時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

三月の水

2006年03月26日 | Bloomingtonにて
昨日もJCC(日本語会話グループ)の集まりがありました。みんなは夜11時から(!)カラオケに行ったそうです。とくに行きたがるのは日本の音楽が好きなアメリカの子たちで、9月から日本に留学するAliさんは、Luna-Cなど、ビジュアル系が好きなんだそうです。日本でLIVEに行くのが楽しみだとの話。私はカラオケ、理由があっていけませんでした。個人的に私を知る人が見ていらっしゃったら、私が「カラオケ大王」(バカ)であることはご存知かと思いますので、私の無念さはお分かりいただけると思います。

昨日は新しい参加者がいました。今回はブラジル人、Marikoさんというその人は、両親とも日本人、Sao Paulo郊外の街で生まれ育ったのだそうです。40年ほどまえにご両親はブラジルに来たのだそうで、ご両親とは日本語で話しますが、ご本人はポルトガル語で教育を受けたので、日本語は不十分。それでJCCに来たようです。

日本の伊勢原市で参加していた日本語教室(ボランティアグループ、現在も活動中)でも日系2世・3世の人と接する機会がありました。そこで出会ったのは、ブラジル・ペルー・ボリビア国籍の日系の方。カルメンさんはペルーの日系3世。彼女は大学を出てけっこういい職業についていたのだそうですが、フジモリ政権が終わるとどうも日系にとっては都合が悪くなって、日本にくることにしたと言っていました。日本ではクリーニング工場で働いていました。姪のマリアさん等もみんなそこで働いていましたが、きつい仕事で、しかもほとんど休日ももらえていないようでした。「自分がより安いクリーニング屋をさがすと、この人たちを低賃金の重労働で搾取することになるのか」と考えさせられたりしました。

こういうような事情は新聞などをちゃんと読めば分かったのでしょうが、不勉強な私は、どれもこれも日本語教室で直接接して初めて知ったことばかりでした。日本からの移民に沖縄の人が多かったこともそのとき知りました。

あの人たちが今どうしているか、とても気になります。まだ日本にいると思いますが、連絡は途絶えてしましました。彼女たちが仕事が忙しくなって日本語教室には来られなくなったまま、今度は私がアメリカに来てしまったからです。彼女たちが暮らしていた日系人地域に行ってみたい、とずっと思っていました(BoliviaにはOkinawaという地域があるらしい)が、アメリカに来るのはチャンスだと思ってきました。日本より近いので。IUのMarikoさんの地域も、日本人が多いそうです。

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昨日の話しに戻ると、Marikoさんとブラジル音楽の話をして、私の知らないマリーザ・モンチという歌手(有名らしい)を教えてもらいました。TVがないので(というより持たないことにしたので)、音楽を以前よりは聴くようになりましたが。ブラジル音楽といえばElis Reginaが作曲者のAntonio Carlos Jobimとデュエットしたáguas de março (三月の水)は大好きな曲の一つで、CDを持って来てあります。曲はルートがだんだん下がっていくというアイデア一発ものだし、歌詞も、言ってみればたんなる言葉遊びですが、それでも出来上がったものは奇跡みたいな名曲だと個人的には思います。

今日歌詞を知りたくてgoogleで調べていて、岩切さんという方の日本語訳を発見、それを読んではたと気がつきました。春の歌だとばかり思い込んでいたのですが、ブラジルの三月は春じゃないですね。この歌は夏の終わりの歌なのだそうです。Marikoさんと「ブラジルは今、夏の終わりだ」という話をしていたのですが、それでも気付きませんでした。águas de marçoの歌詞については、三月によくあるリオの洪水のあとのようすだ、夏のバカ騒ぎ・恋愛沙汰などを水に流して真面目にやるか、という気持ちだ、などいろいろ解釈が紹介されていました。águas de marçoの最後のフレーズは

夏を閉じる 三月の水 君の心には 生きる希望

という意味なんだそうです。ここの三月はなかばから寒さが戻り、先日は雪がまた積もりました。今日も気温が6℃までしか上がらず寒いですが、予報によるとそろそろ暖かさが戻ってくるらしい。Bloomingtonの三月にも生きる希望を与えてもらえそうです。