時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

去る人を送る

2006年01月31日 | Bloomingtonにて
先週の金曜日、Caitlin Dillonという学生がPh.DのDefense(口頭試問)を行いました。審査委員長はKen先生。申し込んで聴衆として参加しました。会場は学科の小さな会議室。言語学科のウェブにも載っているくらいだから完全に公開なんだと思いますが、それほどの参加者はなし。4人の審査委員と何人かの教授、音声学や音韻論の院生とポスドクが数人。

彼女は私がこちらに来てから言語学科からは初めてのPh.D。研究内容は知っていましたが、Defenseというものを見るのは初めてでした。研究の内容は素晴らしいし、鋭い質問もありましたが、立ち往生するようなことはなくてきぱき答え、終了後審査委員がサインをして、彼女は晴れてPh.Dになりました。

彼女の仕事は耳が不自由で人工内耳(Cochlear Implant)で聴覚を補助している子の言語能力の研究です。そういう子は、どうしても読みの能力などの言語能力が耳が正常な人に対してやや劣りがちなのだそうですが、原因はもちろんIQなどの一般知的能力が劣っていることではありません。そのようなハンデがないのに、語彙量、語の(短期的な)保持能力などの言語能力が劣る傾向があるらしいのですが、それを説明する鍵が、Phonological awareness(「音韻認識」と仮に訳します)、つまり連続した音を非連続な音韻という単位に分析する認知能力の発達にあるだろう、というのが研究の理論的背景。その音韻認識とさまざまな言語能力との関連を検討したもので、「これまで誰もやっていない、パイオニア的な研究だ」と審査委員の一人言語心理学のビッグネームDavid Pisoni先生がほめていました。

子供たちは、聴覚が正常な子達と小さいころの言語能力なら同世代とほぼ変わらないのに、成長するにつれだんだんと差がついていくのだそうです。それはこの「音韻認識」の発達を促進するような教育が施されないからだ、というのが研究の結果の主張になるようです。で、彼女はこのあと、「音韻認識」を組み込んだ教育プログラムの効果を検討するプロジェクトを行うメンバーの一人として、Haskins研究所という音声科学をリードする研究所に研究員として2年間行くことが決まっていました。

土曜日にアパートで勉強していると彼女からメールがあり、なんと月曜日に出て行くので、最後にみんなとお別れがしたいとのこと。ダウンタウンにあるIrish Lionというアイリッシュビールが飲めるレストランに行ってきました。そのとき聞いたのですが、彼女はそもそも子供が好きなのだそうです。昨年末、Ken先生の家でクリスマス前恒例の「パンケーキ朝食会」がありお邪魔したのですが、Caitlinが二人の息子JohnathanとJoshuaの話を一番聞いてやっているのを見て、そうではないかと思っていました(やつらは人なつっこくてかわいい、私にも持ってるミニカーを見せて、説明しまくります)。新入生歓迎会(公園で家族も一緒にバーベキュー)でも、彼ら二人といちばん遊んでやっていたのは彼女でした。私も入って、2対2でバレーをしたのを思い出します。研究に関しても、発表で見た実験ビデオで、遊びの要素を加えつつ上手にインタラクションを取っていて感銘を受けました。素晴らしい仕事をした先輩がいるというのは、誇らしいことです。

彼女は、私がアパートを探しに行った2005年の6月、言語心理学の研究室を案内してくれ、さらに暇だろうからとちょっと連れ出してくれました。友達の旦那さんのソフトボールの試合を見に行き、そのカップルが契約したばかりの家を見に行く、など新参者にいろいろ気を使ってくれたのです(ちなみに、そのしばらくあと、その家は4th of Julyを祝う花火だかなんだかが飛び込んできて、全焼したそうです)。

別れ際、初めてアメリカ人のHugを体験。いちおう、仲間として扱ってもらえたと思うことにします。彼女は今日、コネチカットに引っ越していったはずです。日本土産にあげた「くいだおれ人形ストラップ」も持ってってくれたでしょうか。私がBloomingtonに来て最初に、一番世話になった人が出て行くのは寂しいことですが、健康と活躍を祈りたいと思います。