今年は小原四季桜に一度はボランティア活動で、もう一度は母を連れていきましたが、花つきがよくてしかも紅葉と四季桜が見事マッチングしていてかなりよかったです。
こうやって毎年来ていると、いいときも悪い時もあってひっくるめていいなと思うことができますが、観光ツアーでとなると本当に『運』だなと思ってしまいます。
▼11月18日小原ふれあい公園
▼11月27日川見公園近くの川沿い
今年は小原四季桜に一度はボランティア活動で、もう一度は母を連れていきましたが、花つきがよくてしかも紅葉と四季桜が見事マッチングしていてかなりよかったです。
こうやって毎年来ていると、いいときも悪い時もあってひっくるめていいなと思うことができますが、観光ツアーでとなると本当に『運』だなと思ってしまいます。
▼11月18日小原ふれあい公園
▼11月27日川見公園近くの川沿い
気になっていた場所。
急きょ友人たちと出かけようという話になり、日にちを決めて行くことにしました。
香嵐渓方面なので、交通渋滞する紅葉時期の前11月の初旬に行こうということに。
友人の車に乗せてもらって出発です。
みんな行ったことがなかっただけに、事前に頭の中に地図を入れていったものの、途中で距離感覚がなくなりちょっと間違えてしまいましたが、それでもなんとか到着しました。
神越渓谷の近くといえば近くですが、民家が回りにないだけにヒッソリしているし、メインの道路からは離れているので、ここに行きたいと思うひとか、地元のひとしか絶対通りそうもない場所です。
そんなところにコツコツと手作りで建てられたという春秋風亭(ちゅんちゅぷてい)。
中に入ると薪ストーブが焚かれ、外は紅葉が始まりつつある木々の様子を窓から眺めることができ、自然の中にいるのだというのを実感させてくれます。
実は春秋風亭に行くにあたって、友人にお願いして事前に確認というか予約をいれておくようにしてもらいました。
定休日というのものはないらしいのですが、突然ご主人の都合でお休みということがあるかもしれないし、食事をする際事前に予約した方が準備するにも都合がよいかなということで。
食事をしておしゃべりをしてると、ご主人が中央に置かれたピアノで何曲か披露をしてくれました。
※ドイツの建築家の方が100年前に作られたというピアノだそうです
その奥深い音色に耳を澄ませながら聴き入っていると、普段の疲れも癒されていくような気分になりました。
ゆったりと流れる時間。ここはきっと何も考えず静かに過ごすのにいい気がしました。といっても、外には屋根付きBBQ場が2015年の5月にはできる予定だとのこと。そうなると、また違った雰囲気を楽しめそうで今からとても待ち遠しいです。
自分で家を建て、お米を作り、音楽と自然があって…。なんか素敵な空間です。自分自身ではそうはいきませんが、気分だけでも味わうのもいいですよね。
冬は道路の凍結が心配なので行く勇気がなかなかでませんが、春になったら絶対再訪したいものです。
今年もやっぱり行ってきました、多治見修道院ワインフェスタ。
毎年かかさず行っておきたいイベントのひとつですが、今回は4人ほど初参加ということで8時前の電車に乗り込んでワイワイと出かけていきました。
天候が心配されましたが、この日は見事快晴。きっとAJUさんの頑張りが天に通じたのかもしれませんね。
開場したあと、まずは定番となっているぶどう棚の下で場所づくり。
友人の友人もここで合流。
ワインを一本引き換えて、フレッシュなワインも購入して乾杯!
毎回のことですが、テーブルの上はすごいことになっています。おつまみも持ち込んでいますが、ここでも本当においしいものを販売しているお店がいくつかあるので、そちらも見逃さずに購入しています。
飲んで食べるばかりでなく、ライブ(わたしは主に野外ステージの河原崎達也氏とケンヴァルディス氏)を楽しんだり、ワインの講座や確かバードウォッチングなんかもあったような気がするので、いろいろな楽しみ方がここではできるのがいいと思います。
今回は野外ステージの最後に、なんとM4Uのライブがあったので本当にびっくりしました!
いつかここで知り合いのゴスペルが聴けるといいなぁとずっと思っていただけに、なんとも最後にうれしいプレゼントをもらったような気分に。
家庭の事情、親子関係。。。考えさせられました。
久しぶりに会った義父。
すでに心臓が止まったあとでした。
皮膚の色は黄色がかり、黄疸の症状が出て亡くなっていました。
隣の部屋ではディサービス。3畳ほどの小さな個室に最低限の着替えが入った収納ケースに吸引器。
私が知っている義父は、どこか旅行に行くというより競馬が好きで家でテレビと新聞、ラジオを聞いて楽しんでいる人でした。そして、面白く昔体験したことを話したり、あっさりした性格で家に遊びに行ってももう早く帰れと嫌味に聞こえるわけでなく、わたしたちのために促してくれるようなひとでした。
そんな義父。主人とたまには生まれ育った故郷に連れていってあげるといいよ、という話をしていた矢先のことでした。
長男家族と住み、孫たちに囲まれて楽しい日々も送れていたと思います。
ただ、体調が悪くなってからは病院と施設との往復だったみたいで、「だったみたい」というのは、わたしが主人に聞いてもどこの施設に入所しているかわからない、という返事が多く、数年どんな状態だったのかはっきりとは知りませんでした。
義父はあの空間で毎日どんな思いをしていたのだろうか…。
亡くなった時、職員さんのひとりが涙を浮かべてみえ、よく世話をしてくださった方なんだなと思いながらも、わたしは正直少しも泣ける気持ちもなく、むしろ自分自身に対してもうちょっとやれたことがあったのではないかという怒りというか後悔というか残念な気持ちになっていました。
どこで終焉を迎えるか。
施設のベッドに横たわる義父をみながら、幸せだったんだろうか…。
そんな風に思ってしまうことが、いったいどこからなのか。
在宅介護をしながら、幸せだねと言われ、幸せだと言う母を看ながら、自分の家で家族とともにいることだけが幸せではない、そう思えるようになるには、わたしには孤独という大きな壁を越える強さを持たなくてはならないのでしょうね。