2022年4月上旬、春うららかなお天気の中 サイクリングを兼ねて叔父二人のお墓参りに行きました。
そこは横須賀市津久井にある古刹【東光寺】さんです。
その東光寺に三浦次郎義行のお墓があります。
みなさーん 神奈川県にある津久井(つくい)という地名、氏のおおもとは、こっちの横須賀の津久井なんですよ~ お見知りおきを
家系図です
三浦氏宗家当主【三浦大介義明( みうらおおすけよしあき )】の弟です。
( 三浦大介義明は89歳まで生きて、 源頼朝挙兵の折、大した罪はないのに孫の畠山重忠軍によって攻められ、本拠地衣笠城で討ち死にしました。祖父である義明の籠城のおかげで、大河ドラマにも出ている義澄、義村親子は 房州へ逃れることができました )
三浦大介義明 坐像 1092-1180
( 衣笠商店街で開かれていた企画展でいただいたパンフレットより転載 )
「三浦半島に三浦一族を訪ねる」(発行 / 神奈川県横須賀三浦地域 県政総合センター商工観光課) より転載
今回訪ねた三浦義行は、この方のすぐ下の弟です(^-^)
三浦次郎義行の墓所と 住んでいた場所「津久井館( つくいやかた )」は、オレンジ色の丸印を付けた辺りです
( 黄色い丸印は、前回投稿した「三浦平六義村」の墓所 )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訪れた時は津久井の山々にも桜が咲いて、ほわほわしたパッチワークのような模様の山肌がきれいでした~☆
東光寺さんの門前に着きました。
門前にあるのは大正11年6月に建立されたという「津久井義行公碑」です。 東光寺さんの公式記事の一番下
ピンボケした画像になってしまって申し訳ございませんが、山門にいらっしゃる 仏法の守護神【阿吽の像】( 金剛力士像・仁王像 )は由緒あるものなのですよ!
阿形さま
吽形さま
東光寺の仁王像 ← この公式ページの一番下に解説があります
仁王様にご挨拶して山門をくぐると 本堂の裏へとつづく小径がありまして、そこをお寺の方に断って進んでいきます。
途中、斜面に立て掛けてあった このような石を目にした私は 「あれ?? これはもしかして、鋸山で採れた房州石ではないかしら???」と思ったりしました! どうかな?
すぐに裏手に到着して見えてきたのは、、、!
ご門に「三浦氏の紋章」がこっちをしっかりと見ている 三浦津久井次郎義行さまの墓所、一族の五輪の塔です。
姿勢を低くして お良しもご挨拶です。
叔父たちのお墓参りよりも先に お線香を手向けましたよ~
義行さま、いつもこの地を見守っていただき、どうもありがとうございます!
右を見て・・・
このような物も並んでいます
左を見て・・・
向かって左には、このような物も。
左右の墓石の最下段に刻まれているのは「梵字」でしょうか?
( 詳しくしらないままに 記事を書いていてごめんなさい )
右側の文字
左側の文字です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
墓所の一角を見回してみますと
このような古ーい石塔がたくさん集めてあります
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
墓所がある環境を上から見てみます
画面の左下に見えている 竹林の下に墓所はあります。
中央奥には 房総半島の鋸山も見えています!
遥か、海も臨める場所です。
三浦義行公は、三浦半島と房総半島の間で海運業を営んで(・・という言い方は正しいのかな?)いたようです。
ゆえに、一族のものが房州に渡っていったのは当然でしょうし、房州の人も三浦半島に来ているでしょう。
( 蛇足の話をしますと・・ 私の夫の両親は、三浦半島と南房総それぞれの出身です 夫は両半島の架け橋です、アッハッハー 。三浦姓ではアリマセン )
そして、この写真でいうと、写ってはいませんが すぐ右の方向に小山があって、かつて そこにお屋敷の「津久井館」がありました。
こちらがそのようです。あの向こうに墓所がある「東光寺」はあります。
京浜急行線の「津久井浜駅」の方向から撮影したのですが、あそこだけの単独峰なのではなくて 小山は奥になだらかに伸びています。
上の写真の左端に写っている なだらかな山は「武山」( たけやま )の斜面です。
東光寺の裏山( 畑作台地 )から見える、左「武山」・右「砲台山」
武山の南斜面は 桜の山でしたよ~☆彡
( 半分から下の部分は みかん畑です )
これからの季節、左端の方から登っていけるハイキングコースを歩くのもいいですね(*^^*)
今回はお寺の方に詳しくお話も伺わずに、ただ行ってきた というだけの記事になりました。
私は高校生の時に日本史の授業の宿題で 初めて訪ねました。
その頃のお墓は「人知れずひっそり」というか「風雨にさらされてかわいそう」という印象でした。でも、まだ高校生だった私でも「強く発せられる気」を感じ、畏怖の念を抱きましたね。「あ、これ、大変な所に来てしまったかも!」と。
その時にはすごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく調べたんですよ~! レポートの出来が超良くって(笑)、先生に奪われたまま返してもらえず、今 見返すこともできません 内容はすっかり忘れてしまった 大ボケお良しです
なので、お助け記事のリンクを貼っておきたいと思います
「横須賀ぶらぶら通信」 横須賀のお散歩通信メディア記事 三浦津久井次郎義行と東光寺さんのことを、やけに詳しく書いてあります