様々な分野でロシア排除の風が吹き荒れています。
スポーツ界で「ロシア選手との対戦を拒否する」ということはどういうことなのでしょう。
国家=個人の図式は成り立つのでしょうか?
個人と国家は違う。でもその国家の指導者を選んでいるのは個人。
国家の責任は個人が負わされるのでしょうか?
ロシア選手の努力を賞賛することは、ロシアという国家を賞賛することなのだろうか?
オリンピックのドーピング問題が記憶に新しいので、ロシア選手に対する風当たりは強いです。
でも、ロシアスポーツ界の競技に対する姿勢と、競技者個人のそれとは違うかも知れない
武器を使用しての侵略に対し、素手で対抗するには「ロシアという名のつくものの拒否」は仕方がないことなのでしょう。
ロシア一般市民に、この異常な事態を通して国家が摂った方針が諸外国にどう写っているかを知ってもらう・・・唯一の手段なのかも知れません。(情報が統制されている国ではマスコミの影響力にも限界があるのでしょう)
そして、それが一般市民(選手)をも標的となってしまうことも仕方ないのでしょう。
「ロシアのウクライナ侵攻」という国家の影響が個人及ぶこの戦法が正しいのか私にはわかりません。
しかし、理不尽にも未来ある若者の血が流されているということも現実です。
ポーズや打算が形となったような停戦協議ではなく、兎に角戦争はやめてほしい。