像。だけどこれは後に必ず現実になる。
だって、あたしは魔女なんだ。
血は同じ赤でも、違う。人間とは流れてるモノが違うんだよ。
今でこそ押し潰されそうなのに遠い未来、魔女にとっては近い将来、訪れるこの深い悲しみに堪えられるのか、あたしには到底分かることも、分かりたくもなかった。
おんぷちゃんは呆れたように溜め息をついて、
「はぁ、だったら同じことを何度も言わせないでよ。何年も前から繰り返し繰り返し……一番最初に言ったこと憶えてる? 魔女になるってことは人間をやめることだって……」
憶えてる。小学6年生の春が間近に迫る頃だ。
先々代女王を目覚めさせ魔女ガエルの呪いを解き放った、あの日。
『時の流れは残酷です。人間と関わった魔女に待ち受けているのは悲しい別れだけ。そして残るのは人間を愛してしまった後悔……私と同じ苦しみを他の魔女に味わわせるわけには……』
『違う! 後悔だけが残るなんて……絶対そんなことない!!』
先々代女王の切なげな瞳。あたしの強い叫び。
確かに、時の流れは残酷だった。
楽しい思い出ほどすぐ色褪せるくせに、忘れたい思い出は何時までも流れ去ることはない。
くっきりと、昨日のことのように憶えていた。
「……おんぷちゃんはなんでそんな簡単に割りきれるの? おかしいよ。魔女なんて、化け物みたいなもんじゃんか……嫌だよ、こんなの……」
鼻の奥がツンとなった。
口の端に雫が流れて、あたし泣いてるんだ、と初めて気付いた。
気付いてから、涙が止めどなく溢れる。腕で締め付けるように体を抱いた。
そんなあたしを見て、おんぷちゃんがふっと小さく微笑む。
何故か物腰は、少しだけ優しい。
「化け物とは心外ね。わたしも同族なのよ? それに……自分から魔女なった癖によく言うわ」
突き付けられる言葉。
あたしは脅されたわけでも追い詰められたわけでもなく、自分から好き好んで魔女になった。
傍目から見ればそうとしか見えないし、実際それは事実だ。
なのに、あたしはうじうじと悩み続けていた。
自分の中で生じる矛盾に何時までも苦しむ。
対しておんぷちゃんは、あたしの後を追って魔女になったけど……。
魔女になった時から一瞬たりとも迷った姿を見たことがなかった。
何の未練をなくアイドルを辞め、親を惑して魔女界に越してった。
魔女になるために必要な物、不必要な物を淡々と取捨して省みない。
あたしはその平然とした姿に畏怖すら覚えた。
おんぷちゃんと比べて自分の惨めな姿が心底、情けない。
「……おんぷちゃんの思ってる通り、あたしは怖じ気付いた臆病者だよ。だから、もうほっといて。なんでこんなあたしに付きまとうのさ?」
おんぷちゃんは何時もあたしの側にいた。
虚ろばかりが募る旅に飽きもせずついてくる。
あたしは瞳に彼女の姿が過る度に猛烈な罪の意識に支配された。
おんぷちゃんが魔女になったのはあたしのせいなんだから――。
あたしはいつも責め立てられていた。
おんぷちゃんがいくら魔女界で活躍しても何の慰めにもならない。
人間は人間として生きるのが幸せなのだと、5人で話し合って出した結論。
あたしはそれを翻して魔女になった。おんぷちゃんを道連れにして。
あたし一人で良かったはずなのに、頑なで嬉々として魔女になったおんぷちゃん。
もっと幸せになれる道があったんじゃないか。
もっと他に方法があったはずだ、と。
あたしがいくら悩やんでいても、おんぷちゃんは飄々としていてその内側は見えない。
だから、あたしはいつも聞いてしまうんだ。
先の言葉を、とっくに見越しているのに。
――おんぷちゃんは、後悔してないの?
返事は、いつもシンプルだった。
「だって、わたしはどれみちゃんを愛しているもの。それだけよ。あなたが魔女になったから、わたしも魔女になったんだから」
希望も不安も、同時に消え失せる。
心痛だけが、あたしを貫いていく。
恥ずかしげもなくそう言い切る。
初めて魔女になった日から、ずっと。
あたしには身に余る、愛の発露。
おんぷちゃんにとって魔女になるということは、あたしを愛するということと同義なんだ。
あたしはそれを何年も何年も、痛いほどおんぷちゃんに思い知らされてきた。
その度に胸が張り裂けそうな気持ちになってキツくて堪えられなくて。
でも、おんぷちゃんがいないと膨らんだ心が萎んで、その空洞を一人ではどうしようもできなくて退屈と苛立ちに身を蝕まれる。
あたしも大概、惚れてるんだよね――。
まるで魔法のような、星の巡り合わせ。
数奇な運命が引き寄せた、あたしの恋人。
おんぷちゃんは穏やかな表情で見つめて、
「本当は今日、大事な用があって来たんだけどね。その前に……」
気を取り成すように髪を払って立ち上がる。
スカートの裾がフワリと揺らして、あたしの前に座り込んだ。
おんぷちゃんが肩を撫でる。
薬を塗り込むみたいに、ざわりとした手触り。
茫然自失のあたしを抱き締めた。
背中をなぜて、頬を擦り当ててくる。
あたしはむず痒くて首を捩った。
「今、気分じゃない」
「あなたはいつも最初はそう言うわ……」
微熱のような眼差しが徐々に近づいて。
おんぷちゃんが躊躇なくあたしの唇を奪う。
唇を強引に押し割り、舌が入ってくる。
唾液を吸いとられ、情欲を擦り付けるように口の中を貪られた。
キスをしながら頬や首を撫でる。
手をなぞるように、あたしの胸元へ。
反射的に拒もうと手を出すけど、その手はおんぷちゃんに柔らかく掴み取られた。
そうなると、もうだめだ。
指があたしの胸を這っていく。
先端に触れ、捏ねるように揉みしだく。
んっ――。
あたしは腰を浮かせて呻きを漏らす。
全身が熱くて、骨から蕩けそうだった。
何も考えられなくなる。
何も考える必要がなくなる。
今だけは悲しみや辛さが、押し寄せる快楽で隅へと追いやられていた。
時の流れが止まって、抱き合う恋人達をおいてけぼりにする。
少し気だるげで、ほろ苦い。
心がじんと甘くなるチョコレートの海に漂う。
生温い愛の蜜月にドロリと体が溶けていく。
体も心も中身も何もかもが、ひとつに。
あたしはおんぷちゃんの腕の中で、抗うこともなく愛に溺れていた。
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