新監督のリクルート、予想以上に難航、決まらないまま原さんが帰ってきて、サッカー報道が少々かまびすしくなってきました。でも、よく見るスポーツナビのブログで読む限り、ファンの方々には冷静で、共感を覚える意見が多いように思えます。
記者会見記事を読んだのですが、原さんらしく率直で、いろんな事情が分かってとても勉強になりました(レッズの監督、スカパーのコメンテーターとして見てきたので、多少なじみがあります)。なにより印象的だったのは、
「世界のマーケットの中でも取り合いになるようなところから、まず当たってみようということです。」
という発言。たいへん好ましく感じます。本気だなと。そうこなくちゃ、と。
で、やっぱりネックは前の記事で推測を書いたとおり、「日本」のようです。欧州の人にとってやっぱり日本は遠い。とくに家族は嫌がるでしょう。食事も、習慣も違う。簡単に帰れない。教会は? 学校はどうなる? と。もう一つはペジェグリーニさんが断った最終的な理由、「日本に4年もいると欧州の監督市場から外れるかも」という気持ち。チリ人の彼も、いわば欧州の人なのですね。以下のような説明もありました。
「いろんな思いで日本に行く気持ちはあっても、いざ4年、2年でもいいですけど、日本に行くという決断をするには彼だけの意思ではなくて、家族であったり、連れていくコーチなどいろんな要素が絡んできます。最終的に、なかなか決断が遅れてしまったり、今挙げたような監督は少し待っていれば、間違いなくビッグクラブなどからオファーがある人ですから、日本のことに興味を持っていても最終的には思い切れなかったということですね。」
つまり、ことサッカーに関しては、世界の中心は欧州で、日本は辺境だと。その辺境に、中心地の人、それもそこで十分チャンスがある人を引っ張ってこようとすると、簡単じゃないと。原さんや技術委員会の責任を問う人には、自分たちの立ち居地を確認すべきなのだ、と言いたい。私たちはこの程度なのですね、残念ながらと。そして、値踏みされているのは交渉に当たった人々ではなく、日本という国、日本サッカー全体なのだと。だから、この評価にむしろ責任があるのは、これまでの日本代表チームであり、欧州でプレーしてきた日本の選手たちなのではないでしょうか。責めているわけではありません。なかなかの評価があるから、契約ぎりぎりの線に至っている人もいるわけですから。(ただ、南ア代表チームの戦い方は、候補者の目にどう映ったか...)
見通しが甘いとか、端で言うのは簡単だけど、全て、やってみないことには分からない。交渉してみたから日本のサッカーの、欧州での評価が分かった。本気で当たってくれた原さんたちは、評価したいし、応援したい。やれるところまでやり切って、どこまでの人なら連れてこられるのか(こられないのか)、交渉で問題になるのは何か、できる限り洗い出してほしい。
最終的にどの交渉も不調に終わり、いったんJリーグ関係者が監督になったとしても、それも教訓。「まだ、われわれには分不相応だった」と分かれば、次の出方も考えられる。半年、一年経てばまた監督市場に上がる人も出てくるでしょう。その間、欧州にいる選手には頑張ってもらって、遠くてもやってみたい、と思う人を増やしてもらうしかない。
それにしても... スポーツメディア、とくにスポーツ新聞はどうしてこう否定的なのでしょう。そのほうが読んでもらえるからという以外に、自社が代表のビジネスに絡んでいて、新体制が早く軌道に乗らないと困るとか、あるんじゃないの? と勘繰りたくなります。記者会見を見ると、責任追及をする記者もいて、個人的には不愉快。今回のような記事をはじめとして、スポーツ報道と呼べないものが少なくないと感じます。決して、原さんが好きだからではありません。
もう一つ、それにしても... 早く新体制でスタートを切ってほしい気持ちは分かるけど、そんなにまずいですかね、この程度の遅れ。前の4年がどうだったか思い出してみればいいのに。新チームスタート一年余りで監督が倒れ交代、そのあとの二年半も迷走した挙句、最後の10日ほどでどんでん返しの突貫工事。数ヶ月を無駄にするのが許せないというんだったら、前回のチームのほとんど4年の無駄には、もっとよほど怒るべきではないでしょうか。あれを繰り返さないために時間がかかっても粘り強く交渉しているのでしょうに。
(追記)
一夜明けて、フリーのジャーナリストの方々もこの問題に関するコラムを載せていました。最近は早いですね。
後藤健生さん http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2010082513530402.html
「こういう人に交渉すべきだった」はそのとおりでしょう。でも、それも、(推測はできたにせよ、ホントにそうなのかどうかは)やったから分かったんでしょう。あと出しジャンケンみたいな批判は感心しません。
戸塚啓さん http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2010/08/post_1689.html
やはり、「見通しが甘い」という論調。でも、じゃあどんな人に交渉してほしいのか。強化の貴重な時間が無駄になる、という見解も述べていますが、戸塚さんのオフィシャルブログで、この4年間の停滞を嘆いてるのと整合しません。
ジャーナリストも「批判が商売」なのでしょうか。また、どうしても責任は協会サイドなんでしょうか? 上記のとおり「批判を向けるなら、まだまだな自分たちに」だと思う。日本サッカーの向上を願って、ということなら、大衆批判がむしろ必要な場合もあると思うのですが。
交渉の遅さを批判する声もあるのですが、おそらく辺境である日本、という問題と関連するのでしょう。どういう人事にしても、有力なほうから先に決まるのが通例。モウリーニョが最も早く決まり、ベニテスときて... 魅力的なポジションから、優秀な人材のほうから決まっていく。日本代表監督は、その段階ではむこうにとって考慮の対象にあがってこない。順番はまだだよ、ということだったのだと。じゃあ、そういう序列から外れた人に最初から当たって、早く決めればよかったのか。現状はそうだったのかもしれません。でもでは、そうやって自らの足元を見て妥協した人選をした場合、「その程度か」と批判しなかったのか。今でも狙った線で決まる可能性は残っているわけで、なぜ待ってやれないでしょう。日本に対する、自らに対する現状認識が高すぎる、と思います。
記者会見記事を読んだのですが、原さんらしく率直で、いろんな事情が分かってとても勉強になりました(レッズの監督、スカパーのコメンテーターとして見てきたので、多少なじみがあります)。なにより印象的だったのは、
「世界のマーケットの中でも取り合いになるようなところから、まず当たってみようということです。」
という発言。たいへん好ましく感じます。本気だなと。そうこなくちゃ、と。
で、やっぱりネックは前の記事で推測を書いたとおり、「日本」のようです。欧州の人にとってやっぱり日本は遠い。とくに家族は嫌がるでしょう。食事も、習慣も違う。簡単に帰れない。教会は? 学校はどうなる? と。もう一つはペジェグリーニさんが断った最終的な理由、「日本に4年もいると欧州の監督市場から外れるかも」という気持ち。チリ人の彼も、いわば欧州の人なのですね。以下のような説明もありました。
「いろんな思いで日本に行く気持ちはあっても、いざ4年、2年でもいいですけど、日本に行くという決断をするには彼だけの意思ではなくて、家族であったり、連れていくコーチなどいろんな要素が絡んできます。最終的に、なかなか決断が遅れてしまったり、今挙げたような監督は少し待っていれば、間違いなくビッグクラブなどからオファーがある人ですから、日本のことに興味を持っていても最終的には思い切れなかったということですね。」
つまり、ことサッカーに関しては、世界の中心は欧州で、日本は辺境だと。その辺境に、中心地の人、それもそこで十分チャンスがある人を引っ張ってこようとすると、簡単じゃないと。原さんや技術委員会の責任を問う人には、自分たちの立ち居地を確認すべきなのだ、と言いたい。私たちはこの程度なのですね、残念ながらと。そして、値踏みされているのは交渉に当たった人々ではなく、日本という国、日本サッカー全体なのだと。だから、この評価にむしろ責任があるのは、これまでの日本代表チームであり、欧州でプレーしてきた日本の選手たちなのではないでしょうか。責めているわけではありません。なかなかの評価があるから、契約ぎりぎりの線に至っている人もいるわけですから。(ただ、南ア代表チームの戦い方は、候補者の目にどう映ったか...)
見通しが甘いとか、端で言うのは簡単だけど、全て、やってみないことには分からない。交渉してみたから日本のサッカーの、欧州での評価が分かった。本気で当たってくれた原さんたちは、評価したいし、応援したい。やれるところまでやり切って、どこまでの人なら連れてこられるのか(こられないのか)、交渉で問題になるのは何か、できる限り洗い出してほしい。
最終的にどの交渉も不調に終わり、いったんJリーグ関係者が監督になったとしても、それも教訓。「まだ、われわれには分不相応だった」と分かれば、次の出方も考えられる。半年、一年経てばまた監督市場に上がる人も出てくるでしょう。その間、欧州にいる選手には頑張ってもらって、遠くてもやってみたい、と思う人を増やしてもらうしかない。
それにしても... スポーツメディア、とくにスポーツ新聞はどうしてこう否定的なのでしょう。そのほうが読んでもらえるからという以外に、自社が代表のビジネスに絡んでいて、新体制が早く軌道に乗らないと困るとか、あるんじゃないの? と勘繰りたくなります。記者会見を見ると、責任追及をする記者もいて、個人的には不愉快。今回のような記事をはじめとして、スポーツ報道と呼べないものが少なくないと感じます。決して、原さんが好きだからではありません。
もう一つ、それにしても... 早く新体制でスタートを切ってほしい気持ちは分かるけど、そんなにまずいですかね、この程度の遅れ。前の4年がどうだったか思い出してみればいいのに。新チームスタート一年余りで監督が倒れ交代、そのあとの二年半も迷走した挙句、最後の10日ほどでどんでん返しの突貫工事。数ヶ月を無駄にするのが許せないというんだったら、前回のチームのほとんど4年の無駄には、もっとよほど怒るべきではないでしょうか。あれを繰り返さないために時間がかかっても粘り強く交渉しているのでしょうに。
(追記)
一夜明けて、フリーのジャーナリストの方々もこの問題に関するコラムを載せていました。最近は早いですね。
後藤健生さん http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2010082513530402.html
「こういう人に交渉すべきだった」はそのとおりでしょう。でも、それも、(推測はできたにせよ、ホントにそうなのかどうかは)やったから分かったんでしょう。あと出しジャンケンみたいな批判は感心しません。
戸塚啓さん http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2010/08/post_1689.html
やはり、「見通しが甘い」という論調。でも、じゃあどんな人に交渉してほしいのか。強化の貴重な時間が無駄になる、という見解も述べていますが、戸塚さんのオフィシャルブログで、この4年間の停滞を嘆いてるのと整合しません。
ジャーナリストも「批判が商売」なのでしょうか。また、どうしても責任は協会サイドなんでしょうか? 上記のとおり「批判を向けるなら、まだまだな自分たちに」だと思う。日本サッカーの向上を願って、ということなら、大衆批判がむしろ必要な場合もあると思うのですが。
交渉の遅さを批判する声もあるのですが、おそらく辺境である日本、という問題と関連するのでしょう。どういう人事にしても、有力なほうから先に決まるのが通例。モウリーニョが最も早く決まり、ベニテスときて... 魅力的なポジションから、優秀な人材のほうから決まっていく。日本代表監督は、その段階ではむこうにとって考慮の対象にあがってこない。順番はまだだよ、ということだったのだと。じゃあ、そういう序列から外れた人に最初から当たって、早く決めればよかったのか。現状はそうだったのかもしれません。でもでは、そうやって自らの足元を見て妥協した人選をした場合、「その程度か」と批判しなかったのか。今でも狙った線で決まる可能性は残っているわけで、なぜ待ってやれないでしょう。日本に対する、自らに対する現状認識が高すぎる、と思います。
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