「日本の地名」谷川健一を読んでたら・・やっぱり同じ部分に感動している自分がいる。
《地名の改竄は歴史の改竄につながる。それは地名を通じて長年培われた日本人の共同感情の抹殺であり、日本の伝統に対する挑戦である。・・・・
日本の自然に飲料に適する水が溢れていることは、水に悩む他民族から見れば羨望に値するものに違いない。日本人自身はそれに気づくことが少なく、飲料水はタダと思っている。
それと同じように日本には地名がひしめき合い、また由緒ある地名が残存している。そのことからかえって日本人は地名のありがたさが分からずに、地名の価値をなおざりにしてきたきらいがある。しかし地名は幾千年幾百年の間、日本人が共に暮らしてきた道連れである。この道連れである地名をもう少し大切にしてもらいたいと切望してやまない。》
《陸地の先端が海中に尖出している部分をミサキと呼ぶが、この地名も海上からの視線による命名と思っている。ミサキというのは御先、すなわち先導を意味するものであって、行列のさきがけ、先駆、あるいは道案内のことである。
沖縄ではミサキにあたる先導する神をサダル神と称する。サダルが音韻の転換によってサルタになり、さらにサタになったという伊波普猷の説は首肯できる。降臨した天孫一行の道案内をしたのはサルタヒコである》
サルタヒコがでてきたので古い日記をー
『アメノウズメは陰部露出ではなかった?(日本神話とキリスト生誕を考える)』
「星座で読み解く日本神話」勝俣隆http://www.news.janjan.jp/living/0902/0902056856/1.php(大修館書店)をやっと再読。
《ところで、天照大御神や月読命の誕生直前に、底筒以下三神が誕生しているのは何故か・・底筒以下三神はオリオン座三星の神格化である。
この三つ星は、水平線上に三つ並んで等間隔に垂直に昇るのでよく目立ち、かつ、上筒之男命の位置に天の赤道が通っているので、真東から真西に沈み、東西を知るよい指標として航海神とされた。
興味深いことに、このオリオン座三星の名を西洋では「東方の三博士」と呼ぶ。キリストは、誕生日のクリスマスが元々冬至の祭りに由来するように、太陽神の性格の濃い神である・・
太陽(キリスト)の誕生(一陽来復)を知ったのが、この説話でなかったのか。
キリスト教の復活祭イースターが語幹に「東」を意味する「イースト」を含むように、「東」は復活生成の聖なる方位であり、それは陰陽道でも同じであった。「ひむか」(ひむか)も「東(ひむかし)」の語幹から来ており・・》(「星座で読み解く日本神話より」)
《イザナギ大神の禊祓で神々が誕生するのは、極めて宇宙論的な壮大な神話といえるのではなかろうか。イザナギ大神は天父神としての性格を持つ。つまり、天空そのものを身体として持つ。(注:それに対してイザナミ大神はすべての命を生み出す大地母神的)
ゆえに、イザナギが禊をすることは、天と海が東を意味する聖地で接触し、触れ合い、ぶつかり合うことで、太陽(アマテラス)や月(月読命)が誕生するという壮大な構想の宇宙的規での神話であったのではないか。(「同上」)
詳しくは、この本参照を。
特に興味深かったのは、ギリシャ神話と日本神話では、太陽や星座の性別が逆になっている点だった。
牡牛座とそれを追うオリオン座との関係が、サルタヒコとアメノウズメとの関係になるのだという。
《オリオンのベルトがアメノウズメの裳の帯に、そしてベルトから下げた短剣(いわゆる小三ツ星)が、「臍の舌におしたれ」た「裳帯もひも」に相当するのではないかと推測できる。・・
こう解釈すれば、今まで、アメノウズメが裳の帯を臍の下に押し垂れるのは、陰部露出の行為とされてきたために、何故、裳帯を垂れることが陰部露出になるのか分かりにくかったが、その意味がよく理解できる。
つまりアメノウズメは、陰部を露出したのではなく、裳をかかげて下半身は露わにしても、陰部は裳の帯を垂らして隠したのである。》(「星座で読み解く日本神話」より)
《地名の改竄は歴史の改竄につながる。それは地名を通じて長年培われた日本人の共同感情の抹殺であり、日本の伝統に対する挑戦である。・・・・
日本の自然に飲料に適する水が溢れていることは、水に悩む他民族から見れば羨望に値するものに違いない。日本人自身はそれに気づくことが少なく、飲料水はタダと思っている。
それと同じように日本には地名がひしめき合い、また由緒ある地名が残存している。そのことからかえって日本人は地名のありがたさが分からずに、地名の価値をなおざりにしてきたきらいがある。しかし地名は幾千年幾百年の間、日本人が共に暮らしてきた道連れである。この道連れである地名をもう少し大切にしてもらいたいと切望してやまない。》
《陸地の先端が海中に尖出している部分をミサキと呼ぶが、この地名も海上からの視線による命名と思っている。ミサキというのは御先、すなわち先導を意味するものであって、行列のさきがけ、先駆、あるいは道案内のことである。
沖縄ではミサキにあたる先導する神をサダル神と称する。サダルが音韻の転換によってサルタになり、さらにサタになったという伊波普猷の説は首肯できる。降臨した天孫一行の道案内をしたのはサルタヒコである》
サルタヒコがでてきたので古い日記をー
『アメノウズメは陰部露出ではなかった?(日本神話とキリスト生誕を考える)』
「星座で読み解く日本神話」勝俣隆http://www.news.janjan.jp/living/0902/0902056856/1.php(大修館書店)をやっと再読。
《ところで、天照大御神や月読命の誕生直前に、底筒以下三神が誕生しているのは何故か・・底筒以下三神はオリオン座三星の神格化である。
この三つ星は、水平線上に三つ並んで等間隔に垂直に昇るのでよく目立ち、かつ、上筒之男命の位置に天の赤道が通っているので、真東から真西に沈み、東西を知るよい指標として航海神とされた。
興味深いことに、このオリオン座三星の名を西洋では「東方の三博士」と呼ぶ。キリストは、誕生日のクリスマスが元々冬至の祭りに由来するように、太陽神の性格の濃い神である・・
太陽(キリスト)の誕生(一陽来復)を知ったのが、この説話でなかったのか。
キリスト教の復活祭イースターが語幹に「東」を意味する「イースト」を含むように、「東」は復活生成の聖なる方位であり、それは陰陽道でも同じであった。「ひむか」(ひむか)も「東(ひむかし)」の語幹から来ており・・》(「星座で読み解く日本神話より」)
《イザナギ大神の禊祓で神々が誕生するのは、極めて宇宙論的な壮大な神話といえるのではなかろうか。イザナギ大神は天父神としての性格を持つ。つまり、天空そのものを身体として持つ。(注:それに対してイザナミ大神はすべての命を生み出す大地母神的)
ゆえに、イザナギが禊をすることは、天と海が東を意味する聖地で接触し、触れ合い、ぶつかり合うことで、太陽(アマテラス)や月(月読命)が誕生するという壮大な構想の宇宙的規での神話であったのではないか。(「同上」)
詳しくは、この本参照を。
特に興味深かったのは、ギリシャ神話と日本神話では、太陽や星座の性別が逆になっている点だった。
牡牛座とそれを追うオリオン座との関係が、サルタヒコとアメノウズメとの関係になるのだという。
《オリオンのベルトがアメノウズメの裳の帯に、そしてベルトから下げた短剣(いわゆる小三ツ星)が、「臍の舌におしたれ」た「裳帯もひも」に相当するのではないかと推測できる。・・
こう解釈すれば、今まで、アメノウズメが裳の帯を臍の下に押し垂れるのは、陰部露出の行為とされてきたために、何故、裳帯を垂れることが陰部露出になるのか分かりにくかったが、その意味がよく理解できる。
つまりアメノウズメは、陰部を露出したのではなく、裳をかかげて下半身は露わにしても、陰部は裳の帯を垂らして隠したのである。》(「星座で読み解く日本神話」より)