18世紀初頭イングランド。 アン女王と取り巻きの女官の権力と愛憎が国を揺るがす。
2/28 TOHOシネマズ シャンテ に見に行きました。
じつは、この映画はあまり興味がなく見るつもりもなかったのですが、
アン女王役のオリヴィア・コールマンが見事! 第91回アカデミー賞 主演女優賞受賞!
最多9部門10ノミネートを獲得したときいて 俄然興味がわきました。
豪華な衣装・室内装飾、絶妙のカメラワークでの表現。
「ナイロビの蜂」でアカデミー助演女優賞受賞のレイチェル・ワイズと
「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞主演女優賞受賞のエマ・ストーンの競演
話についていけるように アン女王のWikipediaなども読み、時代背景を頭に入れて 見に行ったのですが・・・。
すごく期待したのに 結局 ストーリー展開がつまらなかった。
たぶん、『歴史コメディ映画』的なところを理解できなかったからだろう。
アカデミー賞受賞につられたのが悔しい。
◆ 下調べしました!
アン (イギリス女王) - Wikipedia
アン (英: Anne Stuart, 1665年2月6日 - 1714年8月1日) は、
最後のイングランド王国・スコットランド王国君主(女王、在位:1702年4月23日 - 1707年4月30日)で、
最初のグレートブリテン王国君主(女王、在位:1707年5月1日 - 1714年8月1日)、
及びアイルランド女王。ステュアート朝最後の君主でもある。
ブランデー好きであったことから、ブランデー・ナン(英: Brandy Nan)の異名で知られている。
参考
アン女王とマールバラ公一家
マールバラ公爵夫人となったサラは女王の側近にあって夫の代弁者となり、戦争の遂行を女王に進言していたが、次第に女王は和平推進派に傾き始め、サラを疎むようになった。また、サラが支持していたホイッグ党を嫌っていて、1705年からゴドルフィンが政権運営の必要上ホイッグ党と連携したことにも不満を抱き、サラの従妹アビゲイル・メイシャムを重用しトーリー党に近付いていった。
1710年、アンはついにサラを宮廷から追放、同年に行われた選挙の結果、和平推進派のトーリー党が政権の座についた。
→ 女王陛下のお気に入り 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◆ 大まかな イギリス年表 と アン女王の時代
1399 リチャード2世廃位,ヘンリ4世の即位(ランカスタ朝の始まり)
1461 エドワード4世即位(ヨーク朝の始まり)
1485 ボズワースの戦いでリチャード3世敗死.ヘンリ7世即位(テューダー朝の始まり)
1534 イギリス国教会成立、ローマ教会から離脱。
16世紀後半 エリザベス1世、絶対主義王政の黄金期を創出。
1587 スコットランド女王メアリー処刑される。
1588 スペイン無敵艦隊を撃破。
劇作家シェイクスピアが活躍。
1600 東インド会社を設立する。
1620 ピューリタンが北アメリカに移住。
1640 ピューリタン革命 がおこる。
1649 チャールズ1世が処刑される。清教徒革命、王政を廃し、共和制へ。
1660 王政復活、チャールズ2世即位。
アン (英: Anne Stuart, 1665年2月6日 - 1714年8月1日)
1688 名誉革命
1689 ウィリアム3世・メアリ2世の即位;権利の章典制定
イギリス議会政治の定着。
1702 アン女王即位,スペイン継承戦争への参戦
1707 イングランド、スコットランドを合併。
グレート・ブリテン連合王国が成立。
最初のグレートブリテン王国君主(女王、在位:1707年5月1日 - 1714年8月1日)、
及びアイルランド女王。ステュアート朝最後の君主でもある。
1714 アン女王死去、ジョージ1世即位(ハノーヴァ朝の始まり)
1760頃~ 産業革命 がすすむ。
1776 アメリカ13州の独立。イギリス、植民地アメリカを失う。
このころイギリス国内で産業革命が進行。
19世紀 大英帝国の繁栄とビクトリア女王の時代。
1801 イギリス、アイルランドを併合。
グレート・ブリテンと北アイルランド連合王国の成立。
1837 ヴィクトリア女王が即位する。
1979 サッチャー、イギリス最初の女性首相。
出典
・ 『図説イギリスの歴史』の年表
・ イギリス史年表
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます