6/1ひろしま美術館で開催されていた特別展は,「マティスとルオー展」だった。アンリ・マティスとジョルジュ・ルオーは,共にギュスターヴ・モローを師とし,生涯親しく交流を続けた関係らしい。
さまざまな評価があろうが,マティスの都会的で洗練された色彩と線,ルオーの祈りに満ちた魂のマチエル,共に印象的だった。
しかし最も印象的だったのは,二人の共通の師であるモローの言葉かもしれない。「私は橋です。君らの何人かがそれを通っていくでしょう」という言葉には,生徒たちの個性を引き出す教師のあるべき姿が表されていると言えるだろう。
また,「私は目に見えるものも手に触れるものも信じない。見えないもの,ただ感じるものだけを信ずる。」という言葉も心に残った。どちらかといえば装飾的な繊細さに満ちた彼の作品にはこれまであまり心を動かされなかった。しかし,この度知った彼の人としてのあり方,考え方はとても魅力的に映り,興味を憶えている。
それにしても一つの疑問。ひろしま美術館で行った展覧会の名前は「マティスとルオー展」だけど,広島に巡回する前の東京・松下電工汐留ミュージアムでは「ルオーとマティス」となっている。はて。何かこの順番の逆転,何か意図があるのかな。あるんだろうね。作品数が展覧会毎に違うのかな・・・わからん。
さまざまな評価があろうが,マティスの都会的で洗練された色彩と線,ルオーの祈りに満ちた魂のマチエル,共に印象的だった。
しかし最も印象的だったのは,二人の共通の師であるモローの言葉かもしれない。「私は橋です。君らの何人かがそれを通っていくでしょう」という言葉には,生徒たちの個性を引き出す教師のあるべき姿が表されていると言えるだろう。
また,「私は目に見えるものも手に触れるものも信じない。見えないもの,ただ感じるものだけを信ずる。」という言葉も心に残った。どちらかといえば装飾的な繊細さに満ちた彼の作品にはこれまであまり心を動かされなかった。しかし,この度知った彼の人としてのあり方,考え方はとても魅力的に映り,興味を憶えている。
それにしても一つの疑問。ひろしま美術館で行った展覧会の名前は「マティスとルオー展」だけど,広島に巡回する前の東京・松下電工汐留ミュージアムでは「ルオーとマティス」となっている。はて。何かこの順番の逆転,何か意図があるのかな。あるんだろうね。作品数が展覧会毎に違うのかな・・・わからん。