詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

神話・・あるいは現代の「赤紙」の裁判員制度について

2009年05月17日 | 歴史
今日は一日
ベットに寝そべって
あれこれと
神話を読んでいた

神話は
熱狂を求める宗教以前の
数万年間の氷河期に培われてきたもので
個々人にとっては
かっての子供時代に相当するのもの

  「もはや存在せず、恐らく決して存在  しなかったし、これからも多分永久に  存在しないであろうが、それについて  正確な観念をもつことは、われわれの  現在の状態をよく判断するたにに必要  であろうような一つの状態をよく知る」(ルソーの言葉より)

それに比べると宗教は
つい最近の数千年間の
農業や国家の誕生以後に生まれたもの
個々人が
社会へと乗り出してゆかなばならない
青年時代以後に相当するもの

民俗学者宮本常一についてのノンフィクション作家佐野眞一さんが語った言葉からの引用をー
《宮本常一の精神ってのは一体何か。僕はよく言いますけども「大文字で語るな」ということなんです。たとえば、僕は小泉純一郎というのは始めっから嫌いでして、なぜかと言うとすべて大文字なんです。「改革なくして成長なし」と。始めは騙されるっていいますかね、なんか口当たりがいいから。しかしよく考えてみると、何も言ってない。それがだんだん化けの皮が剥がれてきた。格好はつけてるけれども、人の胸に落ちない、感動させない。そういう言葉を僕は「大文字言葉」と呼んでいます
   -中略ー
「ふるさとをよくしよう」なんてお題目を唱えたってよくなりっこないですよ。お互い、たとえば隣に住んでる人間がどういう人間で、どういう志を持ってるのか、その志は手を携えることができるのか――お互いが知り合うことがなければ、そんなもの絵に描いた餅ですよね。人と人の関係だけじゃなく、人と地域の関係もそうですね。自分が生まれた地域って一体どういう地域なんだと言うことを知らない限り、地域を良くしようと言ったところで、それは結局のところお題目に過ぎない》

個々人もまた、折に触れて
自分の神話時代を振り返ることが必要なのかもしれない
何故なら
人生とは
一つの方向以外の
様々な方向の断念であるにしても
その様々な方向への発展の総体が
人間社会や
人類の文化や文明であるはずだから


ほとんどの国民が反対しているこんな制度を何故強行なのだろうか?人を裁き、死を求刑するというのは、人間として最も難しい行為だと思う。だからこそ裁判官等の法曹関係者には、難しい試験や、それに見合った高い社会的地位が与えられてきたのではないのか。

とりわけ下記のように冤罪が更に横行しそうなこの国の裁判では・・問題点があまりにも多すぎると思う。
最大の問題点は、冤罪が多い上に、さらに冤罪が増えそうな点だ。捜査過程の映像化なしの上に、「裁判迅速化」とかで証拠も裁判官が選択して選んだものだけになるという恐ろしさだ。

アメリカや韓国で実施されているといっても、アメリカの場合は、捜査段階では、弁護士立会いで、完全に映像化されているというし・・韓国の場合は、従来の裁判か裁判員制度かを選択可能だという。

その他にも問題なのはー
①多数決で決定といっても裁判員だけの過半数は認められず、必ず裁判官が一人以上必要という点。裁判官は狭い官僚ピラミッド社会なので、これでは裁判官の決定の飾り物の裁判員にすぎない。 
②毒カレー事件のような長期裁判や、その内容を言うと罪を問われるという矛盾(裁判官は罪は問われないのに) 
③恐ろしい犯罪現場写真等で精神的ショックを受ける人々が増えるのではと思う。(プロとしての教育を受け、それに見合う高い社会的地位の裁判官と何故同じ事をやらされるのか?)

もっと優しい社会であって欲しい

2009年05月17日 | 日記
小学生時代は
転校してから友達もできず
いじめの毎日で
休みになると釣へと誘ってくれた
きみがもしもいなかったら
どうなってたんだべかと思う

麦藁帽子の下で 
いっつも ふたり
ぼんやりと釣竿を垂らしてたっけ

中学時代は
学校から帰ると二時間くらい
牧場からの牛乳配達だった
休みというと
測量や農作業のアルバイトだったけ
二年間で
ラジオが一台買えたきりだったけど

高校時代は
柔道部で骨折して
家で寝てたぼくの家へと
トーマスマンの「魔の山」を持って
見舞いに来てくれた同級生たちや
ケーキを持ってきてくれた
中学時代の友人だった

あんな山奥の
そのまた奥まで
よく来てくれたもんだなと思う

大学時代は
交通事故のあと病院の屋上で
きみの胸ポケットから出てきた
ウイスキーの小瓶をラッパ飲みしながら
遠い 遠い
海の落日を見つめていたっけ

トヨタグループを首になった時は
門衛へと格下げされた上司と
喫茶店で苦いコーヒーを飲みながら
お互いの痴呆症の親の介護についてを
話したんだっけ

それから
創価学会系企業を首になった時は
労災隠し パワハラ セクハラ
なんでもやり放題だった上司を
許すことができなかった

公共の場所で 税金を使って
ロリータビデオを観たり
それを部下に強制したり
ネットからその類いの写真等を
ダウンロードして加工など
いったい認められことなんだろうか

人生についても
社会についても
それらの原因の
この国の歴史についても
この国を破壊し尽くした
小泉の旗の下での自公与党みたいに
大文字で絶叫する者たちは信用がならない

かといって
誰でもいいから殺したいとか・・
この国で毎日100人が
悩んだ挙句に自殺したり
「人身事故」という飛び込み自殺で
恨みを残して殺されてゆくほど
小文字で語るべきものではない

その中間の荒野で
いつだって 
ぼくらは
生きてゆかなければならないのだから

ダビンチコードを観て、古代天皇制を連想

2009年05月17日 | Weblog
ついさっき鳩山夫人の話を聞いたけど、彼女の方が首相に相応しいのかも・・と思った。日本の女性はほんとにすごいなと思う。

そうだ・・管さんを忘れてた。今回は小沢さんに無視されてちと可哀相だなと思ったけれど、パワーアップして鳩山以後に頑張って欲しいなと思う。

いまは鳩山さん菅さん・・というよりずっと現実観がするどいその妻たちに期待したいなという心境だ。民主党の若手はすぐにも官僚の国策捜査で潰されそうな政治家ばかりだだし・・

「ダビンチコード」を観ながら、天皇制とキリスト教とはとてもよく似ているなと感じた。どっちも神の正当な後継者かどうかだ。

けれどもそれは血筋ということではない。血筋だと神ではなくて人間になってしまうので。高貴なる血筋というのは、農耕で古代国家を作った支配者たちが、その正当性をこじつけるために神の子孫と宣伝したものだけど・・まだまだ氷河期以来の神話を信じてた大衆には認められなかったのだろうと思う。

記紀神話を読んでも、天皇家の先祖と言われる天照大神とスサノオの誓約から生まれてくるし・・

明治時代まで、持統天皇・聖武天皇以外には、誰ひとり伊勢へと赴いて祭る事のなかった天照大神とはいったい???
大国主命や三種の神器の鏡・剣と同様に、皇室から追い出されてしまう(神に祟られた天皇も3人)が・・これはその子孫以外が先祖霊を祭ると祟るという古代信仰のせいだろう。蘇我氏先祖霊に祟られた天皇はちと微妙だけど、祟神・衷哀・天武天皇は神に祟られてる。

ただ大神神社でも、その子孫を探して祭らせてるので・・天照大神を祭る氏族が滅ぼされていて、近くにいなかったのではないかと推理した方がいいのではと思う。
僕はその氏族はずばり、物部氏族とも近い秦氏ではないのかと思う。

何故かといえば、神社では圧倒的に秦氏系が多いのに、秦氏の痕跡は古代史からは秦川勝(彼の出生物語は夫余族・百済・新羅、加羅諸国の父祖伝説とそっくりな騎馬民族の物語だと思う)以外はほとんど抹殺されているからだからだ。

高句麗や仏教を国造りの手本とした・・聖徳太子と秦氏の一族がほぼ中央では抹殺されている。
現皇族の先祖といわれている継体天皇を受け入れたという物部氏もまた・・その後の蘇我氏の本家もまた・・

どうも頭がこんがらがってくるな。
宮内庁というないほうがいい官庁が何故、天皇陵の発掘禁止をしている法的な根拠とはいったい何処にあるのだろうか?
戦後米軍が発掘して、荒らし放題、持ち帰り放題だったという天皇陵のきちんとした発掘調査こそが、この国で真っ先に必要な事ではないのか!?