梅雨時は、健康なひとでも体調が崩れがちになります。
今回は、自転車の話とか楽しい話題ではなく、プロフィールにもあるわたしの母について書きたいと思います。
わたしの母は2004年暮れにPSP(進行性核上性麻痺)と診断されました。
その年は、子ども(わたしの兄弟)のことでいろいろな心配事が多く、母自身は心労が重なり、精神的に不安定でした。
さらに、つまづくような場所でもないのに、ころんで足を擦りむいたりもしていました。
すくみも出てきていたので、先生から一度T病院に神経内科の先生がいるから一度診てもらうといいということで紹介され、診察をしてもらいました。
PSPと診断されてから、母は何でこんな病気になってしまったんだろう?と悩む日々が続いたようです。
まだこの時期はすくみはあるものの、それほどひどい状態でもなく、気をつければ普通に生活ができました。しかし、ときどき不安定な精神状態に悩まされ、近所の医者から精神安定剤と睡眠剤を(母が強く)お願いし服用をしていたころもあり、家族であるわたしにとってかなり振り回されどうしたらいいのかと辛く感じていた時期でもありました。
2年後、市からPSPの家族会を立ち上げようとしている方がいるということで、会合の案内が届きました。わらをもすがるような思いでその方と出会い、同じような境遇の方と話すことで、これからどうしたらいいのか…というのを考え整理することができました。
とはいえ、介護されている方の話を聞いて、逆にそこまでわたしはできない!!と悲観的になることも。
でも、適切なアドバイスと励ましで、なんとか過ぎていきました。
そして、2007年暮れにT病院に行った時のことです。いつも診断してくださる先生が急用でいないということで、違う若い先生が診断をしてくれました。
その先生によると、PSPではなくパーキンソン病ではないかという診断になり、毎月その先生にかかることになりました。
PSPは効く薬がないということでしたが、パーキンソンではないかということで、いろいろと薬を試してもらいつつも、必要ではないと思われる薬をやめ、ずいぶん種類が減ったこと、そして母の表情に笑顔が戻ったことは先生のおかげかと思います。
しかし、T病院まで通うには距離があり、負担がかかるだろうということで、近くに出来るというTK病院の神経内科の先生を紹介してもらい現在はそこでお世話になっています。
母の病状についてですが、診断されてから数年は歩くことに気をつけながらもご飯を炊くのを手伝ってくれたりしていましたが、それからご飯を炊くこともできなくなり、家の中に手すりをつけ、それで慎重にゆっくり歩きながらも、ときどきシルバーカーを押して外を歩いたりしていました。それが、シルバーカーにつかまって歩くこともできなくなりました。
昨年の秋体調がいいということで、つかまり立ちはできるので重いものを移動しようとして、無理をして腰にひびが入ったことがきっかけで一旦寝たきり状態(在宅介護)になってしまいました。
ですが、今年になり寝たきり状態から支えてもらえれば立ったり歩いたりできるまでに回復。
さらにコミュニケーションもうまくとれず、あいうえお表を作って意思疎通を図っていた状態が改善され、声は小さいけれども意思疎通ができるようになりました。
とりあえず安定しているから大丈夫と思った時、今月6月に入り左腕がダラッとし、腕に力が入らない様子で立つこともできず、起き上がることも難しい状態になってしまいました。
右側に体がひどく傾き、意識がいったんどこかに遠のいてしまったような、そんな状態もありました。
いま6月末、相変わらず立つことも難しく、服の着替えもできない状態ですが、朝、昼、晩と食事はなんとか時間がかかってポロポロといっぱいこぼしても自力で食べるようにしています。
体が傾いたり、後ろに倒れてしまうので、倒れないようにクッションを置いたり、飲み込みが悪いこともあるため、様子をみて気をつけてはいます。もちろん食事はバーミックスでトロトロにしています。
困るのはやっぱりコミュニケーションがとれないこと。
どうしたいのか、何をしたいのかわからず母もそうでしょうが、わたし自身にもイライラがつのってきてしまいます。
なんとかまだ車いすでトイレに連れて行くことができているのでいいのかなと思いますが、自分自身もし体調が悪ければずっしりとのしかかる母の体重をうまく支えることが難しいでしょう。
介護をしていると、悪くなる段階段階があって、そのときのリズムというか、ペースをつかむことができるまでがかなり精神的にきつく負担に感じることが多いのです。
ペースをつかむまで、いましばらくの我慢です。