今日は学会全体の中身について、印象に残ったことを。
1. ポスターは人が来ない
1時間30分のポスターセッションは15ほどの会場で並行して行われている口頭発表セッションと重なっており、私のところに来てくれたのは全部で10人ちょっと。最後はお隣のポスターの方とお互い説明しあいました。Phoneticsという「くくり」のセッションですし、お隣さんはチベットの言語のピッチアクセントの研究だったので、お互いいい情報交換にはなりました。「図表がたくさんある発表ならポスターがいいでしょう」と申し込み要項にあったのでポスターを選択したのですが、聞いてくれた人に「例を聞かせてくれないかな、どんな感じになるの?」と言われることが多かったので、音声が聞いてもらえる口頭発表のほうが実は適切だったと思います。口頭発表がこれより人数が少ないこともあったし、口頭発表が絶対いいとは限らないようですが。
2. 面白い発表は多くない
どこの学会でもそうでしょうが、面白い発表は一部だけでした。ビッグネームでもシンポジウムのスピーカーでも、面白いとは限らない。面白かったと思うものを挙げると、「コネクショニズムは言語研究に有用か」という趣旨のシンポジウムです。中庸派的(?)なRay Jackendoffが「ごくわずかな範囲の現象しか説明できない」とMcClelland、Elmanなどのコネクショニズムのリーダー的存在の人たちに非常に厳しい批判を投げかけ、かなり盛り上がっていました。
情報理論と音韻論のシンポジウムでのJohn Goldsmithの発表はとても明快で、提示されたモデルや研究プログラムも魅力的でした。これも「一部だけしか説明できない」と批判されていましたが。確かに、この手の言語モデルでは、アルファベットで離散的に記述されたセグメント(とその集合としての単語)を主に扱っているような気がします。連続的な音声バリエーションや、アクセントをはじめとしたプロソディのような、もっと大きな領域に渡る現象があつかえるのか、あるいはそれはどうすれば可能か、まともに検討されたものはほとんど見覚えがありません(ワタクシの知ってる範囲に問題がありますが)。
ちなみに、はじめて見たGoldsmithさんは、とっても理知的でいかにも「学者」という容貌(中身も)。外見は木こりのおじさんみたいだけど実はすんげー頭のいい、われらがKen先生とは対照的な印象。この人、廊下に設置されたコンピュータでしょっちゅうメールチェックしてました。
「頻度と類推」のセッションでのRebecca Scarboroughさんの発表は個人的には今回の最優秀賞です。「他の単語との競合が強いはずの、neighborhood density(似た単語の多さ)が高い単語のほうが、単語内のcoarticulationが強い」という意外な結果を「coarticulationはむしろ単語認知(ここでは識別)にとって有用な情報だと考えるべきなのだろう」と結論付けていました。彼女はたぶんすっごく若いのだと思いますが自信満々、堂々とした発表。これぞアメリカ、という感じがします。「腹芸」を感じさせるベテラン学者の発表よりはるかに感銘を受けました。
同じセッションのSusanne Gahlさんの「同音語同士でも、頻度の高い語の方が持続時間が短い。『頻度が高いと何度も口にするから短くなるだけ、頻度は言語情報ではない』という説明は不適切で、頻度は言語レベルの情報としてストックされている」という発表も面白かった。「音声バリエーション」のシンポジウムでの、われらがKen de Jongの発表も、包括的なモデルと今後の研究に対する提言に説得力があって、すばらしかったと思います。
3. 安上がりに徹している
参加費も、特に学生は安いのですが、セルフサービスのコーヒー(Starbucks)とお茶が用意されているだけで軽食すら出ないし、ともかく安上がりにする方針に徹しているようです。土曜日の夜のレセプションでは、チーズ、ビスケット、フルーツなどが出て、チーズ大好きな私は大喜び。JungsunさんやDongmyungさんは「何これ、食事じゃないの?」と不満顔でしたが、安い参加費を考えるとここまででしょう。
4. 他の学会と抱き合わせで実施する
日本の「日本語学会」が「方言研究会」「近代語研究会」等と時期・場所を統一して行うのと似ていました。「アメリカ方言研究会」「ピジン・クレオル学会」などが同時進行。日本の大学にいるアメリカ人の方言学の先生と会いました。彼は「方言研究会」に主に出席していたようです。
5. まだまだ自分には理解できない
聞いていて理解不可能な発表が多かったです。英語のリスニング能力か内容の知識、せめて片方でももっとマシなら理解可能になるのでしょうが、そこまで達していないことを実感しました。教室で学生用の話を理解することはできても、先端の研究を(聞きなれない&多様な)英語で話されても理解できるようになるには、まだまだ修業が必要なようです。
以上、雑多に学会の感想をまとめてみました。次回に続きます。
1. ポスターは人が来ない
1時間30分のポスターセッションは15ほどの会場で並行して行われている口頭発表セッションと重なっており、私のところに来てくれたのは全部で10人ちょっと。最後はお隣のポスターの方とお互い説明しあいました。Phoneticsという「くくり」のセッションですし、お隣さんはチベットの言語のピッチアクセントの研究だったので、お互いいい情報交換にはなりました。「図表がたくさんある発表ならポスターがいいでしょう」と申し込み要項にあったのでポスターを選択したのですが、聞いてくれた人に「例を聞かせてくれないかな、どんな感じになるの?」と言われることが多かったので、音声が聞いてもらえる口頭発表のほうが実は適切だったと思います。口頭発表がこれより人数が少ないこともあったし、口頭発表が絶対いいとは限らないようですが。
2. 面白い発表は多くない
どこの学会でもそうでしょうが、面白い発表は一部だけでした。ビッグネームでもシンポジウムのスピーカーでも、面白いとは限らない。面白かったと思うものを挙げると、「コネクショニズムは言語研究に有用か」という趣旨のシンポジウムです。中庸派的(?)なRay Jackendoffが「ごくわずかな範囲の現象しか説明できない」とMcClelland、Elmanなどのコネクショニズムのリーダー的存在の人たちに非常に厳しい批判を投げかけ、かなり盛り上がっていました。
情報理論と音韻論のシンポジウムでのJohn Goldsmithの発表はとても明快で、提示されたモデルや研究プログラムも魅力的でした。これも「一部だけしか説明できない」と批判されていましたが。確かに、この手の言語モデルでは、アルファベットで離散的に記述されたセグメント(とその集合としての単語)を主に扱っているような気がします。連続的な音声バリエーションや、アクセントをはじめとしたプロソディのような、もっと大きな領域に渡る現象があつかえるのか、あるいはそれはどうすれば可能か、まともに検討されたものはほとんど見覚えがありません(ワタクシの知ってる範囲に問題がありますが)。
ちなみに、はじめて見たGoldsmithさんは、とっても理知的でいかにも「学者」という容貌(中身も)。外見は木こりのおじさんみたいだけど実はすんげー頭のいい、われらがKen先生とは対照的な印象。この人、廊下に設置されたコンピュータでしょっちゅうメールチェックしてました。
「頻度と類推」のセッションでのRebecca Scarboroughさんの発表は個人的には今回の最優秀賞です。「他の単語との競合が強いはずの、neighborhood density(似た単語の多さ)が高い単語のほうが、単語内のcoarticulationが強い」という意外な結果を「coarticulationはむしろ単語認知(ここでは識別)にとって有用な情報だと考えるべきなのだろう」と結論付けていました。彼女はたぶんすっごく若いのだと思いますが自信満々、堂々とした発表。これぞアメリカ、という感じがします。「腹芸」を感じさせるベテラン学者の発表よりはるかに感銘を受けました。
同じセッションのSusanne Gahlさんの「同音語同士でも、頻度の高い語の方が持続時間が短い。『頻度が高いと何度も口にするから短くなるだけ、頻度は言語情報ではない』という説明は不適切で、頻度は言語レベルの情報としてストックされている」という発表も面白かった。「音声バリエーション」のシンポジウムでの、われらがKen de Jongの発表も、包括的なモデルと今後の研究に対する提言に説得力があって、すばらしかったと思います。
3. 安上がりに徹している
参加費も、特に学生は安いのですが、セルフサービスのコーヒー(Starbucks)とお茶が用意されているだけで軽食すら出ないし、ともかく安上がりにする方針に徹しているようです。土曜日の夜のレセプションでは、チーズ、ビスケット、フルーツなどが出て、チーズ大好きな私は大喜び。JungsunさんやDongmyungさんは「何これ、食事じゃないの?」と不満顔でしたが、安い参加費を考えるとここまででしょう。
4. 他の学会と抱き合わせで実施する
日本の「日本語学会」が「方言研究会」「近代語研究会」等と時期・場所を統一して行うのと似ていました。「アメリカ方言研究会」「ピジン・クレオル学会」などが同時進行。日本の大学にいるアメリカ人の方言学の先生と会いました。彼は「方言研究会」に主に出席していたようです。
5. まだまだ自分には理解できない
聞いていて理解不可能な発表が多かったです。英語のリスニング能力か内容の知識、せめて片方でももっとマシなら理解可能になるのでしょうが、そこまで達していないことを実感しました。教室で学生用の話を理解することはできても、先端の研究を(聞きなれない&多様な)英語で話されても理解できるようになるには、まだまだ修業が必要なようです。
以上、雑多に学会の感想をまとめてみました。次回に続きます。