のほほん自転車日記

早く走るより、回りの景色をみながらのんびりゆっくり。
自分の人生も介護ものほほんと…

7月27日(月)

2009-07-28 12:29:53 | ピースサイクル

朝、天気をみたらやっぱり雨。

天気予報当たってます。

とにかく、ピースサイクルに参加すべくさっそく黄色いカッパを着こんで自転車に。

あまりカッパを利用して雨のときに走ったことがないので、いつもより中止して走行。

市役所に10時集合。

多少遅れてしまったけど、なんとか許してもらえる範囲!?

さっそく市役所内の会議室に通してもらって申し入れです。

(以前はロビーでしたが、今回は会議室を用意していただけました)

市の方の冒頭のあいさつでは、とにかくこのピースサイクルという活動に敬服しているということを言っていただけました。

さて、申し入れの内容は、平和のこととともに、環境、福祉、道路整備などについてです。

職員の方が、一生懸命市としての対応についてということで回答をしてくれました。

熱がこもった説明でしばし時間が長くなってしまいましたが…。

そして、最後に市から広島、長崎市長宛への「平和メッセージ」をお願いしました。

ですが、この件に関しては、中立の立場でないといけないため、あえてピースサイクルにメッセージを託すことはできないということでした。

行政というところは、公平・中立でなければならない。。。確かに。

でも、逆にそういうメッセージを託している市町村はそうではないということに???

わたしとしてはなぞです。

あと、「非核平和都市宣言」ですが、豊田は会員ではないけれども、ちゃんと1982年に非核平和都市宣言はしているようです。(いままでしてないと勘違いしていました

もっとアピールするとよいですね。

しかしながら、宣言率を見ていたら、愛知は下から5番目でした。

会員についてはお金もいるし、わざわざ入らなくてもいいのでは?ということなんでしょうか?

何かとにかく事情があるのでしょうが、戦争を推進するようなことに行政がかかわって市民を惑わすようなことだけはしてほしくないものです。

さて、思ったより時間がかかってしまいましたが、次の三好まで自転車でひとっ走りです。

雨が少しでも上がるかと思いきや、そうでもなく再びカッパを着こみました。

雨の走行は結構体を冷やしてしまうので、カッパは必需品ですね。

豊田から三好はお隣なので、あっという間につきましたが、ここでわたしは母をディに送っていかなければならないということでお別れしました。

とりあえず記念撮影です。

走行距離…25.7K

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ピースサイクル

2009-07-25 20:15:17 | ピースサイクル
今年もピースサイクルの活動日が迫ってきました。
あれからもう1年。
あっという間です。
きょう、“戦争を知っていますか?”というNHKのテレビをみながら、風化されつつある戦争体験を通していろいろと考えてしまいました。
自分の想いを伝えるべく、限られた時間の中で自転車走らせようと思います!!
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半年ぶりの再会

2009-01-19 10:07:46 | ピースサイクル

のち

この日の天気予報は、曇りのち雨。天気予報もそうあてにならないな。。と思いつつ、空をみるとやはり雨が降ってきそうな天気。

半年にぶりに会うピースサイクルのひとたちも集まるという、「新春のつどい」に初めて参加してきました。

天気の様子をみながら、それなりに準備をして自転車で出発

目指すは“原駅”まで。そこからは電車で移動です。

太陽が照っていない分ちょっと寒さを感じたけれどもまずまずの走り出し。

久しぶりに通る道の左側には小川が流れていますが、以前はこの時期になるとゴミがむき出しになっていて、とても汚かったですしかし、今回は意外にもきれいになっていました。ちゃんと不法投棄禁止の看板も立てられていましたよ

きれいになった川と道を通りながら、ちょっと危険な道に突入です。

写真をみてわかりますか?歩道がいきなりなくなっているのが

わたしはこの道が好きじゃないんですが、ここを通らないと目的地にいけないんで我慢です。

この日は日曜日とあって、あまり車の通りも激しくないし、トラックがまったくと言っていいほど走っていなかったので、ちょっと安心でした。

ちなみにこの道は、日進に向かう高校生の自転車通学路にもなっています。高校生たちが走る時間は、ちょうど通勤時間と重なるので危険ですね。

ここから日進市です。左手にはゴルフ場入口があります。そして、この看板の手前に無意味と思われる横断歩道があるんです。いったい誰が使うんでしょう?

さて、この先相変わらずまったく歩道がない上に、路肩もほとんどない状態。車がこないうちに猛ダッシュです!

さぁ、この危険な道路を過ぎたあとは川沿いの安全な道を走っていきました。

途中、桜並木があり、是非桜の花が咲くころに走ってみたいと思いました。

日進市内を走っているときに、珍しい建物を発見!!いったい何だと思いますか?

疑問に思ってほんのちょっとだけ寄り道しましたが、なんと図書館でした。まるで最初見た時は、かわいらしい子ども美術館かなと思ってしまいました。

そんな寄り道をしながら、昨年初めてピースサイクルのひとと走った道をたどりながら天白川沿いをズンズンと走らせていき、予定よりも早く原駅に着いてしまいました。せっかくなので、もうちょっといけるかなということで、植田まで行きました。(ここくらいまでは、昔娘が新体操でよくお世話になって天白スポーツセンターに通ったりしていたのでわかりますずいぶん前のことなので、ちょっと懐かしい気分です)

ここまで1時間ちょっと16K程度でした。たぶんゆる~やかな下りが多かったので、予想より早く着いたかと…

さっそく有料駐輪場に自転車を止めましたが、場所が変われば駐輪の仕方も違うんですね

平日は管理人のおじさんがいそうな場所です。

ここからは伝馬町まで電車に乗って移動です。もし時間がたっぷりあって天気が良ければ自転車で行っていたかも。

伝馬町から熱田の“働くひとの家”まで歩いて13分程度なんですが、方向感覚がないわたしにとってはたどり着くのに時間がかかってしまいました

初めてみる働くひとの家。ここはカトリック教会が管理をしているようですね。すぐお隣に教会と幼稚園がありました。

遅れて着いたから当然なんでしょうが、すでにたくさんのひとがいてびっくり

初めていく場所は、どんなひとがいるんだろうか?とドギマギするものです。でも、ピースサイクルでお世話になった方もいてひと安心。

テーブルについてゆっくりまわりの方と話す時間があるというよりは、いろいろなひとが前にでて歌のパフォーマンスをしていたり、活動紹介をしたりしていたので、それに圧倒され続けてしまいました

ユニオンを新たに立ち上げたひと、核の廃棄物処理問題にかかわっているひと、イラク派兵訴訟裁判の発起人のひとたち、環境問題のことにかかわっているひと…とにかく活動家のひとがたくさんでした。人権擁護活動家のひとたちといっていいかもしれません。のほほ~んとしているわたしには、ちょっと面喰った感じです(わたし、この場にいてもいいんでしょうか、、的な)

それでも、ピースサイクルのひとに会うことができただけでもよかったし、資料をもらったり、そのなか路上生活支援をしているひとたちの状況がわかったので、よかったかなと思います。

ということで、まだまだ宴は続いていましたが、自転車で帰らなきゃならないし天気も不安、母のことも心配ということで、早めに切り上げて帰ることに。

みなさんにあいさつをして、とは思いきや、呼び止められて時間が長くなるのもどうかと思い、そそっと退席させてもらいました。

駅まで13分。。。早くたどり着くかと思いきや、1時間半もかかってしまいました

行きに間違えてるから、帰りもやっぱり間違えるんですねぇ。

おそるべし方向音痴このまま路頭に迷ってしまうのか?と心配になるほどでした。

歩き続け、途中から雨は降ってくるし、傘をさそうと思って広げたら壊れているし…。ちょっと精神的にめげそうでしたが、ここは日本。やっぱり駅にはちゃんとたどり着くものです

植田について、ちゃんと雨合羽着て帰りましたが、結局家についたのは17時前。予定では15時過ぎには家に帰ってくるはずだったんだけど…。

まぁ、この日だけでかなり運動量でしょう。たくましくなりました

きょうの走行距離…32.9K 万歩計ももってけばよかった。。。 

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まとめ 感想

2008-09-20 20:26:04 | ピースサイクル

7月27日に出発して、8月7日に帰宅。まるっと家をあけた日数は11日間。

最初は期待より不安がいっぱいでしたが、終わってみれば本当に充実した日々を過ごしたと思います。

考えてみたら、毎日5時間以上は自転車をこいでいたわけですが(多い時は8時間?)、全然気にならなかったですね。それに、先頭のピースサイクリストのひとの後ろを遅れまいと追いかけるように走っていましたが、後続サイクリストへの気遣いがあったりしたため、安心して走り通すことができたんだと思います。

以前家族で、茶臼山や東栄町、伊勢志摩や京都に行ったときは、ただ単に自転車旅行をする観光目的でしたが、今回は“平和”というものに対して、何がいったい自分にはできるのだろうということを考える旅でした。

だから、自転車をこいでいるときは、いっぱい考えたりしたし、祈りと言うか、平和への願いを込めて走ったり、あとは歌をうたったりと平和である時間を満喫したといってもいいかもしれません。

自分の知らないことも多くて…驚きもたくさん。そして、いろいろな活動をしているひとたちのことも知り、普段自分が生活している時間と空間とはあきらかに違う…そんなのをヒシヒシと感じました。

そんな中で、わたしは決して活動家にはなれないだろうけど、大事なことはシンプルだけど、相手のことを思う想像力や思いやり、ひととひととの絆が深くなって広がっていくことなんじゃないかって、このピースサイクルで強く思いました。そして、常に信念と希望を失わないこと。

わたしは、このピースサイクルに参加できたことで、自信もついた気がします。たぶん人に話すことができる体験ができたということもあるかもしれません。

いま、このピースサイクルの存続自体、後継者不足のため危ぶまれている地域もありますが、わたしはこの活動を細々とでもいいので続けていってほしいと強く願っています。そして、できれば少しでも関心を持つひとがいれば、気軽に参加して一緒に平和への想いをペダルに込めて走れたらと思います。

最後に、このピースサイクルでお世話になった皆さんに心を込めてお礼を言いたいです。

本当にありがとうございました

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まとめ 持ち物

2008-09-18 17:09:58 | ピースサイクル

<大きなリュックの中身>

★着替え上下(5日分)←なるべく速乾性のある安いDRYシャツ。これは結構よかったですね

初日雨が降ったりして濡れましたが、すぐ乾きました。それに汗をかいてもベトベトしなくてよかったです。

洗濯しても翌日にはしっかり乾いたので、助かりました

★靴下3足←良かったと思った五足指の靴下。おすすめです。

★アメニティグッズ

★化粧水←ほてった皮膚にやさしいいたわり

★ボディローション←ラベンダーの香りで心身ともにリラックス

★てぬぐい3枚←上品にいうとフェイスタオルです

★合羽←結局一度も使いませんでした昨年は台風の中を走ったということだったので、去年だったら役に立っていたことでしょう、きっと…。

★靴←安い靴を履いていったので途中で悪くなるかなぁと思い、替えの靴を用意しました。案の定途中で替えることになりました。(だったら最初っからいい靴履けよって言われそうですが

★草履←宿泊先でやっぱりリラックスするには草履しかありません。

★ビニール袋

★荷台用ゴム紐←重いリュックを背負っての自転車の移動は大変なので、荷台にくくりつけてということで用意しました。これは、どちらかというと大津から京都までサポート車もなく自力で行かなければならないときのために使うことを想定していたのですが、結局使ったのは、出発時(自宅から豊田市役所)と帰宅時(駅から自宅)だけでした。

★薬←百草丸と酔い止め(決して二日酔い止めではありません

★瞬間冷却パック←どうしようもない暑さのとき、タオルにこれをくるみ首にまきました。

★スポーツドリンク粉

★ミニハンガーとハリがねハンガー←洗濯物を干すときに大活躍しました!

★携帯電話とカメラの充電器←こっちにも電力という食事がなければ働けません。

 

<フロントバッグ>

★日焼け止めクリーム(必須!!) 

日焼け止めリップクリーム(途中で購入)これがないと唇がたらこ状態になり悲惨なことに

実はそんな風になってました…

★ペンとノート←あらゆることを書き留めるにはこれしかないです。普段書くことをあまりしてなかったから、ちょうどいい勉強です。でも、あんまりにも字が汚すぎて、あとで読み返せないのがたまにきず

★貴重品←edyカードはそれなりに役に立ち助かりました。できることならもうちょっと普及してほしい。あとは、クレジットカード。でも、暗証番号を知らず(普段使わないから)、現金引き出しにまで至らず…。まぁ無駄遣いしなくてよかったけど、終盤こころもとなかったのは確か。ちゃんと暗証番号を覚えてから出発しないとね。あと小銭は飲み物を買ったりするのに要りました。

★名刺←データで写真を送ったりしてもらうときにアドレスをいちいち書く必要もないのがいい。

★保険証

★デジタルカメラ

★携帯電話←今回ブログUPに大活躍でした

★MY箸←やっぱり持っていってよかった。

★Myバッグ←洗濯物入れたり、いろいろな場面で使い主婦してました。

★汗ふきシート←臭いにおいに慣れると必要ないかもしれませんが…。

★ティッシュにハンカチ

★手袋←途中で手袋あった方が手が疲れないし、手が痛くならないということだったので購入しましたが、わたしの手の皮は予想以上に厚く、まったく必要としませんでした今では我が家の草取り用となっています。

★ばんそうこう

★自転車工具とチューブ←これがないと…何度お世話になったか。

 

<持っていけばよかったと思ったもの>

★なんといってもサングラス!!狸になってもいい…そんな気持ちでかける覚悟がないと駄目だけど。

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まとめ 走行距離

2008-09-17 20:14:34 | ピースサイクル

自転車走行距離

7月27日…45.35k 自宅~豊田市~名古屋

7月28日…52k 名古屋~岐阜市

7月29日…67k 岐阜市~米原市

7月30日…82.74k 米原市~京都 

7月31日…59.63k 京都~大阪市

8月1日…81.28k 大阪市~兵庫県高砂市

8月2日…73.7k 高砂市~岡山備前市

8月3日…102.37k 備前市~福山市

8月4日…105.45k 福山市~広島呉市

8月5日…37.93k 呉市~広島市

8月6日…8k 広島市内

総走行距離…715.45k

 

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8月6日(水) No6

2008-09-15 09:58:39 | ピースサイクル

盛り沢山のフィールドワーク。

なかなか見ること、知ることができなかった場所を訪れ、説明もいろいろと聞くことができ、かなり充実した時間を過ごすことができました。

乗り込んだバスも出発場所まで送っていってくれたおかげで、市街を迷い歩くこともなくよかったです

さて、自転車に乗って広島駅へ。

電車の時間までまだあったのでお土産を買ったり、夕食をしたりして過ごしました。

あとは、初めての輪行ということで、ドキドキしながらタイヤを外したりしました。

正直、わたしが乗っていた自転車は、輪行のことを考えてあるわけでもなかったので、荷台はついているし、泥除けがついているし、輪行するにはいろいろはずさなくてはならなくなってしまいます。ましてや、自転車に対しての豊富な知識があるでもなし…。ということで、超速FIVEという輪行袋を使用しました。なんといっても、前輪(と、泥除け)をはずすだけでいいのが有り難いです。

とはいえ、慣れないことをしているので、時間がかかってかかって…あ~恥ずかしいとも思っていられないので、とにかく必死でした!なんとか自転車を袋に入れ、駅構内へ。

10K近くある自転車と、自分の10日間あまりの荷物が入っているリュック。

肩にずっしりと重みがきます

それほど苦労しなくても、自転車も荷物も送ってしまえばいいのではないかと言われてしまいそうですが、今回の旅でお金も使っているので、自力できそうなことにお金を使う気になれないんですよね。最も輪行も今後のことを考え(えっ?まだ行くの?)経験もしておきたい気持ちもあったのも確か。

駅のホームで電車が来るまで、ちょっとドキドキ。

22時過ぎで人気(ひとけ)もないかなぁと思いきや、家族連れのひとが待ってたり、何か子ども会かわからないけど、子どもの集団がいたりと賑やかでした。

いよいよ寝台列車がホームに入ってきました。みんなカメラ片手に列車を撮影。わたしはカメラを出して撮る気力もなかったですが、近くに座っていた紳士的な格好をしている男性までもが、急に写真を撮りだしている姿をみたとき、あ~このひと電車オタクだったんだぁと驚きました。でも、来年にはこのブルートレインも廃止され、非常に貴重な写真となるのでしょうからそれも仕方無いですね。

さて、寝台列車の入口は意外にも狭く、輪行袋が何度も壁にぶつかりそう…いえ、ぶつかってましたね。自分の部屋(個室)までなんとかたどり着き、やっとこさ輪行袋を押し込み落ち着くことができました。この寝台列車の個室は1階と2階と別れているのですが、本当に1階でよかったですでなきゃ、どうなってたことやら・・・

写真は、寝台列車内ですが、自転車は奥の窓側についている小さな机?にどかっとタイヤをのせてます。でないと入りきりません右側はすぐベッド、幅は70cmくらいかなぁ?右上は2階個室部屋のベッド部分か、荷物置き場かも。

車掌さんが切符の確認にみえ、明日名古屋に着く時間が早いので声をかけましょうか?と言って下さったので遠慮なくお願いしました。爆睡して降り忘れたら悲惨ですから。

寝台列車は、うるさくて眠れないよ、、と友だちに言われていたけれども、疲れと酔い止めの薬のせいか、気持ちよく寝れました。初めての寝台列車体験は、狭いけれども、その空間が心地よく(飛行機のあの空間は絶対好きじゃない)、ちょっとジメジメ感があったのは、空調のせいでしょうか?でもわたしにとって楽しかったですね。できることなら、もうちょっと乗っていたかったなぁというのが感想です。

朝名古屋にもうすぐ到着というとき、車掌さんがドアをたたく音が聞こえました。まだ他のひとは眠っているので、静かに荷物を移動。

降り立った名古屋はいつもと違って人通りもほとんどなく、とっても静か。

改札口をでて、自転車を組み立てて家に帰ろうかと思ったとき、ブレーキの部品のねじが飛んでしまいました。一生の不覚です!20K以上ある家まで帰ることに対してさすがに不安に感じたので、再度袋に自転車を詰め込み、出したり入れたりで時間をくってしまいましたが、なんとか早い時間にJRの電車に乗り込むことができました。

実は、JRの電車に乗ろうと改札口に行ったとき、駅員さんからそれは持ち込みできません、と言われすっごくあせってしまいました若い駅員さんだったようなのでわからなかったようですが、ちゃんとタイヤをはずしてあるので、と説明し持ち込みOKになりました。

通勤列車の時間帯だといやだなぁと思っていたものの、なんとかその時間帯にかち合う少し前であったのと、名古屋発→高蔵寺→豊田市駅行きに乗ったのが正解でした。

家の近くの駅に着くと、友人から迎えにいくよぉというありがたいメールがはいりました。こういうとき持つべきものは友。。嬉しかったですねぇ

でも、近かったし、自転車も1K程度なら問題もなかったので家まで乗って帰りました。

これが名古屋の途中だったら、助けを求めてたかも…

こうして広島までの旅を無事に終えることができたわけですが、、、あとはこの旅のまとめをしたいと思います。

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8月6日(水) No5

2008-09-12 09:22:03 | ピースサイクル

旧軍港宇品港…過去(日清戦争から太平洋戦争)ここの場所から兵士が輸送船に乗り、戦場に送りだされていき、多くの戦士が再びもどることはなかったそうです。

日清戦争凱旋碑…小さな公園にあり、碑には「平和塔」と書いてあります。

でも、写真をよくみてください。何か不思議に感じませんか?

わたしは、これをみた瞬間に違和感を感じました

塔の上部に飾られているのはトビです。(わたしは最初鷹かなと思いました)平和の象徴といえばやっぱり鳩だと思いますが…。

戦勝記念碑として置かれた鉄像のトビ(金鵄勲章の金鵄)は、太平洋戦争中も金属徴発を免れました。しかし、その後進駐軍にとがめられるのを恐れて、「日清戦争凱旋碑」の文字を落として「平和塔」と文字を入れたという話でした。

広島鉄道被爆電車…当時、運転士も車掌も多くは女性で、犠牲者もひときわ女性が多かったそうです。まだ現役で走っているといわれる「651、652被爆電車」を倉庫で今回はみることができました。ちょうどこの日に、被爆電車爆破予告があったということをあとで知り、その影響で倉庫で休ませていたんでしょうか?わたしにとってはラッキーでした。

日本赤十字原爆病院…爆心地から1500M。鉄筋コンクリート3階建てのこの病院は外郭のみを残す無残な姿になったものの、多数の負傷者で埋まり混乱を極めたそうです。

 

現在は、原爆でゆがんだ窓枠部分が、L字型に切り取って高さ1.5Mの台座に据え付けられているだけとなっていました。

浄国寺…原爆で一家全滅となった無縁の墓、S20年8月6日と記された墓などがあり、そのなかでも無縁墓の前にある「おこりじぞう」を連想させる被爆地蔵をみていると、怒りと悲しみが入り混じった感情が湧きあがってくるようでした。

多くの戦争跡を訪ね、年配の男性が汗をかきながら必死に説明する姿に、平和を維持するためにもこの過去の忌まわしい出来事を風化させてはならないという熱意が伝わってきました。

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8月6日(水) No4

2008-09-11 08:34:31 | ピースサイクル

フィールドワークは、バスから乗ったままでみたり、実際に降りてみてまわったりました。

全部で26ヵ所。そのうちの15ヶ所はバスから降りて見て回りました。

多聞院…このお寺さんは、爆心地から離れている場所ではあるものの、鐘楼のハリは折れ、原爆のすごさを感じさせられました。つり鐘には「ノーモアヒロシマ」と刻まれています。

比治山陸軍墓地…門をくぐった瞬間。わたしは異様な感じを受け取りました。この墓は、日本人だけでなく海外のひとの墓もありました。歴史上での関係で墓の大小があるようでした。さらに、亡くなってもなお、生きていた時の地位が影響を受けて墓が建てられているというのも、悲しいことだと感じました。

陸軍被服支厰(ひふくししょう)跡…爆心地から2700M。強烈な爆風のため、大きな鉄製の窓枠や扉は内側に向かってまがっています。

  

閉じられている鉄の窓をみていると、恐ろしく感じます。

 

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8月6日(水) No3

2008-09-10 20:26:06 | ピースサイクル

宿泊施設に預けてある荷物は、午前中いっぱいは置いておいても大丈夫ということだったのですが、フィールドワークは13時からなので、荷物を取りに行って移動

ということで、遅めの朝食(ほとんど昼食に近い?)を、広島城前のベンチ(買っておいたパン)でとり、しばし休憩。このピースサイクルで覚えたことのひとつ、“たそがれ時間”を過ごしていました。

あんまりゆっくりしていて遅れてしまうといけないので、広島駅に行き荷物をロッカーに入れ、集合場所まで自転車でひたすらエンヤコラ。

前日とは違う集合場所。

ちゃんと着いたものの、自転車置き場がない~

こういうのって案外あせりますですが、車の駐車場の管理をしているひとに聞いて、駐輪場を教えてもらいました。あってよかった~っと安心をしていたら、今度はフィールドワークのガイドのひとりが、ここには戻ってこないので、もし戻ってくるなら電車で戻らないといけません、などということを言われ、非常にあせりました内心、そんなぁ~と泣きたい気持ちでしたよ。

そう思ったら、今度はバスがほぼいっぱいみたいで…。本当に乗れるか心配になりました。っが、なんとか補助席も使い大丈夫でした…そんな感じで波乱含みの始まりで不安いっぱいでしたが、このフィールドワークの内容はとても充実したものでした。

ーつづきー

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