僕が唯一リンク集でリンクしてる政治家は、社民党の保坂展人さんだけ。
僕も十代の頃教科書に載っていた魯迅の「故郷」を読んで以来魯迅は大好きな作家だ。中国の宮沢賢治ではと思う。(「子供たちを救え!」という悲鳴が聞こえてくる)
最近の保坂氏のブログからー
「真夏の夜だから魯迅の言葉と向き合う」
身辺コラム / 2010年07月25日
昨夜は寝苦しかった。参議院選挙の疲れも、後片付けの見通しがつくと思い出したかのように噴き上げてくる。本当は疲れても、「疲れた」とは言わないのが普段だったが、激しい選挙戦をふりかえってあれこれ考えてみた。そこで、10代の頃に親しんだ魯迅の言葉が込み上げてきて、ツイッター140文字でいくつか発信してみた。この140字という制約が魯迅の言葉の緊張感や深みを表すのにいいのかもしれない。つぶやきを再録する。
「沈黙すると私は充実を覚える。発言すると同時に空虚を感じてしまう」(魯迅『野草』の序)。この言葉に17歳の私は衝撃を受けた。思考を言語にする時に、こんなに率直に、かつ無防備に語り、そして鋭く語っていく魯迅の文体に大きな影響を受けた。時々、国会でも閣僚の失言に魯迅の言葉を引用した。
「急場の失言の根拠とは、考える時間がなかったことにあるのではなく、考える時間がある時に考えなかったことにあるのである」(魯迅)別の言い方をすれば、普段考えていたことがふと「急場の失言」となって飛び出すのである。政治家として、とりつくろった言い方より、本音だということにもなる。
魯迅はバルコニーに出て「暗澹たる中国の未来」を思案している。そこに、ブーンと一匹の蚊が飛んでくる。この蚊を手で払っているうちに「中国の未来」よりも、「蚊の行方」の方が重大な関心事になってくる…と書いていた。この魯迅のリアルな語り口は、身体と思想とを同居させている人間を感じさせる。
文庫本がボロボロになるほど魯迅の雑感文を読んだ。自分の身体から表出してくる「言葉」を探したいとの欲求が強かったからだ。誰もが模倣で言葉を覚える。もっともらしく理屈も、あるいはイデオロギー的文章も、さも自分のものであるようにして、自分の言葉でない言葉を弄ぶ。17歳の時、気がついた。
魯迅は「進化論者」だった。中国の頑迷な年寄りが死んでいき、若い世代が社会をになっていけば、よりよくなると素朴に信じていた。しかし、若者同士が衝突し死者を出す事件に遭遇して「青年を殺戮するのは、やはり青年です」と書いた。私は、この魯迅の言葉にヒントを得て「青生舎」を事務所名にした。
衝動的に「魯迅」の話を書いた。「絶望」を知らない「希望」は薄っぺらい。「絶望」の果てに一筋の光を見るような「希望」を語りたい。どんなにメディアが発達し、伝達手段が進化しても、結局のところ「言葉」がすべてだ。短時間のうちに、たくさんの人がリツイートしてくれて嬉しい。
昨日、紹介した魯迅の言葉は雑感文(エッセイ・評論)として数々のペンネームで書かれたもの。一般的には『阿Q正伝』や、『藤野先生』などの小説が知られているが、私が強い影響をうけたのはこの雑感文だ。私が読んだ版は絶版になってしまったが、『魯迅評論集』(竹内好訳・岩波文庫)で読めると思う。
と、ここまでがツイッター再録。魯迅の言葉に含蓄が深いのは、表層に見えてくる看板やスローガン、大言壮語と無責任なアジテーションを魯迅が、バッサバッサと切っているからである。
これから政治は荒れ模様となる。数をめぐる合従連衡も進み、また「昨日の敵は今日の友」的な状況が訪れるかもしれない。そして、心ある人々の失望、絶望は深く沈潜し、「政治」を語る言葉も1行目がなかなか出てこない状況になるような気がする。
だから、魯迅を思い起こしたのか。1カ月前、高揚感の只中にいた政権が不人気の荒野へと失墜したのは、やはり「言葉」によってだった。もちろん、人気を持続しながら社会を解体していった小泉劇場の武器も、唯一「言葉」だった。言葉は怖い。そして、その怖さを知った言葉が強い。強さとは、自ら畏れるものを知る者が身につけくことの出来るやさしさなのだ。
僕も十代の頃教科書に載っていた魯迅の「故郷」を読んで以来魯迅は大好きな作家だ。中国の宮沢賢治ではと思う。(「子供たちを救え!」という悲鳴が聞こえてくる)
最近の保坂氏のブログからー
「真夏の夜だから魯迅の言葉と向き合う」
身辺コラム / 2010年07月25日
昨夜は寝苦しかった。参議院選挙の疲れも、後片付けの見通しがつくと思い出したかのように噴き上げてくる。本当は疲れても、「疲れた」とは言わないのが普段だったが、激しい選挙戦をふりかえってあれこれ考えてみた。そこで、10代の頃に親しんだ魯迅の言葉が込み上げてきて、ツイッター140文字でいくつか発信してみた。この140字という制約が魯迅の言葉の緊張感や深みを表すのにいいのかもしれない。つぶやきを再録する。
「沈黙すると私は充実を覚える。発言すると同時に空虚を感じてしまう」(魯迅『野草』の序)。この言葉に17歳の私は衝撃を受けた。思考を言語にする時に、こんなに率直に、かつ無防備に語り、そして鋭く語っていく魯迅の文体に大きな影響を受けた。時々、国会でも閣僚の失言に魯迅の言葉を引用した。
「急場の失言の根拠とは、考える時間がなかったことにあるのではなく、考える時間がある時に考えなかったことにあるのである」(魯迅)別の言い方をすれば、普段考えていたことがふと「急場の失言」となって飛び出すのである。政治家として、とりつくろった言い方より、本音だということにもなる。
魯迅はバルコニーに出て「暗澹たる中国の未来」を思案している。そこに、ブーンと一匹の蚊が飛んでくる。この蚊を手で払っているうちに「中国の未来」よりも、「蚊の行方」の方が重大な関心事になってくる…と書いていた。この魯迅のリアルな語り口は、身体と思想とを同居させている人間を感じさせる。
文庫本がボロボロになるほど魯迅の雑感文を読んだ。自分の身体から表出してくる「言葉」を探したいとの欲求が強かったからだ。誰もが模倣で言葉を覚える。もっともらしく理屈も、あるいはイデオロギー的文章も、さも自分のものであるようにして、自分の言葉でない言葉を弄ぶ。17歳の時、気がついた。
魯迅は「進化論者」だった。中国の頑迷な年寄りが死んでいき、若い世代が社会をになっていけば、よりよくなると素朴に信じていた。しかし、若者同士が衝突し死者を出す事件に遭遇して「青年を殺戮するのは、やはり青年です」と書いた。私は、この魯迅の言葉にヒントを得て「青生舎」を事務所名にした。
衝動的に「魯迅」の話を書いた。「絶望」を知らない「希望」は薄っぺらい。「絶望」の果てに一筋の光を見るような「希望」を語りたい。どんなにメディアが発達し、伝達手段が進化しても、結局のところ「言葉」がすべてだ。短時間のうちに、たくさんの人がリツイートしてくれて嬉しい。
昨日、紹介した魯迅の言葉は雑感文(エッセイ・評論)として数々のペンネームで書かれたもの。一般的には『阿Q正伝』や、『藤野先生』などの小説が知られているが、私が強い影響をうけたのはこの雑感文だ。私が読んだ版は絶版になってしまったが、『魯迅評論集』(竹内好訳・岩波文庫)で読めると思う。
と、ここまでがツイッター再録。魯迅の言葉に含蓄が深いのは、表層に見えてくる看板やスローガン、大言壮語と無責任なアジテーションを魯迅が、バッサバッサと切っているからである。
これから政治は荒れ模様となる。数をめぐる合従連衡も進み、また「昨日の敵は今日の友」的な状況が訪れるかもしれない。そして、心ある人々の失望、絶望は深く沈潜し、「政治」を語る言葉も1行目がなかなか出てこない状況になるような気がする。
だから、魯迅を思い起こしたのか。1カ月前、高揚感の只中にいた政権が不人気の荒野へと失墜したのは、やはり「言葉」によってだった。もちろん、人気を持続しながら社会を解体していった小泉劇場の武器も、唯一「言葉」だった。言葉は怖い。そして、その怖さを知った言葉が強い。強さとは、自ら畏れるものを知る者が身につけくことの出来るやさしさなのだ。