詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

poem

2009年05月29日 | 日記
最新の詩たち
    日本人は大人になるべき時

大人になるというのは
一つの道を選ぶことだ

子供時代には
あらゆる方向への夢でいっぱいだけど
大人になる時
一つのだけの道を選んで
他のすべてを断念する
それは
どんな人間もやってきたこと

日本のような資源のない国が
世界で四番目の軍事力を持つのは
憲法違反でもあるし
相応しくないことだ

そんな不毛なことよりも
自分たちの歴史や
周辺の国の人々の歴史を
もっと謙虚に学ぶべきだ

最先端の軍事力など
いくら持っても
そんなものは何の役にも立たない
大事なのは
周辺国との信頼感しかないのだから

それは個々人で考えても
同じことだ
憎しみ合う隣人との間では
誰も生きてはいけない
いくらセコムで
膨大な財産を防御しようとしても
そんなことは続くはずがない

どれだけ
学歴があるとか
どれだけ
多くを知ってるとかではない

みんな誰もが
貴重な図書館みたいな存在
それ以外の基準は
この世界にはないのだ


    傷

今日も
ヨモギ入りの風呂に浸かって
あちこちの痛みで
傷の在り処がわかる

でもこころの傷は
あまりにも多すぎて
どれが傷なのか
カサブタなのか
それとも
誰かを傷つけてしまった
返り血なのだろうか・・

だからこそ
ぼくもまた
一匹の人間なのか
だからこそ
これほどまでに
誰かを傷つけ
嘲笑しながらも
生き延びたいと思うのだろうか・・


   盲目

冬の一本道を
ひとり歩いてゆくぼくに
「さよなら!」と微笑みながら
君の自転車が
追い越していったから
なんだか後ろ向きで
バラードを口ずみたくなる

とっくに
こころが盲いているからこそ
こんなにも世界は美しいのかもしれない
両耳を塞いで生てきたから
たったひとつのことばが
いつまでも
響き渡るのかもしれない

忘れていたことばを
思い出せそうでいて思い出せない
夕暮れには
より深い群青色へと
染まりゆきながら
風の後ろ姿を
いつまでも見上げている

かたわらを
流れすぎていったものたちよ
意味もなく
お前たちを呼び止めてしまったのは
ぼくのこころもまた
捨てることでしか生きられない
盲目を弄んでいたせいだろうか


 四月のふるさと

べちゃめく道が
みるみる乾いてくと
何処もかしこも
風が吹き渡る四月

溶け始めた雪の下から
きらきらの川面が
顔をのぞかせると父が
「福寿草を採りに行こう」とつぶやく

残雪でまだらになった丘を
幾つも幾つも 越えて
風の橋を
数え切れないほど渡り

ああ今年もやっぱりだ・・
同じせせらぎの残雪のなかから
ひっそりと
福寿草の蕾がのぞいてる

「みてみて!」と
従姉妹の君が指差す先の
がらんとした森では
まるで妖精の絨毯みたいな
片栗の群落が
風の中でそっと揺れてる


   海へ行こう

休日には
ふるさとに出会うために
海へ行こう

淋しすぎるぼくのふるさとは
広すぎる海と
青すぎる風の果て
砕けるばかりの波と
翳りゆく水平線からはるばる
貨物船が一隻

休みになると
いつも一家揃って
海へと出かけていたあの頃
岸壁から見下ろす海の果てには
何故だかいつも
むくむくと入道雲

海についたら
いつものように
焚き火を燃やそう
焚き火なしでは
海で泳ぐこともできなかった
ふるさとを思い出しながら

気まぐれな驟雨が
行きすぎるのを待ちながら
それでも
まだまだ人生は
捨てたもんじゃないべやとつぶやく

休日には海へ行こう
世界一貧しい日本人には
広い 広い海と
青すぎる風と
翳りゆく水平線しかないけど


    さよなら

きみのふるさとは
どんな故郷ですか

故郷というと
ぼくがいつも連想するのは
どうしてだか
どの別れもが忘れられない
スウェーデン映画「犬のごとき人生」
(子供たちに見てもらいたい映画ベスト1)

「さよなら」
いままでの人生で
何度そう呟いただろうか
いつもの黄昏の街角で
去ってゆくきみの後姿に向かって

認知症で寝たきりの母にも
「おやすみ母さん」
「あんたもいい夢をね」

明日には たぶん
明日の風が吹いているのだろう
明日という日には
ぼくやきみが 誰もが
何もかも無くして
震えているかもしれないけれど

それでも「また明日ね」と
希望を込めて
つぶやこう

誰だって
どんな権力者だって
なんとか明日も
生きようという生命を
抹殺することなんかできないのだから