今年(令和4年度)のNHKテレビの大河ドラマで放送されている「鎌倉殿の13人」。
鎌倉幕府成立前夜から執権北条氏の治世が固まるまでを描いていくようです。
源頼朝は全国区で有名なので 過去にも主題となるドラマが作られましたが、お良しの地元のお殿様(?)三浦一族やその周辺の地方豪族となると、主役級で取り上げられることは難しい・・・。
今年の大河ドラマに、北条義時はじめ 歴史好きな人は知っているけれど そうでないに人は・・・???という武将の数々がまとめてたくさん登場してくれているので嬉しいですね
そんな中で、もちろん三浦一族のお墓を巡ってみました♫
「鎌倉殿の13人」で、俳優の山本耕史さん扮する 三浦平六義村( みうらよしむら )の墓所を2022年3月に訪れました。
家系図です
主に知られているのは、右側にある直系の「義明」ー「義澄( よしずみ )」ー「義村」ー「泰村( やすむら )」です。
三浦義村は、三浦氏の全盛期を作り支えた 鎌倉時代前期の三浦氏宗家(本家)の当主です。
三浦氏というのは、出自は源氏ではなく「桓武平氏」の系統です。それが、時代の因果あって源氏の棟梁「源頼朝」の御家人となっていくのですね。
三浦義村公のお墓参りに行った日の前に、祖父である三浦大介義明( みうらおおすけよしあき )の居城「衣笠城」があった地元・衣笠(きぬがさ)で開かれていた企画展示会に行ってみまして、そこで少々知識を入れてきました~(*'▽')
こちらの武者絵は大河ドラマで佐藤B作さんが演じている 父・三浦義澄公です
そしてこちらが三浦義村公です
地元の有志のみなさんが衣笠商店街周辺をパレードする時に身に着ける、三浦義村の甲冑ですね!
墓所の位置はといいますと
黄色い丸印を付けた所です
( ちなみに、赤丸印は祖父・義明の弟「三浦義行」の墓所がある場所で、青い丸印は「衣笠城」があった場所、白い丸が鎌倉です!)
三浦半島南東部の海岸線を南下していって「三浦海岸」も通り越し、金田( かねだ )という地区に入って見えてくる丘の上にあります。
すぐ横には この時期 美しく満開を迎えていた「金田漁港の桜並木」があります
墓所のすぐ下に到着しました!
ここから陸地の方を見上げると
あの小山の上にあります
最初の登り口
その階段を上がって下を振り返ったところ
前を向いたところ
( ちょとした広場になっています。もしかしたら、かつてあったという菩提寺の分院跡地なのでしょうか???)
置いてあるハシゴじゃなくて、左にある階段をまた登っていきます
↑ こちらの階段です~
登りきったところからは、菩提寺の「福寿寺」が見えています
そして階段を登りきって、ぐるっと向きを変えた所にございますのは・・・
昔むかし、本来の墓石のようです
※ 案内板がありまして ※
旧墓所は関東大震災の時にここから崖下に落ちてしまったらしいのです! 地元の人々により海から引き上げられて、こうして再建されたのですね。
来るときに 近くにある馴染みのお店やさん「橋場商店」さんでお花を買ってきてお供えしました。
いろんな花束があったのですが、男性のお墓なので チューリップやストックなどの可愛い洋風なものではなく、青い花が混ぜてあるものを選んでみました。どうでしょうか~?(#^.^#)
旧墓所の前に立って振り向くと、奥に「八坂神社」という鳥居と拝殿が見えて、その手前の右側に
立派です!!!
横から見たところ
( 門柱と呼べる場所両側に 三浦氏のご紋がバーンッと嵌めてあるのですが、うっかり写真を消去してしまいました!(>_<))
こちらのお墓には地元の方が供えたと思われる 水仙の花と「三浦の河津桜」の大ぶりの枝があがっていました。
墓所には「椿」の木もあり、誰もいない広場を 人知れず あでやかに彩っていました。
旧墓所がある場所からは、すぐ下に「金田漁港」が見えています
この時なぁーーんと!!!
それまでどんよりとした曇り空だったのに、いきなり日が照ってきて お良しのまわりが明るくなったのです!
暗ったい木の下にある旧墓所にもお日様が当たり始めて・・・
わぁー♡♪♫♪♫♪
義村さまぁ♡ 私を歓迎してくださっているのですかぁ???♡♡♡ ← 自意識過剰すぎるお良し(;^ω^)
お帰りの金田漁港前の桜にも日が当たって、空は青空となりました~♡ 嬉しいなぁ♡
金田漁港から見える東京湾
( 正確には「金田湾」といいます。東京湾は 浦賀水道から上は「東京湾内湾」、南は「東京湾外湾」と呼びますので。
ま、ここでは そんなことはどうでもよかったですネ )
三浦義村公の墓所の近くの浜辺
そのあたりから北の方角を見たら、183mの「三浦富士」にはまだ暗雲が垂れ込めていました!
この後、あっちの方まで帰るのにぃ~(>_<) いやだなぁ!
義村さま、もう一度 太陽をお願いしますーーー!
源頼朝や北条氏によって、坂東の有力御家人たちが滅ぼされていく中で「三浦義村」は幕府の最有力御家人として生涯を全うします。大河ドラマの主役・北条義時よりも長生きするのですよ~!
その後「三浦氏」は途絶えますが、日本各地に所領を得て一族が散っていたので、 会津の「蘆名氏」など各地に三浦一族の末裔が存続していきました。
横須賀市が今、福島県会津若松市と友好都市関係を結んでいるのは、そのような因果関係があることも理由の一つなのです。
三浦一族は、三浦半島のみを支配していたかというと決してそうではありません。その支配地は対岸の房総はもちろんのこと、陸奥糠部(ぬかのぶ ※青森県から岩手県にかけての地域)から南は九州筑前(※福岡県の一部)にまで広がっていました。三浦姓が全国に現存するのはそのためです。
【 次回は、横須賀市津久井にある 三浦大介義明の弟「三浦津久井義行」の墓所を「東光寺」に訪ねます 】