昨日取材した方は81歳の現在も日々新しいアイデアを事業にすべく東奔西走、ありふれたアクティブ・シニアなどという呼び方が陳腐に聞こえてしまう、バリバリ現役の起業家でした。
いや、起業プランナーとか起業プロデューサーという呼び名のほうが相応しいかもしれません。
専門の化学知識&技術と唯一の食べ歩きの趣味で得た成果を活かし、人が見向きもしないものや廃棄されたものを何とかもう一度主人公にすべく、頑張っておられました。
ただしご本人に気負いは一切なく、ただただ自分のやりたいことを人様のため、そしてちょっぴり自分のため、そして地域の(活性化の)ために考えて実行したら、現在のスタイルになっただけのようです。
47歳で独立、62歳で社長を退いた後は、公的事業で技術者OBを活性化するプロジェクトを立上げ、それを他府県にも広め、現在はさらに知人で沖縄の゛そば打ち男゛(←残間里江子さん風呼び方)を、地元のために一肌脱ごうとする食品会社の社長に仕立てあげました。
近く、この社長の事業もスタートするとか。
また北海道にも着目、近々新たな会社を作る計画もあるようです。
次々に課題が出てきて、解決しようとしたらそれが新たな事業になるといった具合でした。
秋に入ったばかりの頃、知人が「もう年やから老兵は去るのみ」とある事務局の仕事を勇退しました。
75歳という年齢を考えると無理に引きとめもできないし、本人の決意も固いからと周囲は残念に思いながら見送りましたが、「81歳でもまだこれから会社を作ろうとしている人の話」を聞いたら彼は何と言うでしょうか。
日本人の大好きな「もう年だから○○出来ない」の言葉を早く返上し、(誰も彼もが起業家になれとは言えませんが)暦年齢などにとらわれず、自分のしたいことをする、いつまでも好奇心旺盛で活動的な大人でいたいと思います。
いや、起業プランナーとか起業プロデューサーという呼び名のほうが相応しいかもしれません。
専門の化学知識&技術と唯一の食べ歩きの趣味で得た成果を活かし、人が見向きもしないものや廃棄されたものを何とかもう一度主人公にすべく、頑張っておられました。
ただしご本人に気負いは一切なく、ただただ自分のやりたいことを人様のため、そしてちょっぴり自分のため、そして地域の(活性化の)ために考えて実行したら、現在のスタイルになっただけのようです。
47歳で独立、62歳で社長を退いた後は、公的事業で技術者OBを活性化するプロジェクトを立上げ、それを他府県にも広め、現在はさらに知人で沖縄の゛そば打ち男゛(←残間里江子さん風呼び方)を、地元のために一肌脱ごうとする食品会社の社長に仕立てあげました。
近く、この社長の事業もスタートするとか。
また北海道にも着目、近々新たな会社を作る計画もあるようです。
次々に課題が出てきて、解決しようとしたらそれが新たな事業になるといった具合でした。
秋に入ったばかりの頃、知人が「もう年やから老兵は去るのみ」とある事務局の仕事を勇退しました。
75歳という年齢を考えると無理に引きとめもできないし、本人の決意も固いからと周囲は残念に思いながら見送りましたが、「81歳でもまだこれから会社を作ろうとしている人の話」を聞いたら彼は何と言うでしょうか。
日本人の大好きな「もう年だから○○出来ない」の言葉を早く返上し、(誰も彼もが起業家になれとは言えませんが)暦年齢などにとらわれず、自分のしたいことをする、いつまでも好奇心旺盛で活動的な大人でいたいと思います。