地震が発生してからというもの、テレビやラジオ、インターネットに新聞といろいろな媒体を通して被災されている方々や原発の様子が日々流れることで、なんとかできないかと思いながら何もできないことへの戸惑いと、少なからず自分の心も情けないのですが疲弊してきているというのがわかります。(被災者のひとが苦しんでるのに、自分が楽しんじゃいけないんじゃないかとか…)
日々介護をしているわたしにとって、介護する側が心身ともに健康でないといけない、と一番思っているだけに、今回のことで被災していない者が不健康な状態に陥ることはかえってマイナスにしかならないような今はそんな気分です。
まだまだこの先長いので、息の長い支援をしていきたいものです。
ところで、清水國明さんが子どもたちの受入れを決めたり、被災者の方を受入れるボランティア家庭を募集という記事もよくかけるようになりました。
選択肢がいろいろあるというのはいいことですね。
またそうやって支援をしてくださる方々に、頭が下がる思いです。
わたしとしても普段海外の方を受入れをしているので…と最初思いましたが、いや、今回はわけが違うからそう簡単にはできないというのがわたしなりの結論となりました。
家族ごと受入れられる場所があるかどうか。
(これはひとそれぞれかもしれませんが、もしわたしが被災したら家族離れ離れになるというのは不安に感じるでしょう)
特に子どもだけの受け入れに関してはよく考える必要があるなと思いました。
(受入れ家庭に同じような子どもがいるというのは一見良さそうな気がしますが、ですが被災した子どもさんはきっと受入れ家庭の親子関係をみてうらやましいと思うでしょうし、また逆に被災した子どもさんに気を使ってしまうと自分の子どもが傷つくでしょうし…)
プライバシーが守られる空間と時間があるかどうか。
(プライバシーのない避難所生活を送られていたことを考えるとそのことが完全に守られる環境が必要かと)
大きな悲しみを受けてきた心の負担をケアするだけの環境があるかどうか。
(精神的な大きなストレスを抱えてきているでしょうから、物質面だけでなく精神面でも支える必要はあるでしょうね)
あと、私自身普段の受入れでも最高3週間だけしかしたことがなく、しかもゲストは平日の昼間は学校に通ってくれたりしていたんで気をあまり使わずに済んだのですが、今回のような場合長期に渡るのでしょうから、よほどの気持ちの上でもタフさと寛容さがないと、ただ単に気の毒だからという気持ちだけではお互い傷ついてしまうと思ったわけです。
一番いいのは、やはり町ごとそのまま受入れができる体制があるといいのかなと思います。
被災されている方は自分の家族だけ避難してもいいのだろうか、という葛藤もあるでしょうし、心のケアという点では同じ想いをしている方が近くにいるというのは支えにもなるでしょうから。
そういえば、東海市は“災害時における相互応援に関する協定”を釜石市と締結しているということで、早い段階での支援ができていたようです。
普段から相互に協力して行き来していることで、素早く対応ができるようにできるんでしょうね。
今後長い支援を考えるなら、被災地1市町村を被災地外の地域から2~5市町村の割合で支えていけるといいのかなと、一般市民としていろいろ思ってしまいます。
被災地のひとの生活が少しでも改善できるように願いつつ、とにかくいま自分ができることをしていきたいものです。