詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

喜怒哀楽

2009年02月05日 | 日記
喜びも 怒りも
楽しいの感情も
ストレートな感情だ

でも
哀しいという感情だけは
ストレートではない
不純な感情に思える

喜んでいても
怒っていても
楽しみの極地でも
それはすぐに
哀しさに変わってしまう

でもそれは
ぼくだけなのかもしれない

父が亡くなった時
自分の情けなさに
涙が止まらない自分がいた
母が亡くなった時にも
許しを請っていた自分がいた

流れよ涙
涙こそ
この世界と対峙する唯一のもの
涙の熱さだけが
明日を変える原動力

最後の晩餐には&『ゲド戦記外伝』&日本もまた占領下の国

2009年02月05日 | 日記
最後の晩餐には
お茶漬けがいい
飲みつかれた後には
やっぱり
焼いた塩鮭かタラコに熱いお茶で

大根下ろしを掛けるのもいい
チリメンジャコかイクラを
ご飯に乗っけて

漬物はやっぱり
ニシン漬けがいい
お袋の味を思い出しながら
大根とキャベツをぼりぼり齧りながら

おお 今夜も
風が泣いているなーと呟きながら


『ゲド戦記外伝』ル・グウィン(岩波)再読
ファンタジーの中で、何回読んでも好きなのは『影との戦い』(『ゲド戦記シリーズ』第一巻)だけど・・表題の別巻は、より現代を反映した『ゲド戦記』シリーズ最高の出来栄えなのかもと思う。映画化された「ゲド戦記」は、たぶん映像化の容易さを最優先したために失敗したのだろうと思う。

この『ゲド戦記外伝』の魅力はー
「カワウソ」「湿原で」の二章につきる。前者では、かっての革命的組織の再復興をなした・・まるでチェ・ゲバラのような一人の魔法使いの一生が語られる。そうして作られた魔法の学校が「影との戦い」の舞台のロークの魔法学院。後者は「影との戦い」の後日箪。《メドラなる名を持つ若者は死んだ女をその腕に抱いて、ぬかるみの中にすわりこみ、ひとり、静かに泣きつづけた。・・
「この女はおれを救ってくれたのに、おれはこの人を救えなかった。」若者はだどりついた山間の村の人びとに、男女を問わず、泣いて訴え、すでに硬直した、雨に濡れたままの遺体を、人びとから守ろうとするかのように、ひしと胸に抱きしめて、離そうとはしなかった。》(「カワウソ」より)

日本もまた占領下ではないんだべかと思う。
戦前は、憲法を恣意的に解釈して天皇の名を語った「統帥権」で、軍人がこの国を占領した軍部独裁国家だった。それに言及せずに、戦前の日本は素晴らしかったとか、「自虐史観」だと言っても・・この基本的な捉え方が間違っていてはどうしようもない。

戦後はアメリカと、その意を受けた官僚層の占領した国だったのではと思う。在日米軍基地の75%が置かれた沖縄でそれが顕著だったと思う。特に数十兆円もの税金をつぎ込んで銀行・農協等を責任者の罪を問うことなくうやむやにした住専問題以後は資本主義とも言えない日本国だと思う。

資本主義の基本とは、「借りた金は返す」「借金を返す担保・信用がない者には貸さない」というのが資本主義の基本だからだ。その基本を無視した者たちは罪を問われるべきだからだ。特に我々の税金で救済する場合には。

《占領とは、他者の人間性の否定、他者の尊厳の否定です。一民族全体が、組織的かつ集団的に、その人権を否定され、人間としての尊厳を否定される、それが占領です。 サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」『みすず』2005年3月号より)》(「憲法9条の会」のtodaysongさんの書き込みから引用ーhttp://cafe.ocn.ne.jp/cafe/bbs.cgi?mode=detail&art_no=1975176&m_no=99210&t_no=0)

その意味では、ガザと日本は同じなのではと思う。ただわずかな違いはと言えば、日本の場合は太らせてから収奪するという方法・・だっただけの違いではないのだろうか?

ネット漂流記&故郷北海道の文学(1) 「コシャマイン記」鶴田知也(明治35年~昭和63年)

2009年02月05日 | 日記
リンク集にリンクしてる「アイヌ民族報道クリップ」に興味深い新聞記事が載っていたので全文アップする事に。
◆なおこの驚くほど短編の「コシャマイン記」が読めるのはーhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/master2.html
◆ここのギリシャ古典文庫もとても貴重なのでーhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html

《発信箱:コシャマイン記=玉木研二(論説室)
 鶴田知也(ともや)の名は今はそう広く知られていない。1936(昭和11)年、同人誌に書いた短編「コシャマイン記」で第3回芥川賞に選ばれた作家である。

 1902(明治35)年、北九州・小倉に生まれた。豊津中学からキリスト教の神学校に進むが、思い転じて北海道、さらに各地に渡ってさまざまな労働をし、労農運動に身を投じた。同じ中学の先輩であるプロレタリア作家葉山嘉樹(よしき)の影響といわれる。

 「コシャマイン記」は、実在したアイヌの英雄と同じ名を与えられた若者が江戸期のシャモ(日本人)の収奪に抗すべく、同胞糾合を求めて道内を彷徨(ほうこう)する物語だ。簡潔で抑制した文体である。読めば、鶴田の体験がこの悲劇物語をつむぎ、これを借りて、大正から昭和にかけ弾圧で崩壊していった労農運動の姿を映したと感じ取れる。

 怒り、共鳴、決意、勇気、行動、打算、裏切り、逃避、敗残。この物語でアイヌの各部族の長らが表すものは鶴田が運動に見たものだろう。後半、勇猛高潔なアイヌの若者だった主人公は失意を重ねるうち<口髭(ひげ)ばかり噛(か)み続ける無口の男>に変じている。そして意外で悲痛な結末(機会あれば読んでいただきたい)は、こう終わらせるしかない葛藤(かっとう)が鶴田の中でたぎっていたためと私は思っている。

 今、急進する雇用不安や矛盾の露呈がこれまでにない運動や思念を生む可能性はある。そこにどんな人間観察や葛藤があり、物語を生み得るか見当もつかないが、「文学に何ができるか」という古い問いかけが、少し息を吹き返すかもしれない。

 「コシャマイン記」は「芥川賞全集第1巻」(文芸春秋)に収められている。
毎日新聞 2009年2月3日 0時12分》

◆今日のネットで面白かったのは(「村上春樹氏に読者の声を届けるよ」に投稿してしまった・・)ーhttp://www.labornetjp.org/news/2009/1233655705874staff01http://www.labornetjp.org/news/2009/1233655705874staff01
◆ついさっき投稿したサイトはーhttp://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090130/1233279619#c