詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

父母

2009年05月24日 | 日記
父と母のことを思いだすと
雨のなかで
わんわんと泣きたくなる
親不幸の数々は
父も母ももう亡くなってしまったいま
もうどうしようもないのに

どっちとも再婚同士だった父母
異母兄弟の兄は
ずっといまも行方不明のままで
痴呆症になってからも
その兄のことを案じてた
母との約束はついに果たせないまま

城山三郎氏みたいに戦争末期に
まだ十代で志願兵となった父
いつも酒臭かった父
休みになるといつも
海の見える丘へと
売れもしない唐松を植え続けてた父

ときどきは遠い海を見つめながら
部隊が全滅したニューギニアでの
飢えとの戦いをポツリとポツリ
朝になると
寒さと栄養不足のために失明して
いつまでもいつまでも
「一緒に連れてってくれ!」と叫んでいたい同僚のことや
夜になると原住民の畑へと芋泥棒に行っては
毒矢を射掛けられたこと
津軽海峡でやっと
自決用に肌身離さず持ってきた
手榴弾を荒波に向かって放り投げたこと

幸せだったとか 
不幸だったとか
運が良かったとか 
悪かったとか
そんなこと
いまさら言っても仕方ないのに
そんなことばっかり
考えてる自分がいる

雨のなかで
濡れそぼりながら
空を見上げるたびに思いだす言葉がある

「お前ならもう大丈夫だ」と
最後に言っていた父のことばと
「幸せになっておくれ」という
母の最後のことば

映画「ゆきゆきて、神軍」(1987年、原一男監督)についてー

2009年05月24日 | 日記
以前どこかに書いたけど・・日本映画のベスト10に是非とも入れたい映画が「ゆきゆきて、神軍」(1987年、原一男監督)だ。

《アジア・太平洋戦争中のニューギニア島といえば、いつも思い出すのは、奥崎謙三さんのことです。奥崎さんはその島から奇跡的に生還。2005年、85歳で亡くなるまで、大元帥として君臨した昭和天皇と、戦友をゆえなく殺した、かつての上官の責任を追及し続けた人です。昭和44年の一般参賀の日、天皇に向けて「ヤマザキ、天皇を撃て」と叫びながらパチンコ玉を放った事件は忘れられません。「ヤマザキ」とは、同じ戦線で飢餓に倒れた心優しい戦友の名前です。》(「『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』を読んで 岩田すみ子2009/05/23」)
詳しくはーhttp://www.book.janjan.jp/0905/0905193697/1.php

僕のこのブログにもこの映画に関してのリンクが。
歴史からなにひとつ学ぼうとしない日本人は、近い将来必ず同じ間違いを繰り返すことだろうと思う。