そうか、もうすぐハロウィーンか…
知立を過ぎて刈谷に入ると、やっと市美術館の案内看板がみえました。
あと数キロ。
焦る気持ちもここからは余裕、、、ではないですが、とにかくあとちょっとということで、安心感がでてきました。
美術館の建物はどれだろう???と思いながら走らせていると、いわさきちひろ展の看板が。
やっと到着です。
結局2時間ちょっとかかってしまったので、お昼を過ぎてしまいました。
慌ててチケットを購入して早速鑑賞。
チケットもかわいいです
この展示会は25日までなのですが、そのこともあってなのか、関係ないのかわかりませんが、多くの人がいわさきちひろさんの絵に見入っていました。
先日のムーミンとはまた違って、透き通って溶けてしまうようなこどもの絵にホッと優しく暖かい気持ちになって、ココロの栄養をその時間もらいました。(ガラにもなく芸術の秋に浸っております)
さて、絵もみて堪能したことだし、一路家へ。
お昼どうしよう?と思いつつも、時間がなくなるとやばい!ということで、空腹をスポーツドリンクでしのぎながら自転車を走らせました。
美術館に向かうときと違って、帰る時は来た道を戻るだけなので、ちょっと余裕です。
実は1号線を渡るのに、地下道があるということを帰る時に気付きました。
時間短縮できましたが、はっきりいってわかりにくい感じでした。
あとは、川沿いをひた走りです。
でも、途中からちょっとだけコース変えました。
まったく同じ道で帰るのも、なんだかつまんない気がしてしまったので。
川沿いからバイパス沿いのひとけのない坂道を上っていきました。
台風の爪痕がまた残っています。
坂を上りきって、バイパスにかかっている橋を渡り…。
左は豊田市、右は三好町
さて、真ん中のこの橋は?
自転車とひとしか通れません。
自転車で走っていて面白いものを発見。
かなりの想像力を要しますが…
ずっと見つめていると古代のひとが太陽を崇めているようにみえてきませんか?
こんな感じで楽しみながらも、体力をしっかりと使い果たし無事帰宅。
空腹のため、家で鬼まんじゅうをつくって食べました。
食欲の秋です
今回の走行距離…57.2km
今回は、刈谷市美術館で開催されている“いわさきちひろ”展を鑑賞するために自転車で出かけて行きました。
母がディケアに行っている間に…ということで、送り出してからということで出発は10時過ぎ。
ひさしぶりの逢妻女川。
この道は歩行者と自転車のみOK。
刈谷までは、比較的平坦な道のりです。
途中の千足町のコスモス畑が一面に広がっているのを見つけ、ちょっと寄り道です。
ピンクの絨毯
きれいに咲くコスモス畑をみて目の保養ができましたが、ここからがストレスがたまる道のりとなりました。
なぜなら、川に沿っての道が工事で途切れ途切れになっていたり、いきなり砂利道が出現したりと、あ~最悪テンション下がりまくりです。
タイヤに空気はしっかり入っているものの、パンクしないかどうか冷や冷や
そして、やっと豊田から知立になり一安心。
と思いきや、途中国道1号線を渡るのに、横断歩道がなくて信号機がついているところまで予想外の大回り。
少なくともお昼までに刈谷市美術館も着くことができるんだろうか?とちょっと不安になってきてしまいました。(家からそんなに距離はないんですけどねゆっくりしか走れないもんですから)
何時に帰宅してもいいということなら別に気にも留めないことなんですが、母がディケアから帰ってくる前に…と思うとやっぱり焦ります
母をディに送り出した後、久しぶりに自転車で福祉センターまで行ってきました。
往復でおよそ23.4Km。
先日、モリコロパークに行ったときはめちゃくちゃ足が重かったのですが、今回はそれほどでもなくペダルを踏む足は軽くは感じないけどまぁまぁでした。
軽く汗をかいて、ちょっと体が軽くなったような、、そんな錯覚を感じながら、福祉センターのボランティアルームに行きました。
月1回の豊田市ボランティア連絡協議会主催による“交流サロン”では、多くの方が今月の企画である押し花を楽しんでしました。
わたしはというと、おしゃべりに花が咲いておりました
母のこと、手話を最近勉強し始めたという方の話し、本当にいろいろと。
ひとしきり話をしたあと、自転車にまたがりのんびりと家に向かいました。
自転車で走っていると、どこからかいい香りが。
今の季節、金木犀の優しい香りがどこからともなく漂ってきます。
これは、我が家の金木犀です。
車だと何も気付かず絶対通り過ぎてしまうだろう場所に金木犀の木が植えられ、その香りに満たされながら自転車を走らせるのは気持ちの良いものです。
のんびりのんびり、のほほんと
最近時間が過ぎるのが早いなぁと感じていたわたしには、とてものんびりできた時間でした。
今年はビワ、スモモ、柿と実のなりがいいです。
懲りずにまたモリコロパーク行きました。
でも、今回は自転車に乗って。
10日間以上乗ってなかったので、最初のひとこぎの重さに愕然としてました
運動不足、体力減退、ついでに体重増加
ちょっとしたショックを受けながら、モリコロパークへ。
地球市民交流センター建設中ですが、ドームは体育館らしからぬ感じですね。
青空の下、あいちワールドフレンドシップフェスタもCOP10生物多様性フェスティバルと同時に開催されていたので、そちらも重点的に回ることにしました。
3会場33ブースを回ってスタンプを押しました。
万博時に一町村一国フレンドシップ事業を行い、それから交流が続いているのですが、その一部のフレンドシップ国の紹介と、JICA中部や国連地域開発センターなどが紹介されたブースがありました。
かなり勉強になり、話を聞いたり、資料をみたりしていたら、あれよあれよとあっという間に時間が過ぎてしまいました。
お昼も過ぎてしまい、前日に食べておいしかった“なまら棒”(北海道弁で“なまら”は“非常に・すごく”の意味だそうな)をと思いましたが、すでに売り切れておりました
こちらがその“なまら棒”
2種類の味があって、中にチーズが入っていて美味しかったです。
富良野でしか食べられないようなので、こちらではたぶん何かイベントがない限りは食べることはできそうもないです。
かわりに大きなタコスみたいなもので、ポテトサラダを包んだものを食べました
それはさておき、デンマークのブースに庭師の自転車が置いてあったので写真を撮りました。
庭師らしい道具が入っていますが、乗り心地はどうなんでしょう?
よくみると、ブレーキがないような気がしますが、下り道でもペダルをこがないと進まないようになっているんでしょうか?そんなにスピード出さないし、城内用のようなので平坦のところしかないのかも
もうひとつバングラディシュの自転車が展示してありました。
すごい華やかですよね
後ろの席にわたしの体は入りそうもないかな!?
走行距離…13.4Km
天気が良かったので、母が退院して初めての外出ということで、午前中お昼の経管栄養の時間までのほんのちょっとモリコロパークまで行ってきました。
せっかくなのでリニモに乗ろうということで、八草駅の無料駐車場に停めようと思い障がい者用のスペースをみたらすでに満杯
車いすの乗降をするためには少しでもスペースが広い方が助かるのですが、ないものは仕方ないので、とにかく母を車から車いすに移動しやすくするために、また隣に停めてある車のボディを傷つけないようにするために、なるべく片側に寄せて一般駐車スペースに車を停めました
案外気を使います。
こういうとき、スライドドアだったらよいのに、、、と思いますが、そんな簡単に車を買い替えれるわけもなく、やれるようにやるしかありません。
でも、とにかく無事に車を停めれたので、駅へ移動です。
どの駅にでもエレベーターがついていると助かるのですが…
切符を購入しなければなりませんが、母は3級1種の障がい者手帳を持っているので、介護者は割引運賃で適用されます。
ちゃんと窓口で身障者手帳をみせます。(地下鉄路線では確認はなかったような…)
あとは、車いすマークのボタンを押して、二人(介護者と本人)のマークを押し、行き先を押して終わり。
係員さんはとっても親切でした。
無事に切符を購入して、リニモに乗込みました。
久しぶりに乗るリニモ。ジッとしてます。いや、固まってるのか!?
正面は名古屋。運転席がないので景色はよいです。
ひと駅過ぎ、愛・地球博記念公園(モリコロパーク)にあっという間に着きました。
この日はちょうどCOP10生物多様性フェスティバルが開催されていたので、ひともいつもより多い気が。
午後からは、森への恩返しコンサートということで藤井フミヤ、渡辺美里、他アコースティックライブがあるということで、少しずつひとが集まってきているようでした。(わたしは家に帰りましたが)
せっかくなので、秋の里山ウォークラリーなどに参加したかったのですが、それに参加するまでの体力が母にはなく、ちょっとだけユニバーサル遊歩道を通ってきました。
今の季節は歩くにはちょうどよいかもしれません。
青い秋の空
ついでにコスモス畑も見てきました。
台風の風の影響で花がちょっと倒れていました
あら?ミツバチが。今年はあまりハチをみかけませんでした。
きれいな花をみて満足した母はすっかり疲れきってしまい、早く帰ろうと訴えてきたため、足早に環境保全団体の活動紹介のブースなどをみてまわり帰りました。
1時間ちょっとだけの外出でしたが、家に帰って経管栄養をしながら、心地よく爆睡?していた母。
いまの季節だからこそできる外出ですね。
いつか行ってみたいものですが、それより、もし日本を縦断するキャンプ場併設の自転車道グリーンロードができたらなんて素敵なんでしょうと、ふとそう思ってしまいました
モリコロパーク好きなわたしからです。
10、11日と COP10開催1年前記念行事「生物多様性Festival」が愛・地球博記念公園で開催されるというチラシがありました。
昔、見た花をいまはみなくなったし、虫もみなくなった。。。
さまざまな生命が存在して、お互いに「生態系のバランス」を微妙に保っているのですが、最近は人間の活動で崩壊し、そのバランスも崩れているようです。
そんなことを知って、何ができるのかを考えるきっかけになるのが、明日モリコロパークで行われるフェスティバル。
とっても天気もいいみたいだし、青空の下で楽しみながら学ぶ良い機会かも
時間のある方はレッツゴー!です。
コスモスもきれいみたいですよ
退院に向けて。
まずは胃ろう。最初は“ツインライン(消化態栄養剤)”という栄養剤でしたが、途中で“ラコール(半消化態栄養剤)”に変更になりました。やり方などを看護師さんに教えてもらうために、何度か病院に通いました。
ラコール400cc 水100cc 薬 酢水5cc
これだけを胃に注入するわけですが、看護師さんから早く入れると下痢を起こしてしまうということで、ラコールを注入するのに2時間かけていました。そのあとに薬、水、酢水とすべて終えるのに約2時間30分から3時間毎回かかっていました
他にも口腔ケアに、痰の吸引についても必要なことなので教えてもらいました。
痰の吸引は本当にドキドキで、いまでもさすがに鼻からうまくいれることができません
あとは、在宅介護に向けて必要な福祉機器をそろえるということで、先回いったん引き揚げてもらったものも合わせて以下のようなものを再度レンタル・購入しました。
電動ベッド
最初、ベッドではなく床で寝たいという母の希望だったので、床に置いて背の部分が昇降するものをお試しでレンタルしました。
空気の力で背の部分が上がります。珍しかったので、とりあえず写真を撮ってみました。
(床に置いて、背の部分が昇降するのはいいですが、やはり介護するものにとっても、される側にとってもベッドから落ちるという危険性がない限りは負担が少ないのはやっぱりベッドです。それに母も気づき、二日後には電動ベッドに変えてもらいました)
車いす
トイレの手すり
スロープ
マットレス
スタンド(栄養剤をかけておくため)
ポータブル吸引機(購入)
吸引のカテーテル(購入)
退院の準備がほぼ整い、あとはケアマネさん、訪問看護師、訪問リハビリ、ディケアの方と病院で打ち合わせをして退院日を迎えました。
入院中お世話になった看護師さんから、胃ろう、吸引のやり方と手入れの仕方を書いた看護師さん手作りの資料と、ラコール、栄養セット(ラコールから胃までをつなぐチューブみたいなもの)、注射器(薬と酢水注入用)を病院から処方してもらい家へ。
(実は、病棟看護師さんと訪問看護師さんからの説明が微妙に違っていて、退院するまでに栄養セットと注射器は、購入するのか、処方してもらえるのかわからなくて、ずいぶん戸惑いました。)
退院して、すでに10日間経過。
6時~8時…検温と経管栄養(およそ2時間~2時間30分)
11時30分…経管栄養
17時30分…経管栄養
経管栄養前に口腔ケアと必要であれば痰の吸引。
20時…ミルトンで各器具の消毒(およそ30分~1時間)
ディケアと訪問看護がないときは、体の清拭。
他にはトイレに連れて行ったり、散歩にちょっとだけ行ったり、、と、こうやって書くとバタバタしていそうですが、案外そうでもない感じです。
ベッドの近くには、吸引機と胃ろうするためのセットを置いてあります。
ラコールを注入中。点滴みたいですね。
注入する速度をときどきみながら、すべてを2時間で終えるように調整したりしています。
2時間を超えるのは本人も辛いし、わたしも辛い
いまのところ、母の枕が合わないことと(とっても気にしていつも直してくれと要求してきます)、玄関から道路までのスロープの問題以外には、とりあえずなんとかやれてるという気がしています。
いや、やらなきゃいけないんですけどね。
訪問看護師さんにもいろいろなことを教えてもらっています。
きっといつかまたどこかで役に立つことがあるといいかな、くらいな気持ちも持って日々精進です
母にとっては生まれてはじめて?の入院生活。
最初の1週間は、ほとんど検査で、かなり体力的にも落ちてしまったようでした。
そのあとは、点滴の毎日。
口から食事をとることができればよいのですが、そもそも病気の症状のひとつとして嚥下障害があり、誤嚥性肺炎を起こす可能性があるため点滴だけの生活をしていました。
しばらくして口からも食べれるようにということで嚥下訓練を開始したんですが
母はそれを拒否。たぶん飲み込むのが大変で疲れてというか、怖かったのかもしれません。
このまま点滴だけでは栄養をとることは難しいということで、主治医の先生から胃ろう造設の話がありました。
私自身は、いずれかそうなるであろうと思っていたので、胃ろうにすることについてはさほど抵抗ありませんでした。
では母自身はどうだったのでしょう?
まだ元気なころ、延命治療をしないでほしいということを兄に告げていたようで、その延命治療が胃ろう造設にあたるのではないかということで、兄は胃ろうを造設することに対して戸惑っていたようです。
そして、母自身は、たぶんあまり理解できていなかった…というのが本当のところでしょう。
今回のことで、延命治療ということばに対してあらためて考えることが多かった気がしました。
“延命”ということばが、どの程度のことをいっているのか?
“延命”をしないということが、“自然死”になるのかどうか?
ひとが“生きる権利”をどこまで尊重していくのか?
あと、本人の意思。。。をどの時点のことで尊重していくのか。
何が正解などということはないと思うのですが、少なくとも自分自身のなかでその場その場でその後のことも含めて決断をしていかなくてはならないというのは辛いなぁと感じました。
さて、9月初めに胃ろうを造設し(15分程度でできてしまいます)、その当日はイタイイタイを連呼していた母ですが、最終的には先生も驚くほど何も症状がでることなくうまくいきました。
そうなると、あとは退院に向けての準備です。
再び在宅介護になるわけですが、以前と違うことは経管栄養と痰の吸引をしなくてはならないということ。
わたしにとっては初めてづくし…。
今回もケアマネさんにたくさんお世話になりました。
ということで、どんな感じで準備をしていったのかということをまた続きで簡単に記録しておきたいと思います。