2日連続で「楽譜尊重が大切」を ショパン「12の大練習曲 作品10」を題材に書いたが、実は ショパン以上に シューベルトは、深刻に「楽譜問題」を抱えている。
・「音が違っている」 とか
・「アーティキュレーションが違っている」 とかのレベルでなく
からである。今回 佐伯周子 が演奏する 未完成ソナタ嬰ハ短調 D655 がそのものズバリ!
シューベルトは、出版するまで「曲に手を入れるタイプ」の作曲家であった。昔々の捏造オペレッタや捏造映画で、「頭に浮かんだ曲を次々に書き付けて、振り返りもしなかった作曲家」のイメージを持っている方がいるが、だまされてはいけない。
・・・で、「出版する気がない時は、未定のことは書かないママが多かった作曲家 = シューベルト」でもある。
などなど。
嬰ハ短調ソナタ D655 の場合は「速度記号」が欠落していた。シューベルトは「全楽章書き上げた後で、最適のテンポ指示」をするつもりだったと推測される。D655 の場合、全楽章書き上げられた可能性は「ゼロ」なので、結局「テンポ指示」は書き込まれないママ、楽譜が残ってしまった。
ここで「誰が見ても明らかに完成しているピアノソナタ11曲」を対象に「ソナタ第1楽章のテンポ」を集計してみよう。この11曲は全て「生前に出版された、または出版できるように浄書楽譜が用意された曲」であり、テンポ設定は全ての楽章まで行き亘っているからである。
以上の通りである。「Allegro率 = 0.555・・・」である。勝手に断定できる率では決して無い!
「Moderato」 や 「Allegro moderato」 の楽章を 「速い Allegro」で演奏すれば、曲が台無しになることは「シューベルト弾き」のピアニストは皆知っている。
例えば、D960 や D894 の第1楽章を Allegro で弾いてみたらどうなるか? 想像できますか?
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それを「ヤッてしまった」のが 「旧シューベルト全集の未完成嬰ハ短調ソナタ D655」 である! 冒頭ド頭から「オクターブユニゾン16分音符4連打!」の曲を 「Allegro」に 感じたのは 誰だったのだろうか? 尊敬するシューベルト学者の1人には違いないのだが、マンディチェフスキ(ブライトコプフ旧シューベルト全集責任者) 本人なのだろうか?
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D850 や D958 と同じテンポで D655 を試しに弾いてみると良い。 はっきり言って「音楽的には全くの無駄な曲」にしかならない。 4分音符 =120 が「ごく普通のルールでの Allegro の最低テンポ」だが、それでも ゴチャゴチャしただけの曲 にしか聞こえない。 4分音符 = 168 で演奏? もう「狂気の沙汰」としか思えない騒音音楽である。
・・・を「旧シューベルト全集」は、
1897年のことである。この時が D655 の初出版。 出版と同時に埋葬されたかのような扱いである。
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1897年の後、このような事態が続く。
はっきり言って「のけ者」扱いである。 LP時代には(断定できないモノの)1枚も録音が出版されなかったようである。 責任の全ては「旧シューベルト全集」である、と私高本は断言する。
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この事態を一変させたのが、
である。「旧シューベルト全集編纂者」の大先輩の残党が怖かったのか、何も注釈無しで(しかもカッコ付きで)
と表記した。 画期的だった。 とても 画期的だった。 シューベルト未完成ソナタ にとって「革命」が1回起こったくらい画期的だった。
からである。 テンポはもちろん「Allegro moderato」である。 この後、2人の偉大なピアニスト(ティリモ と バール)が D655 を録音した。ティリモは 自分が校訂した楽譜には 「Allegro」と明記しているが、演奏ははっきり「Allegro moderato」である!
ファーガソンの楽譜研究に拠って、D655 は世に出た曲なのである!
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本日号の最後に 佐伯周子 からのメッセージを!
とのこと。 始めが ソプラノとバス。 そして ソプラノとアルト(もしかしてテノール?) の「デュエット」が 佐伯周子 のピアノからははっきり紡ぎ出される。
当たり前過ぎるこの言葉で本日号を締めたい。 ちなみに
ことは、ここに私高本が責任持って明記する。 特に「第2主題の抒情」は、これまでの3種のCD(← おそらく世界中の全ての録音)でも聴くことができない美しさである!
・「音が違っている」 とか
・「アーティキュレーションが違っている」 とかのレベルでなく
「演奏不可能」 と思われて来た曲が実在する
からである。今回 佐伯周子 が演奏する 未完成ソナタ嬰ハ短調 D655 がそのものズバリ!
勝手に「Allegro」を附与され演奏不能に陥った D655
シューベルトは、出版するまで「曲に手を入れるタイプ」の作曲家であった。昔々の捏造オペレッタや捏造映画で、「頭に浮かんだ曲を次々に書き付けて、振り返りもしなかった作曲家」のイメージを持っている方がいるが、だまされてはいけない。
・・・で、「出版する気がない時は、未定のことは書かないママが多かった作曲家 = シューベルト」でもある。
シューベルトが 未完成曲で書かなかった一覧
- ソナタ形式や3部形式の再現部全部(D655 もこれ!)
- オーケストレーション(← 未完成交響曲第3楽章など)
- 旋律以外の「伴奏音型」(← ヘ短調ソナタ D625終楽章など)
- ダイナミクス
- アーティキュレーション
- 表情記号
- 速度指示(D655 もこれ!)
などなど。
嬰ハ短調ソナタ D655 の場合は「速度記号」が欠落していた。シューベルトは「全楽章書き上げた後で、最適のテンポ指示」をするつもりだったと推測される。D655 の場合、全楽章書き上げられた可能性は「ゼロ」なので、結局「テンポ指示」は書き込まれないママ、楽譜が残ってしまった。
ここで「誰が見ても明らかに完成しているピアノソナタ11曲」を対象に「ソナタ第1楽章のテンポ」を集計してみよう。この11曲は全て「生前に出版された、または出版できるように浄書楽譜が用意された曲」であり、テンポ設定は全ての楽章まで行き亘っているからである。
Moderato = 3曲
- D845
- D894
- D960
Allegro moderato = 2曲
- D568
- D664
Allegro = 6曲
- D537
- D575
- D784
- D850
- D958
- D959
以上の通りである。「Allegro率 = 0.555・・・」である。勝手に断定できる率では決して無い!
「Moderato」 や 「Allegro moderato」 の楽章を 「速い Allegro」で演奏すれば、曲が台無しになることは「シューベルト弾き」のピアニストは皆知っている。
例えば、D960 や D894 の第1楽章を Allegro で弾いてみたらどうなるか? 想像できますか?
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それを「ヤッてしまった」のが 「旧シューベルト全集の未完成嬰ハ短調ソナタ D655」 である! 冒頭ド頭から「オクターブユニゾン16分音符4連打!」の曲を 「Allegro」に 感じたのは 誰だったのだろうか? 尊敬するシューベルト学者の1人には違いないのだが、マンディチェフスキ(ブライトコプフ旧シューベルト全集責任者) 本人なのだろうか?
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D850 や D958 と同じテンポで D655 を試しに弾いてみると良い。 はっきり言って「音楽的には全くの無駄な曲」にしかならない。 4分音符 =120 が「ごく普通のルールでの Allegro の最低テンポ」だが、それでも ゴチャゴチャしただけの曲 にしか聞こえない。 4分音符 = 168 で演奏? もう「狂気の沙汰」としか思えない騒音音楽である。
・・・を「旧シューベルト全集」は、
- 楽譜自体に何も注釈を付けず
- "Editors' Commentary on the Critical Edition" にも何も記載されずに
- 「あたかも シューベルト自身が Allegro と書いたかのように」出版した
1897年のことである。この時が D655 の初出版。 出版と同時に埋葬されたかのような扱いである。
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1897年の後、このような事態が続く。
- 1951 Otto Erich DEUTSCH "The Schubert Thematic Catalogue" にて 「Allegro」断定
- 1976 ヘンレ版第3巻初版(B=スコダ監修&校訂)から D655 外される
はっきり言って「のけ者」扱いである。 LP時代には(断定できないモノの)1枚も録音が出版されなかったようである。 責任の全ては「旧シューベルト全集」である、と私高本は断言する。
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この事態を一変させたのが、
ファーガソン校訂王立音楽院版シューベルトピアノソナタ全集出版(1979)
である。「旧シューベルト全集編纂者」の大先輩の残党が怖かったのか、何も注釈無しで(しかもカッコ付きで)
- [Allegro moderato]
と表記した。 画期的だった。 とても 画期的だった。 シューベルト未完成ソナタ にとって「革命」が1回起こったくらい画期的だった。
ヴァイヒェルトが「世界初録音」した!
からである。 テンポはもちろん「Allegro moderato」である。 この後、2人の偉大なピアニスト(ティリモ と バール)が D655 を録音した。ティリモは 自分が校訂した楽譜には 「Allegro」と明記しているが、演奏ははっきり「Allegro moderato」である!
ファーガソンの楽譜研究に拠って、D655 は世に出た曲なのである!
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本日号の最後に 佐伯周子 からのメッセージを!
- 第14小節からの第2主題は「2人の会話であるので、会話のテンポで弾かないと『シューベルトの良さ』が生きて来ない」
とのこと。 始めが ソプラノとバス。 そして ソプラノとアルト(もしかしてテノール?) の「デュエット」が 佐伯周子 のピアノからははっきり紡ぎ出される。
テンポ設定は 音楽の命だ!
当たり前過ぎるこの言葉で本日号を締めたい。 ちなみに
- 佐伯周子 は D655 を
- Allegro moderato ではなく
- Moderato で弾き
- シューベルトの抒情性をたっぷり聴かせる!
ことは、ここに私高本が責任持って明記する。 特に「第2主題の抒情」は、これまでの3種のCD(← おそらく世界中の全ての録音)でも聴くことができない美しさである!