四月のふるさと
べちゃめく道が
みるみる乾くと
何処もかしこも
風が吹き渡る四月
溶け始めた雪の下から
きらきらの川面が また
顔をのぞかせると間もなく
「福寿草を採りに行こう」と
父がぽつりとつぶやく
残雪でまだらになった丘を
幾つも幾つも 越えて
風の橋を
数え切れないほど渡り
ああ今年もやっぱりだ・・
同じせせらぎの残雪のなかから
ひっそりと
福寿草の蕾がのぞいてる
「みてみて!」と
従姉妹の君が指差す先の
がらんとした森では
まるで妖精の絨毯みたいな
片栗の群落が
風の中でそっと揺れてる
海へ行こう
休日には
ふるさとに出会うために
海へ行こう
淋しすぎるぼくのふるさとは
広すぎる海と
青すぎる風の果て
砕けるばかりの波と
翳りゆく水平線からはるばる
貨物船が一隻
休みになると
いつも一家揃って
海へと出かけていたあの頃
岸壁から見下ろす海の果てには
何故だかいつも
むくむくと入道雲
海についたら
いつものように
焚き火を燃やそう
焚き火なしでは
海で泳ぐこともできなかった
ふるさとを思い出しながら
気まぐれな驟雨が
行きすぎるのを待ちながら
それでも
まだまだ人生は
捨てたもんじゃないべやとつぶやく
休日には海へ行こう
世界一貧しい日本人には
広い 広い海と
青すぎる風と
翳りゆく水平線しかないけど
さよなら
きみのふるさとは
どんな故郷ですか
故郷というと
ぼくがいつも連想するのは
どうしてだか
どの別れもが忘れられない
スウェーデン映画「犬のごとき人生」
(子供に見せたい映画ベスト1)
「さよなら」
いままでの人生で
何度そう呟いただろうか
いつもの黄昏の街角で
去ってゆくきみの後姿に向かって
認知症で寝たきりの母にも
「おやすみ母さん」
「あんたもいい夢をね」
明日には たぶん
明日の風が吹いているのだろう
明日という日には
ぼくやきみが 誰もが
何もかも無くして
震えているかもしれないけれど
それでも「また明日ね」と
希望を込めて
つぶやこう
誰だって
どんな権力者だって
なんとか明日も
生きようという生命を
抹殺することなんかできないのだから
べちゃめく道が
みるみる乾くと
何処もかしこも
風が吹き渡る四月
溶け始めた雪の下から
きらきらの川面が また
顔をのぞかせると間もなく
「福寿草を採りに行こう」と
父がぽつりとつぶやく
残雪でまだらになった丘を
幾つも幾つも 越えて
風の橋を
数え切れないほど渡り
ああ今年もやっぱりだ・・
同じせせらぎの残雪のなかから
ひっそりと
福寿草の蕾がのぞいてる
「みてみて!」と
従姉妹の君が指差す先の
がらんとした森では
まるで妖精の絨毯みたいな
片栗の群落が
風の中でそっと揺れてる
海へ行こう
休日には
ふるさとに出会うために
海へ行こう
淋しすぎるぼくのふるさとは
広すぎる海と
青すぎる風の果て
砕けるばかりの波と
翳りゆく水平線からはるばる
貨物船が一隻
休みになると
いつも一家揃って
海へと出かけていたあの頃
岸壁から見下ろす海の果てには
何故だかいつも
むくむくと入道雲
海についたら
いつものように
焚き火を燃やそう
焚き火なしでは
海で泳ぐこともできなかった
ふるさとを思い出しながら
気まぐれな驟雨が
行きすぎるのを待ちながら
それでも
まだまだ人生は
捨てたもんじゃないべやとつぶやく
休日には海へ行こう
世界一貧しい日本人には
広い 広い海と
青すぎる風と
翳りゆく水平線しかないけど
さよなら
きみのふるさとは
どんな故郷ですか
故郷というと
ぼくがいつも連想するのは
どうしてだか
どの別れもが忘れられない
スウェーデン映画「犬のごとき人生」
(子供に見せたい映画ベスト1)
「さよなら」
いままでの人生で
何度そう呟いただろうか
いつもの黄昏の街角で
去ってゆくきみの後姿に向かって
認知症で寝たきりの母にも
「おやすみ母さん」
「あんたもいい夢をね」
明日には たぶん
明日の風が吹いているのだろう
明日という日には
ぼくやきみが 誰もが
何もかも無くして
震えているかもしれないけれど
それでも「また明日ね」と
希望を込めて
つぶやこう
誰だって
どんな権力者だって
なんとか明日も
生きようという生命を
抹殺することなんかできないのだから