時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

進化論 vs 創造説?

2006年03月13日 | Indiana大学
一週間の休みに入りました。ちょっとのんびり(ネットで)買い物なんかをしています。音声学の実験セクションを担当してるEricはちょっと休日にして家でバスケット観戦三昧すると言ってました(NBAでなくNCAA)。カリフォルニアで日本とアメリカの野球の試合があったようですが、こっちのメディアの扱いはその大学バスケットの方がはるかに上。WBC、あんまり興味もたれてなさそうです。

先週、また学内の講演会を聞きに行きました。Pattern Foundationというところがお金を出すらしく、それで毎年何回かアメリカ各地からビッグネームを呼んで講演会を開く、ということのようです。来た人の名前のリストがあるんですが、私の知識不足でよく分かりません。Chomskyも1993年度に来たそうです。知っているところでは、William Leveltはドイツの研究所にいるんだから、呼ぶのはアメリカにいる人に限らないのかもしれません。

今回の講師はDaniel Dennett。本も一冊も読んだことないんですが、なんとなくやってることは知っていたし、興味もあるので、2回の講演のうち1回に行ってきました。講演タイトルは "Freedom Evolves--a Dangerous Idea? "です。でも、本当に興味深かったのは、「誰が、どう聞くんだ?」ということです。何しろ基本的には進化論に則った議論を展開している人でしょうから、創造説を信ずる人の多いらしいこの国、中でもBible Beltといわれる地域の一つであるこの州で、どういう反応をされるんだろう、というのが本当の興味でした。

行ってみると満員。定員315人の階段教室(どうして正確な数字が分かるかというと、教室情報のオンラインのデータベースがあるのです、必要か??)で、立ち見も階段や廊下に座る人も出て、400人いただろうと思います。学生や教員が多かったようですが、夜7:30からだったので、仕事を終えた職員や市民も来たんでしょう。私も階段の踊り場に座って手すりの下からのぞき込む状態でした。

最初はIUの先生による紹介。個人的に付き合いのある方らしく、Dennettさんがトラクターに乗って農作業をしている写真を見せたり、本の名前を一部もじって全然違う内容の本にしながら(「Kinds of Mines、鉱山の研究ですね」とか)つぎつぎ紹介したりして、会場を爆笑させていました。私は、あんまりみんな大ウケしているので、「こういうのがアメリカ人の笑いのツボなの・・・」と逆に引いてしまいました。翌日、同じく聴衆の中にいた院生のNoahに「あれ普通なの? ラジオのトップ10リストショーみたいだったけど」と聞くと、「いや、ああいうのは珍しいよ、特別親しいからでしょ」とのこと。

講演者もさすが有名人、講演は慣れたものらしく、やはり聴衆を笑わせつつ、スムーズに話を進めていました。彼はTafts大学の教授なわけですが、おそらく授業もそうするんでしょう。パワーポイントを使っていました。話も基本的にそれに沿って。ふーん、こんなおじいちゃん(といっても資料によると63歳)でも使うのかーと。教室の写真を拝借して載せたので、様子がお分かりいただけると思います。

具体的な実験結果を述べるのではなくかなり抽象的で、しかもそもそも「誤解が多い問題だ」と本人が断っている通り、非常に議論を呼ぶ「やばい」問題をあえて探求している人ですから、英語にも問題のある私は誤解したままである可能性が高いと思います。実際ついていけない箇所もところどころ。途中、チェスの例を使用して予測と選択可能性について論ずるところは説明がちょっと煩雑になり、聴衆も飽き気味だったかな? でも、全体としてはとても上手に1時間の講演を終えました。

理解(誤解かも)した範囲で内容を簡単にまとめると、タイトルからも分かるとおり、「自由意志」というものが本当にありうるのか、逆に言えば「決定論」に縛られないことは可能か、というテーマ。つまり「ある結果に影響を与えるあらゆる要素が分かってしまえば、『どうしても必然的にそうなる、それに抗うことはできない』ということは、ありうるか」ということです。

結論は「そんな事態はありえない」だそうです。これまでとあらゆる点で同じ状況で結果が予測可能なんてことは、理論上ないと。それから「自由」というのは、「生命を失う危機を避けられること(evitabilityと呼んでました)」だと基本的には考えろ、とのことで、それならば、人類にとってそのオプションが増えてきている現在、いわゆる「自由」は「進化」しているといってよい、というようなこと・・・だと思います。

ということで、「決定論」で人間はがんじがらめだ、というのは誤解で、「やばい事態を回避する」というオプションがあるという意味での自由でよしとせよ、ということらしい。それでも、「あらゆることを予測して、さらにそれを変えたい」というのは、神の意思があったらそれも曲げたい、といってるのと同じだ、というようなことも言ってました。で、(理由は理解できませんでしたが)そういう意味での「自由」は無益だから、望む必要がないと。すみません、著書を読んだほうがいいと思います。。。

質問タイムも別に挑戦的なものがあるわけでなし、満場の拍手で終了しました。最初の謎である、「創造説との対立は?」という問題については答えが得られませんでした。ちなみに、敬虔なキリスト教徒であるKen先生も別の機会に聞きに行ったはずですし、会場にキリスト教徒はいなかった、ということはないだろうと思います。キリスト教に深く入信している人でも創造説や進化論に対するスタンスはさまざまでしょうし、単純に「対決!?」と決め付けてはいけないんでしょう。でも、今後もこの興味は持ち続けて、ときどきのぞいてみたいと思います。からかいや野次馬になるのだけは気をつけて。